第十三話 いい女
継戦能力は、だいぶ上がったと思う。
朝、街を一周しても、前ほど息が上がらない。毎日走ってきた甲斐はあったな。
ただ、力の方がまだ全然ダメで、これが結構こたえる。
昨日の戦闘でもコボルト相手に、一撃で仕留めきれなくて手こずった。動きは分かってるのに、肝心の振り抜く力が追いつかないのがじれったい。
まあ、当たり前だよなぁ。走り込みは体を絞るだけで、筋肉はつかない。継戦能力と筋力は、別モノだ。
足りないなら足すしかない。
今までの鍛錬はそのまま続ける。その上に、筋肉を増やすメニューを足すことにした。
ただ、普通にウェイトを上げるだけじゃ、実戦で使える筋肉は付きにくい。だから修練場の大きめな木剣を借りて、素振りも始める。
剣を構えて、振り上げて、振り下ろす。真っすぐ、ただ真っすぐに。
◆
筋力の付け方は、前世で嫌ってほどやったから、頭が覚えてる。
でも、焦らない。いきなり重いのは持たない。
まずは自分の体重で。バーピー、腕立て、腹筋、背筋、スクワット。地味な動きを、丁寧になぞる。余計な筋肉は付けたくないんだが、そもそも全体的に足りてないから、今は満遍なくでいい。
で、一番大事なのが型だ。
正しい型で動かないと、力は乗らないし、体を壊す。雑にやって手っ取り早く強くなろうなんてのが、実は一番の遠回りなんだよな。急がない。一つずつ、ちゃんとやる。
鍛える場所は、日替わりにする。今日は下半身、明日は押す動き、明後日は引く動き。部位を回して休ませつつ、どこかは必ず鍛えてる状態にしておく。
体が慣れてきたら、修練場の隅に転がってる重量物だ。丸太、石、鉄の塊、土嚢。器具とは呼べない代物だが、負荷としては十分すぎる。
最大の力を伸ばしたいなら、上がるか上がらないか、そのギリギリの重さを選ぶ。潰れながら、それに挑む。地味だし、キツい。でも、そうしないと力は伸びないんだよなぁ。
◆
そんなわけで、日課がまた一つ増えた。
朝、走る。街を巡りながら、道を覚える。すれ違う人と、挨拶を交わす。
「よう、今日も早いな」
「ええ。いい朝ね」
最初は物珍しそうだった顔が、今ではすっかり顔なじみだ。パン屋の親父、荷を運ぶ馭者、門番。同じ時間に同じ道を走ってりゃ、自然とそうなる。
走り終えたら、宿で朝飯だ。
パンとスープと、少しの肉。上品に食べるふりをしつつ、腹の底へしっかり入れる。飯も体作りのうちだからな。
……うまい。
よく動いた体に、飯が染みる。この一杯の為に走ってる、って言ってもいいくらいだ。うまそうに食う姿を、宿の連中に笑われる。まあ、好きに笑えばいい。うまいものを前に、渋い顔をする理由がどこにある。
昼は、薬草を摘む。日銭になるし、街の外の勝手も覚えられる。
夕方は、修練場。型を磨いて、自重とウェイトで力を作る。
夜、体を洗って、寝る。
単純な繰り返しだ。でも、それを毎日やる。一日も休まない。
雨の日も走るし、疲れてても型はやる。体が資本だからな。
◆
で、体はちゃんと応えてくれた。
……ちょっと、応えすぎなくらいに。
走れる距離が延びる。腕立ての回数が増える。持ち上がらなかった鉄の塊が、少し浮くようになる。型のキレも、日ごとに冴えていく。
右下のボードでも、数値が動いてた。体術が、1から3、4と乗って、5になる。剣術も、2から4へ。
……いや、伸びが速すぎるだろ、これ。
前世で同じ量をやって、ここまで来るのにどれだけかかったと思ってるんだ。それが、たった数日だぞ。
しばらく検証して、からくりが分かった。
この体のヴィオレッタと、中身の俺。低い方を高い方が引っ張り上げるみたいに、差がでかいほど、平均値まではものすごい速さで上がっていく。平均に届くと伸びは鈍るが、止まるわけじゃない。おまけに、ヴィオレッタの固有スキルのおかげで、疲労は一晩で抜ける。壊れる寸前まで追い込んでも、翌朝にはケロッと回復してるんだ。
普通なら故障するペースで、故障しない。だから、続けられる。常人には絶対無理な全部盛りが、この体でだけ成立する。
……効率、良すぎだろ。
まあ、からくりが分かったところで、やることは変わらないけどな。上がるなら、上げる。それだけだ。
◆
筋力がついてきた頃、訓練に手合わせを足した。
型を一人でやるのにも、限界がある。実際に打ち合わないと、間合いも崩しも、本当のところは身につかないからな。
修練場には、暇を持て余した冒険者がいくらでもいる。相手には困らない。
最初は、胸を借りる形だった。
「お嬢ちゃんが手合わせ? まあ、いいぜ。怪我すんなよ」
軽く笑って、受けてくれる。細い女が相手だ。誰も本気になんてならない。
――それで、いい。
格闘術をやってた俺には、ちょっと懐かしい時間だった。前世の記憶にある動きを、少しずつなぞって、今の体にインストールしていく。そんな感じだ。
で、日が経つごとに、様子が変わってきた。
◆
最初は勝ててた冒険者が、だんだん余裕を失っていく。
組み付いても、いつの間にか外されてる。踏み込んでも、逆に懐に潜られてる。手加減してたはずが、その手加減の余裕がなくなっていく。
どさくさ紛れに俺の胸を揉んでた男の顔から、すーっと血の気が引いていった。
「……おいおい、マジかよ」
肩で息をしながら、男が俺を見る。ついこの間まで、片手で転がせてたはずの相手にだ。
今の俺の戦い方は、非力が大前提だ。腕力でも体格でも、相手に劣る。その差を埋められるのは、速さしかない。
相手より速く動いて、間合いを取る。踏み込んで、離れる。捕まえようとした所には、もういない。掴まれなけりゃ、力の差は関係ないからな。速さがある限り、こっちのペースで削れる。
その速さを支えてるのが、走り込みで作った脚だ。一瞬速いだけじゃ足りない。手合わせが長引いても、最後まで動き続けられる。息が上がって足が止まった方が負けるんだから、まずスタミナを固めた。うん、順番は間違ってなかった。
そこに、力がついてきた。今までは当てても軽くて効かなかったのが、少しずつ、重くなってきてる。
速さで翻弄して、当たりが効くようになる。この二つが噛み合えば、細い女の一手だって、無視できなくなる。
嗤ってた連中が、静かになった。次は、真剣な顔で向かってくる。それでも日を追うごとに、勝てなくなっていく。
◆
そのうち、妙なことが起き始めた。
朝、走ってると、見慣れない顔が走ってる。
昨日まで、昼から酒場で管を巻いてたはずの男だ。それが汗だくで、俺の後ろを走ってる。
「よう……っ、ちわ……っ」
息も絶え絶えに、挨拶を寄越してくる。
……どうした、急に。
修練場でも、そうだ。だらだら剣を眺めてただけの連中が、体を動かし始めてる。俺に手合わせで負けた男が、悔しそうに、一人で型をなぞってる。
目標も張り合いもなく、その日暮らしの金だけ稼いで漫然と生きてた冒険者たちが、一人、また一人と、自分を律するようになっていく。
早起きして、走る。飯をちゃんと食う。鍛える。
そんなに負けたくなかったんだろうか。……理由は、分からん。
ある時、すれ違いざまに、誰かの声が耳に入った。
「あの嬢ちゃん、今までどこでどんな暮らししてきたのか知らねぇが……ありゃあ、いい女だぜ」
俺は、振り返らなかった。中身おっさんが、いい女って褒められてもなぁ。
まあ、好きにさせておこう。俺は俺で、やることをやるだけだ。
◆
そして、一日の鍛錬の締めに、俺が決めてることがある。
修練場の真ん中に、でかい岩がある。
的だ。冒険者が剣や斧、魔法を打ち込む為の、ただの岩。俺の背より高くて、幅もある。何人がかりでも動かないから、そこに据えられてる。動かす想定なんて、誰もしてない。もう景色の一部だ。
俺は、その岩に挑む。
一日の鍛錬を、全部やり切った後。走って、型をやって、手合わせをして、ウェイトで出し切って、もう腕も脚も上がらない――その体で、最後に岩へ向かう。
わざと、疲れ切った状態でやる。
元気な時に持ち上げようとしても、そこそこの力しか出ない。もう出し切った体で、それでもなお振り絞る。その最後の一絞りが、今の限界をほんの少しだけ押し広げる。楽な負荷を何度こなしたって、最大の力は伸びない。届かないものに挑んで、初めて伸びる。
岩に、腕を回す。腰を落とし、脚で押し、全身で重力から引き剥がそうとする。
汗が、目に入る。指先が、岩の凹凸に食い込む。爪が割れ、皮が剥け、血が滲む。
――上がらない。
当然だ。物理的に、上げられる重さじゃない。
だが、いい。上げる為にやってるんじゃない。
◆
この岩を持ち上げようとする行為も、最初は笑われてた。
「見ろよ、あの岩持ち上げようとしてるぜ」
だが、今はもう、誰も笑わない。
爪を割ってまで、血を流してまで、動かない岩に毎日全力で挑む姿を、笑い続けられる奴はいない。
俺の後ろで走り始めた連中も、修練場で体を動かし始めた連中も、その姿を、じっと見ている。
俺は、周りがどう見てるかなんて、気にしてない。ただ、岩を掴む。
今日も、上がらない。指先が痛む。血が滲む。
いつか、持ち上げるつもりで。毎日、これに挑む。
血の滲んだ指を握り込んで、岩から手を離した。
今日は、ここまでだ。
さあ、飯だ。今日もよく動いた。ちょっといい肉を、多めに頼むとしよう。
13話・了
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