第三十四話 閑話 4回目
寝台に仰向けになって、膝を立てる。差し出した両足首を、団長が手で押さえた。腹に力を込める。
「……ぐ、ぬぅっ……!」
上体が浮いた。一回。震えながら沈みきる前に、もう一度。二回。
三回目を起こしきった瞬間、腕を投げ出して、そのまま背中から落ちた。息が上がる。天井がやけに眩しい。
「……できたわ。三回」
「……はい」
団長の声は、短く冷ややかだった。足首から手を離して、静かに立ち上がる。
前はもう少し、何か言ってくれた気がする。頑張っておられますね、とか。一回もできなかった頃から、三回になったのだ。褒めてくれてもいいはずなのに。
今日は、それだけだった。
……気のせいよね。忙しいだけよ、きっと。
◆
団長が下がった後、わたしは寝台の上に座り直す。
最近、ずっとこう。用件だけ話して、必要以上には喋らない。目も、あんまり合わせてくれない気がする。
前は、もう少し違ったはずなのに。いつからだろう。指を折って数えようとして、やめた。数えたところで、答えが出るわけじゃない。
――トラペジア。あの都市に行った、あの日から。
思い出したくもないのに、勝手に浮かんでくる。
冒険者ギルドの、あの空気。名前を確かめようとしただけなのに。全身が総毛立った、あの一瞬。
顔を確かめて、間違いないと確信した。ヴィオレッタ・ヴァレンシュタイン。攻略本の中で、とっくに死んだはずの女。
なのに、あの女は名乗った。まるで別人みたいな顔で。
「私は、ヴィヴィよ。ただの、ヴィヴィ」
馬鹿にしたみたいに、お腹をからかって。ギルド中が笑って。護衛の騎士が激昂しながら斬りかかろうとしたら、ギルド中の冒険者が同時に殺気をまとった。
わたしのために動いたわけじゃない。あの女のために、動いたんだ。
ぞっとする。何の権限もない、ただの一冒険者のはずなのに。ぎゃふんされた悪役令嬢のくせに。
◆
あの女が、生きている。
それだけで、もう十分に怖い。
物語は、もう終わったはずだった。悪役令嬢は断罪されて、追放されて、滝壺に沈んで。わたしは正しく積み上げて、正しくハッピーエンドに辿り着いたはずだった。
でも、あの女が生きている限り――また、奪われるかもしれない。
殿下の隣。わたしが積み上げてきた、この場所を。それにあの女が生きて居たら最後のキークエストが終わらない。あの女は取り返そうとしてるのかもしれない。
どうやって、なんて聞かれても分からないけど。分からないから、余計に怖い。あの女には、何かある。追放されて、見た目も性格も全く変わってしまっていた。
……だったら、先に潰せばいい。頭では、それが一番簡単だと分かっている。
でも、殺す手立てなんて、わたしにはない。あの女は、トラペジア――王国の外にいる。中立都市に、勝手に兵は出せない。団長だって、前にそう言っていた。国際問題になる、と。
わたしにできるのは、ただ待つことだけ。
◆
視界の隅に、そっと指を伸ばす。
誰にも見えない、わたしだけの攻略本。開いても、開いても、最後のページは真っ白なまま。
今じゃアーカイブの確認くらいにしか使う事ができない。
フラグも正解の選択肢も、もう教えてくれない
動くべきなの? それとも、動かない方がいいの? 教えてよ!
下手に動けば、まだ知らないフラグを折ってしまうかもしれない。でも、何もしなければ、それはそれで――今すでに壊れ始めているものが、もっと壊れていくだけかもしれない。
どっちも怖い。どっちが正解か、誰も教えてくれない。
わたしは、いつまで、こうしていればいいんだろう。
◆
考えても、答えは出ない。
仕方なく、また寝台に横になる。足首を押さえてくれる人は、もういない。自分で膝を抱えて、代わりにする。
「……んっ、うぐぐ……!」
四回目に挑んで、途中で崩れた。悔しくて、もう一度構え直す。
構え直しながら、ふと。さっきの、団長の顔がよぎった。
――もしかして。あの人も、本当は。
あの女の方が、良かったんじゃないか。
浮かんだ瞬間、心臓がドキンッと跳ねた。慌てて、その考えを頭から追い出す。
何を馬鹿な事を考えてるの。そんなはずない。団長は、わたしの剣なんだから。
言い聞かせるように、もう一度腹に力を入れる。
「……ぐ、ぬうっ……!」
四回目は、やっぱり無理だった。
34話・了
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