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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
1. 縁、あるいは災難
7/22

06

 蝉が鳴いている。

 常緑豊かな森は蝉の楽園らしく、あちらからもこちらからも空気を震わせて、自己主張している。


 午前中に、理央がやってきた。

 駅まで迎えにいって、一緒に離れまで来たのだが、その往復だけで汗だくになってしまった。

 あらかじめエアコンを入れていたので、入った瞬間に二人で「ここが極楽か」とふざけ合う。


「わー、いいとこ住んでるねえユズ」


 冷えた麦茶を出す。理央は持ってきたお菓子を開けた。


「私も一人暮らししたいなあ。実家は弟がうるさくって」

「理央、弟がいるんだ」

「二人いる。ユズは?」

「一人っ子だから、兄弟うらやましい」

「えー、うるさいだけだよー」


 お菓子をつまみながら、勉強をした。

 来週からテスト期間だ。それが終わったら夏休みが待っている。


 お昼は譲が作った。理央が、譲の手料理が食べたいと言ったからだ。

 簡単なものしか作れないけど、と断って、親子丼を作った。理央からは絶賛されたが、三つ葉を用意していなかったので、何か物足りなかった。

 食後のデザートにシャーベットのアイスを出す。

 

「そろそろ美容院行かなきゃ」

「伸ばしてたんじゃないの?」

「そのつもりだったんだけど、暑すぎて無理。ユズは? ずっとショートボブだけどイメチェンしないの?」

「んー、これが一番、楽だからなあ……」

「ユズなら明るめの色、すごい似合うと思うけどなー」

 

 シャク、とアイスをスプーンですくって、譲はうーん、と首を傾げた。


「染めるのは、別にいいかなあ。おしゃれにそこまで興味ないし……」

「もったいなーい! 花の大学生なのに!」


 そうは言われても、と譲は苦笑いする。

 理央みたいな美人がおしゃれを楽しんでいるのは、見ていて楽しいと思う。

 しかし自分がそれをやるのは、何だか違う。

 綺麗なものや可愛いものを眺めるのは好きだが、自分がそれになりたいとは思わなかった。


「テスト終わったらさ、合コン行かない?」

「ご、合コン?」

「実はさ、ユズを紹介してって言ってるヤツがいるんだよねー」

「え、ええ……」


 どういう反応をしていいのかわからず、譲はスプーンを噛んだ。


「今、彼氏いないんでしょ? じゃあいいじゃん」


 今というか、生まれてこの方いないけれど。

 ふっと、コーラさんの顔が浮かぶ。でもコーラさんは――彼氏……ではないし。

 そもそも、あの人との関係を何と呼べばいいのか、譲にはよくわからなかった。

 それ以上考えても仕方がない気がして、譲は結局、曖昧に頷いた。


 勉強会は、5時前にお開きになった。


 机の上を片付ける。理央が靴を履いている間に、リュックに財布とエコバッグを詰めた。

 理央を送る目的もあったけれど、帰りにスーパーに寄らないと、今日のコーラさんの夕食がインスタントラーメンになってしまうのだ。

 ……それはそれで、どういう反応をするのか見たい気持ちはあったが。


 ガラッと引き戸を開ける音がする。

 譲は慌てて玄関に向かった。

 

「待って理央、すぐ行くか、ら……」


 理央は玄関の小上がりに座って待っていた。

 玄関のドアを開けたのは理央ではなく――コーラさんだった。


 どうして。まだ5時なのに。


「えっ、この人……昨日のコンビニのイケメンじゃん!」


 理央がコーラさんを指さす。

 コーラさんは、玄関を閉めて、理央の横で無造作に履き物を脱ぎ、小上がりに上がる。

 譲を横切って部屋に入ると、いつものようにテレビのリモコンを取って、電源を入れた。

 テレビから音が流れ出し、番組が映る。


 理央が唖然として、譲を見た。


「ユズ、やっぱりこの人彼氏――」

「ちがうよ!」

「だったらなんで、人の部屋に、こんな普通に上がり込んでんの!?」

「えっと……その、うまく言えないんだけど……」


 コーラさんが動いた。

 台所に繋がるガラス戸を開け、冷蔵庫から新しいコーラを出す。

 無駄のない動作だった。もう何度も繰り返しているとしか見えない動き。


 理央の表情が、さらに険しくなった。理解不能といった雰囲気だ。

 理央は譲の手を引っ張って、声を潜めた。


「ユズ、ヤバいって。顔がいいのに騙されちゃダメ、もっとまともなヤツと付き合いなって!」

「いや……付き合ってないから」

「なら余計ヤバい。彼氏でもないやつ、簡単に家に上げちゃだめじゃん!」


 譲は言葉に詰まった。

 

 理央の言うことは正論だった。しかし、簡単には頷きづらい。

 確かにちょっとおかしな人ではあるが、でも、コーラさんは――。


 理央が靴を脱いで、部屋に戻った。


「ちょっとあなた!」


 コーラさんを指さして、理央が仁王立ちする。


「譲とどういう関係? なんで譲の部屋に勝手に上がってんの?」

 

 コーラさんは無反応に見えた。

 いつもの定位置で、コーラのキャップを開けて、飲みながらテレビを見る。


「ちょっと、聞いてるの?」

「り、理央。だめだって」

 

 コーラさんはリモコンを取って、テレビの音量を上げた。

 理央の口元が引きつる。

 

「なんなのコイツ!」

「理央ってば! いいから、ね、帰ろう?」

「ユズもユズ! お人よしもいい加減にしないと、こんなダメンズ引っ掛けることになるんだよ?」

 

 理央の言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。

 別に譲は、コーラさんに優しくしているつもりはない。彼が部屋に来るのを許容しているのは、優しさではなく。


 ――あの人みたいな目で、見てこないから。


 スマホを握りしめる。お守りのストラップが揺れた。

 

「とにかく、彼氏でも友人でもないなら、この状況はおかしいから。ケーサツ呼ぼう!」


 理央がそう言いだして、譲はぎょっとした。


「ま、待って理央。警察って」

「あなたも! 今すぐ出て行かないならケーサツ呼ぶわよ!」


 理央が110を入力したスマホ画面を、コーラさんに見せた。


「り、理央。だめだよ」

「ユズ。こういうのはしっかりと線引きしておいたほうがいいの。なあなあにすると、ずっと変わらないままなんだから!」


 理央は厳しい顔で、通話ボタンを押した。

 呼び出し音が鳴る。


 そして。


 ――おかけになった番号は、現在使われておりません。

 

 ああ。譲は自らのスマホを胸に抱いた。

 あのときと、同じだった。


「えっ? 何、どういうこと?」


 理央が戸惑っている。

 スマホを操作して、また110を打ち込んで、呼び出す。


 ――おかけになった番号は、現在使われておりません。


 影が落ちた。

 いつの間にかコーラさんが立ち上がって、理央を見下ろしていた。


「ひっ」


 理央が後ずさって、壁に背をつける。スマホが畳の上に落ちる。

 

「くそうるせえな。警察、警察って」


 その瞳が、冷たく輝いているように見える。

 空気が、すっと冷えた気がした。


「困るのは宮司だからよ、俺は問題ねえが……ここが騒がしくなるのは、めんどくせえんだよな」


 コーラさんの腕が伸びる。大きな手が、青ざめた理央の両目を覆うようにかぶせられる。

 譲ははっとして、その腕に駆け寄った。


「待って! 理央にひどいことしないで!」


 コーラさんが、ちらと譲を見る。

 理央の足から力が抜け、ずるりと座り込んでしまう。壁に背を預けて、横に倒れる。


「理央!」


 理央は、眠っているようだった。規則正しい呼吸が聞こえる。

 畳に落ちていた理央のスマホを、コーラさんが拾い上げる。通話終了のボタンを押して、理央の手の中に戻した。


「理央に何をしたの?」

「別に。暗示をかけただけだ。すぐ目覚める」


 言葉通り、理央はすぐ気がついた。頭を押さえながら、起き上がる。


「理央。大丈夫?」

「んー……ごめん、なんか寝ちゃってたみたい」


 うう、と唸りながら、理央が手元のスマホを見る。

 時間を確認して、「やば」とつぶやいて、立ち上がった。


「そろそろ帰んなきゃ。ユズ、また連絡するね」

「えっ、う、うん」


 部屋にはまだコーラさんがいる。

 なのに、理央はコーラさんが全く見えていないかのように素通りして、出て行った。

 ばいばーい!と手を振る理央は普段通りで、さっきの出来事がまるで嘘のようだ。


 譲は唖然として、理央の後姿を見送った。

 室内からは、テレビの音が流れてくる。音量が元に戻っている。


 部屋に戻る。

 コーラさんが、コーラを飲みながらテレビを見ている。


 この人が、何者なのかはわからない。普通の人ではないだろう。

 わかっている。出会った時から、普通ではなかった。


 譲は襖を閉めて、台所に向かった。やかんを取り出して、お湯を沸かす。


「おまえさ、あんまり変なもの連れてくんなよ」


 声をかけられて、譲は振り向いた。

 ――コーラさんから、話しかけられた。

 初めてのことだった。


「……理央は、友達です。変なものなんかじゃ」

「今のやつだけじゃねえ。毎日変なもの連れて来すぎなんだよ」


 広い背中が見える。顔をテレビに向けたまま、彼は言う。

 

「そのお守り」


 譲はどきりとした。

 シンクの上に置いたスマホのストラップに、自然と目が行く。

 お父さんの形見のお守り。


「さっさと捨てて、新品に交換しろ。宮司に祈祷してもらったやつな。少しは効果が見込める」

「え……」

「おまえ、何でもかんでも()()()()()()なんだよ。彼岸のやつらまで引き寄せやがって。俺が処理してやってるうちはいいが、それがなくなったら――」


 少しだけ低い声で、コーラさんは言った。


「――おまえ、そのうち死ぬぞ?」


 やかんのお湯が沸騰する音がして、譲はコンロの火を止めた。

 

「……」


 視線を落とす。

 ただ、コーラさんにお守りを捨てろと言われたことが、じわりと染みのように心に残る。


 お箸と箸置きを取り出す。

 鍋敷きとやかんをローテーブルに運んで、夕飯を用意した。


 テレビから笑い声が流れる。

 ちっとも面白くない。


 コーラさんが眉間に皺を寄せて、訊いた。


「……何これ」

「インスタントラーメンです」

「いんす……なんだって?」


 半分残ったペットボトルのコーラが、ローテーブルの上にあった。

 購入済みのシールが、ひっそり貼られていた。

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