第三十一話 何でも有り
ギルドの受付で、ミラに奥へ来いと手招きされた。
いつもは明るいミラの表情が、やや真剣な面持ちになっている。また面倒な事になる予感が、ヒシヒシと伝わって来ていた。
通されたのは、当然ギルドマスターの部屋だった。
でかい机の向こうに、ギルマスのダンが座っている。その脇に、サブマスのクリスが立っていた。ダンは相変わらず、どこの気のいい親父だと言いたくなる顔で、片手を上げた。
「よう、来たか。まあ座れ」
言われた通り、椅子に腰を下ろす。ミラは扉の脇に控えたまま、出て行かなかった。
「単刀直入に言う。グランティアからの依頼だ」
その名前で、私の中に少し緊張感が生まれた。トラペジアの議長にして、七都市きっての大物。そして、俺のことを「ウチの娘」と呼ぶ、面倒見のいい……お姉さんだ。
「お前さんを俺とクリスで鍛えてやってくれ。そう言われている」
鍛える? ギルマスとサブマスが只者では無いとは感じていたが。
「言っておくが、選択権はない」
ダンは、にやりと笑った。
「グランティアの頼みだ。断るも何も、こっちが受けちまってる。受けた以上、拒否権なんぞあるはずもない。分かるな?」
こちらには、断る理由も無い。個人として鍛える事にも限界は感じていたところだ、願ってもない。私は頷いた。
「わかったわ。よろしくお願いします」
ダンは満足そうに一つ頷くと、扉の脇のミラへ指示をだした。
「ミラ! 今晩からだ。毎日十八時以降、地下修練場は立ち入り禁止にしろ。俺達三人以外、誰も入れるな」
「……はい、承知しました」
ミラの返事に、一拍の間があった。何をやるのか、彼女には聞かされていなかったらしい。彼女の心配そうな視線が向けられたのを感じた。
ダンが、こちらへ向き直る。
「しかし、あのグランティアに「うちの娘」と呼ばせるとはな。お前、なかなか大したもんだぜ」
◆
地下修練場がこんなに広いと感じたのは、初めてだった。いつもなら、修練場所を探さなきゃいけないくらいだ。
俺と、ダンと、クリス。石壁に囲まれた広い空間に、明かりが等間隔で灯っている。足元は踏み固めた土。窓はない。外に音は漏れないし、中も見えない。
ダンが、修練場の中央に立った。腰に、木剣を一本差している。稽古用の、ただの木の棒に近い安物だ。
「今日は初日だからな。まずは、あんたの手の内を全部見せてもらう」
軽く肩を回しながら、ダンは言った。
「何でも有りだ。剣でも、魔法でも、砂を蹴ろうが目を突こうが、好きにしろ。全力で来い。ああ、ハニートラップは勘弁してくれな?」
俺が構えると、ダンはひらひらと手を振った。
「なに、死なない程度には手加減してやるさ」
その一言が、癪に障る――というより、こちらの全力を「その程度」と見切っている。ならば、見せてやるまでだ。やると決めたなら、出し惜しみはしない。
俺は背のバスタードソードを抜き、地を蹴った。
踏み込みと同時に、指先でエナジーボルトを撃つ。光の弾が、ダンの顔面へ走った。牽制だ。それを嫌って動いた先へ、大剣を叩き込む――はずだった。
ダンは、光の弾を首の傾きだけで躱し、大剣の軌道へ半歩踏み込んできた。長い剣のメリットを一瞬で潰し、振り抜かせない距離だ。
「そんな低レベルの魔法じゃ、効果が薄いぞ?」
言いながら、掌でこちらの手首を軽く払う。それだけで、大剣の軸が反れてブレる。俺は舌打ちして左腰のショートソードに持ち替え、返す刃で喉を狙う。そこへ、間髪入れず膝が来る。避ける。避けた先を、蹴りが追ってくる。速い。左膝をフェイントに、右の中段回し蹴りを叩き込む。
剣が通らないなら、こっちだ。俺は剣を捨てる勢いで身体を沈め、肘と膝で懐へ潜り込んだ。掴んで崩す。そういう戦い方なら、前世で散々鍛えて来てる。
「――お、」
ダンの声が、少しだけ変わった。俺の肘が、初めて服の端を掠めたのだ。
「剣はまあ、そこそこだな。だが、蹴りの方がキレがある」
要約したら「大したことが無い」じゃないか。組み合いながら、そう評価している余裕があるんだ。手応えは、こちらが一方的に泳がされているだけだ。掴んだと思った腕は、いつの間にか抜けている。崩したはずの重心は、びくともしない。前世の格闘術が通じないと言うより、ダンの技術や先読みが鋭いんだ。
息が上がってきた。何度打ち込んでも、浅い所で全部いなされる。
「なあ」
ふいに、ダンが言った。
「お前、悔しがらないな? 普通、これだけやられりゃ、歯を食いしばって悔しがるもんだがな。悔しさをバネにして伸びる――そういうもんだろ、修行ってのは」
は?
俺は、汗を拭って、その顔を見返した。
「悔しさがなきゃ努力もできないなんて、よっぽどお花畑ね」
息を整えながら、私は言った。
「悔しがってる暇があったら、考えて、鍛えて、試すわ。それだけよ」
やるか、やらないか。それだけの話だろう。やると決めたなら、負けたところで答えは変わらない。どう勝つかを詰めるだけだ。そこに、悔しいだの気合だのを挟む意味が、俺にはわからない。ぐだぐだ言ってる暇があったら「やれ」ばいいだけだ。
ダンが、ふっと笑った。壁際で、クリスも小さく頷いたのが見えた。
諭す気配も、呆れる気配もない。二人とも――当たり前のことを聞いた、という顔をしている。
「……違いねえ。グランティアが認めたのは、そういうお前だからかもな」
ダンが、笑いを収めた。
その瞬間、空気が変わった。
俺の視界の端で、ダンの姿がぶれた。踏み込みが、見えなかった。腹に、丸太で殴られたような衝撃が来る。
――蹴りだ。
そう認識した時には、身体は後ろ向きに飛んでいた。咄嗟に顎を引き、腕で後頭部を守る。背中から石壁に叩きつけられて、息が全部抜け、目の前が白く飛んだ。
◆
意識が戻ったのは、ほんの数瞬だったらしい。
崩れ落ちる途中で、俺は膝を踏ん張っていた。壁に手をつき、立つ。肺が、ようやく空気を吸う事を思い出す。
「おお」
ダンが、感心したように声を上げた。
「あれを喰らって、まだ立てるか。根性は、いいもん持ってるな」
立てるなら、やる。それだけだ。俺は残ったショートソードを握り直し、最後の力で斬りかかった。
届かなかった。
振り下ろした腕の内側へ、ダンの手刀が滑り込む。剣の腹を払い落としながら、首筋に、重い衝撃。
今度こそ、意識が跳んだ。
◆
「――おお、目覚めたか」
目を開けると、天井の明かりがあった。土の上に、寝かされているらしい。ダンの顔が、覗き込んでいる。
「当然、俺様の勝ちだったが。お前も、まあ、なかなかやるな」
一方的にやられておいて、なかなかやるも無いだろう。
身体を起こす。全身が軋んだ。あちこちが、鈍く痛む。
そこで、俺はようやく気づいた。
ダンの腰の木剣が――まだ、鞘に差さったままだ。
結局この人は、一度も剣を抜かなかった。真剣を抜き、魔法を撃ち、搦め手まで使った俺を、蹴りと手刀だけで沈められたんだ。純粋に格上だと分かる、素晴らしい格闘術だった。
――こんな化け物に、稽古をつけてもらえるのか。
これ以上の教師は、そういるもんじゃない。やはり、持つべきは人脈だ。グランティアとの出会いが無ければ、この人に教わる事は不可能だっただろう。
「……あの戦い方なら」
静かな声がした。クリスが、いつの間にか傍らに膝をついている。
「私が、良い魔法を差し上げましょう。――今、魔法のランクはいくつですか?」
「……ソーサリーは、R1が三つ。R2が一つよ」
「ふむ」
クリスは、少しだけ眉を寄せた。
「低過ぎますね」
言葉は辛辣だが、声は淡々としている。彼はしばらく考え込み、それから、こう続けた。
「そうですね。明日中に、R5へ上がる条件を揃えてくること。あなたに支払ったこれまでの報酬の余りと、今回の議長護衛の報酬を足せば、ギリギリ足りるでしょう。話は、それからです」
これだから、事務方の連中は怖いんだ。今までの報酬と、私の装備や食生活から、恐ろしい精度で財布の中身を当てて来る。
……また、しばらく肉は食えそうにないな。
31話・了
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