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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
2. コーラの味
8/21

01

 ざあっと樹々がざわめいて、一陣の風が抜けていった。譲は箒の動きを止め、吹いてきた方角を仰ぐ。

 どういう理屈かわからないが、風はいつも神社の奥から流れてくる。

 巨大な白い雲が、さっき見たところからほとんど動いていない。熱中症警報が発令されているが、常緑豊かな神社の境内はどこかひんやりとしている。

 

 ちりとりで落ち葉を集め、ゴミ袋にまとめた。結構な量だ。

 秋になったら色づく樹とは違い、常緑は少しずつ葉が入れ替わる。見た目は変化しなくても、いつの間にか静かに中身が巡っている。

 

「おじいちゃん、入り口の方の掃除、終わりました」


 社務所に戻ると、祖父は机の上に和紙を広げていた。


「ああ。ありがとう、譲ちゃん。助かったよ。後でバイト代出すから」

「いえ。お世話になっているのはこちらなので、気にしないでください」

「譲ちゃんは優しいな。でも、こっちが助かっているのは本当なんだよ。……あの方の、面倒を見てくれているだろう?」

「コーラさんのことなら、別にそこまで大変でもないです。食費はおじいちゃんにもらっていますし」


 食事は譲が食べるついでに用意すればいい。実家でも家族分を作っていたから、手間だとは感じない。

 

 コーラさんは好き嫌いがないので、むしろやりやすいくらいだった。

 テレビを見て、夕飯を食べて、きっちり2時間で帰っていく。譲が相手をしなくても、彼は何も気にしていない。

 

 これが母方の幼い従兄妹たち相手なら、朝から晩まで遊びに付き合わされて、少しでも上の空なら機嫌を損ねられるから大変だ。


 譲は箒とちりとりを片付けて、机を覗き込んだ。

 

「これって、祝詞ってやつですか? もしかして祝詞はいつも、おじいちゃんが書いてるの?」

「いや、これは普段のとは別で、特別なやつだよ」

「特別?」

「来月、うちで結婚式があるからね。その時のための祝詞を考えて、調整しているんだ」

「結婚式……」


 神前式というのだったか。譲は、白無垢を着た花嫁の姿を思い浮かべた。

 常緑の中、静かな境内で行われる式は、とても厳かで美しいものになるだろう。


「気になるかい?」

「そうですね。チャペルの結婚式はドラマや漫画でよく見るんですけど、神社はあんまりないから」

「確かにね。うちは縁結びの神社だから、これからも何度か見ると思うよ。式は一般の参拝客も見られるし、譲ちゃんもぜひ見ていくといいよ。将来のためにね」


 譲は曖昧に笑った。

 今のところそういう相手はいないし、自分が白無垢を着る想像もできない。

 別に恋愛をしたくないというわけではないのだけれど、どこか自分とは縁遠い気がしている。

 他人とそういうことになる自分を想像すると――少し、気持ちが悪い。


 授与所から声がかかった。参拝客が列を作っている。祖父が席を立った。

 譲はスマホを取り出した。午後3時。夕飯の支度までまだ時間がある。

 

 ストラップが目に入った。父の形見のお守り。コーラさんからは「捨てろ」と言われたが、できなかった。

 一応、新しいお守りを購入して、リュックのジッパーに結んでみたが、効果があるのかはわからない。「飯の礼」として相変わらずコーラさんが何かをして、譲は気がつけば不調から解放されている。


 ――おまえ、そのうち死ぬぞ?


 コーラさんには、何が見えているのだろう。

 ほとんど毎日会っているけれど、しかし顔を合わせているとは言えず、会話を交わすわけでもない。

 その関係は楽だったが、肝心なことは何もわからないままだ。

 聞いてしまったら、否応なく、彼の不可思議な領域に、踏み込まざるを得なくなるのだろうか?


 一度、名前を聞こうと踏み込んで、失敗した。「好きに呼べば?」と軽い言い方だったけれど、拒絶されたように感じた。

 コーラさんは望んでいないのだろう。もしそうなら、譲にできることは、このまま穏便な関係を続けることくらいなのかもしれない――。

 

 ちら、と授与所の方を見る。祖父は参拝客と何か笑顔で話をしている。

 譲は社務所を出た。


 せっかく時間が空いたので、冷蔵庫にある食材を確認してから、スーパーに行こう。

 そう思って、離れに向かおうとしたときだった。


「――ねえ、万華(ばんか)いる?」


 突然話しかけられて、譲は足を止める。

 参道に、一人の男が立っていた。


 整えられた黒髪に、眼鏡。まるで人形のように白い肌、まっすぐで上品な鼻梁。

 立っているだけで暑いこの時期に、淡いピンクのYシャツの襟をきっちりと閉め、落ち着いた群青のネクタイを結んでいる。ネクタイと同じ色のベストとスラックス。先が尖った黒の革靴。


 彼は、にっこりと譲に笑いかけた。


「えっ……と……?」


 譲は周囲を見渡した。

 女性客が二人、雑談しながら素通りしていく。

 そこにいるだけで息を呑むようなオーラの男がいるというのに、まるで気づいていないようだった。


「君だよ、君に聞いてる。万華に会いにきたんだ、案内してよ」


 男は譲に近づいて、顔を覗き込んだ。

 コーラさんほどではないが、背が高い。思わず一歩、後ろに逃げてしまった。


「あの、すみません。存じ上げません。どなたかと勘違いされていませんか?」


 近くで見ると、そんな暑そうな格好をしているのに、汗ひとつかいていない。


「ええ? でも君から、確かに万華の匂いがするんだけどな」


 そう言って、彼は鼻を寄せてきた。

 喉の奥で、悲鳴が詰まる。


 身を縮こませたとき、不機嫌な声が降ってきた。

 

「おい、色情狂。人ん家で盛ってんじゃねえ」


 眼鏡の男の襟首をつかんで、譲から引っぺがす――コーラさん。

 黒髪眼鏡の男が大きく手を広げ、


「万華! 久々だねえ! 元気だった?」


 と、コーラさんに抱きついた。


 すぐに男を引きはがして、コーラさんは冷たい目で男を見下ろす。


「元気だった? じゃねえ。なれなれしく触んな。殺すぞ」

「つれないな。僕と万華の仲じゃないか。親友でしょ?」

「いっぺん死んどくか?」


 すごく嫌そうな顔のコーラさんと、にこにこ笑顔でそれを受け流す男。

 譲はその間で、二人を唖然と見上げた。


「あ、えっと……お知り合いですか? 万華って」


 ――コーラさんの名前ですか?


 と聞こうとして、譲は黙った。

 コーラさんの冷たい目が、譲に向けられたからだ。

 ひや、と凍るような冷気が流れてくる。息が止まった。


「ああ、ごめんね! そうそう、僕は宗真って言うんだ。こいつの親友」

「親友じゃねえ」

「だったら悪友でもなんでもいいけどさ。万華、この子に名前教えてなかったの? 知らないって言われたんだけど」

「うるせえな。俺の勝手だろうが」

「えー、かわいそー」

 

 宗真は軽く笑って、するりと譲に近づき、肩に手を置いた。

 譲が反応する前に、耳元でささやかれる。


「――嫌われたくなかったら、あいつの名前は呼ばないほうがいいよ」


 ぱっと耳を手で庇ったが、宗真はすでに身をひるがえしていた。


「積もる話があるから、万華、ちょっと顔貸してよ」

「俺にはない。帰れ」

「いいからいいから。じゃあ譲ちゃん、またね」


 宗真はコーラさんの肩を抱いて、神社の奥に入っていった。


 譲はそれを見送って、あれ、と違和感を覚える。

 名前。名乗ったっけ……?


 華やかな男が二人。

 けれど、参道を行き交う人たちは誰もそれに気づいていない。


 生ぬるい風が吹く。

 譲は、先ほど囁かれた耳をさすった。

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