05
「ユズ、帰りコンビニ寄っていかない? 付箋がなくなりそうなんだよね。あとアイス買いたい」
筆記用具を片づけながら、友人の理央がこっそり聞いてきた。
大学の図書館。手前の勉強用スペースは書架スペースよりも開放的で、普通に喋るくらいなら問題ないところだ。けれど、雰囲気的に堂々と喋るのは、はばかられるところがあった。
譲も理央に合わせて声を潜めながら返す。
「いいよ。私もお弁当、買っていこうかな」
「え。珍しい、ユズが自炊しないなんて」
「うーん。ちょっと疲れてて。夏バテかも」
「あー、最近ほんと暑いもんね」
二人並んで図書館を出る。
途端に、むわっとむせかえるような暑さが肌に張りついた。
「うわあ、夕方なのにこれはヤバすぎ。死んじゃう」
「来週の試験中、ずっと熱中症警報出てたよ」
理央が日傘を広げる。譲もキャップつきの帽子をかぶって、少しでも日差しを遮る。
短めのキュロットを履いていたが、全然涼しいとは感じられなかった。
構内にもコンビニはあったが、図書館とは正反対の位置だ。
歩いていくのがしんどいという理由で、駅近くのコンビニに行くことにした。
「ユズ、夏休みってどこか行くの?」
「ううん。多分こっちにいると思う」
「そうなの? 実家って神奈川だっけ。帰らないんだ?」
「うん、まあ……」
「帰ってこいって言われるんじゃない?」
「……どうかな」
「あ、ごめん。もしかして聞かれたくないことだった?」
譲は眉を下げて、首を振った。
「大丈夫。母が再婚してるから、それでちょっと」
「ああ、そっか。それはちょっと気まずいね」
駅までの道は、カフェや小さな書店、美容院などが並んでいる。
5分ほど歩けば、コンビニが見えてきた。
自動ドアをくぐると、冷えた冷気に出迎えられた。火照った肌が気持ちいい。譲は、ふうと息をついた。
理央に付き合って、筆記用具コーナーに向かう。
すぐに必要というわけではないが、自分もシャーペンの替え芯を買っておこうと思った。
「うおー、最後の一個! さすが試験前、品薄~」
理央が付箋を確保して、胸を撫でおろしている。
譲もシャーペンの芯を手に取って、お弁当コーナーへ回った。
おにぎりとサラダを手に取り、レジに向かう。
飲み物コーナーが目に入った。自然と、その背中に視線が吸い寄せられる。
コーラさんだった。
ほぼ毎日、譲の部屋に来て、テレビを見て夕飯を食べていく人だったが、外で出会ったのは初めてだ。
ローテーブルの前に座っている姿ばかり見ているため、こんなふうに離れた位置から立ち姿を見るのは、貴重かもしれない。
黒のシンプルなTシャツを着ていた。立っていると、頭部の小ささや足の長さが目立つ。均整の取れた体。イケメンは何を着ても似合う。
コーラさんは、ショーケースを開いて、ペットボトルを1本取り出した。コーラのラベル。さすがである。
そのまま、レジ待ちしている譲の方へ歩いてくる。
会釈したが、コーラさんは譲の脇を素通りしていった。
唖然とする。まさか無視されるとは思わなかった。
気づかなかった? 一応、毎日顔を合わせているのに?
もやもやして、その背中を目で追いかけて――
「えっ」
譲はぎょっとした。
慌ててコーラさんを追いかけ、その背中のシャツをつかむ。
「ちょっと!」
ガー、と自動ドアが開くのと、コーラさんを引き留めるのは同時だった。
「お、お会計! 忘れてます!」
なるべくコーラさんにだけ聞こえる声で知らせる。
振り返ったコーラさんは、驚いた顔をしている。驚いたのはこっちだ、と言いたい。レジを通すことなく、出ていくなんて。
コーラさんは、譲の顔を見てから、すぐにその斜め後ろに視線をやった。そのあとに、気づいたように言う。
「ああ……なんだ。おまえか。宮司の孫」
「譲です。白川譲。それよりも」
まだ名前も覚えられていなかったらしい。
譲はコーラさんを、レジの待機列まで引っ張っていった。
「お会計。ちゃんとしてから出ましょう。じゃないと犯罪ですよ」
「問題ねーよ」
ありまくりだ!
「ユズー? どうしたの?」
アイスクリームを選び終わった理央が、やってきた。コーラさんを見て、動きを止める。
「え、誰?」
理央の視線が、譲とコーラさんと、そのTシャツを引っ張る譲の手を行き来する。
「もしかしてユズの彼氏――」
「ちがいます」
譲はぱっとシャツから手を離すと、コーラさんが持っているペットボトルを奪い取った。
「おい」
「お会計してきますから」
ちょうどレジが譲の番だった。
おにぎりとサラダ、シャーペンの替え芯、そしてコーラ。
キャッシュレスで決済して、エコバッグに入れる。
コンビニを出るとむわっと熱気が押し寄せたが、譲はほっと安堵の息をついた。
よかった。コーラさんを犯罪者にしてしまうところだった。
次いで出てきたコーラさんに、ペットボトルを渡す。
彼は不機嫌そうな顔だった。
「次からあんなことしちゃだめですよ」
「あんなことって?」
「お金を払わないで商品を持っていっちゃうこと。常識ですよ?」
「……常識、ね」
コーラさんは不愉快そうに、譲を――否、譲の斜め後ろを見ている。
「毎度、よく平気で過ごせるもんだな」
「はい……?」
首を傾げると、舌打ちされた。
「鈍感すぎだろ。本当にあいつの血筋か?」
その視線が、譲の持つスマホのストラップに移る。また眉間に皺が寄った。
大きめの嘆息。そして、コーラさんは手を横に凪いだ。
爽やかな風が横を通り抜けて、譲ははっと後ろに目をやった。
何かきらきらと光り輝くものが、空へ吸い込まれていくような光景が、ほんの一瞬見えたような気がしたが――
瞬きをすると、何の変哲もないいつもの光景だった。
甘い香りだけが、広がる。
自動ドアが開く。
「ユズ、お待たせ。さっきの人大丈夫だった?」
理央だ。
いつの間にか、コーラさんはいなくなっていた。
「あ、うん……」
ふわ、と立ち上る金木犀のような香りで、譲は気がつく。
空腹。さっきまで全然、食欲がわかなかったのに。鬱々とした気持ちも消えている。
「すごいイケメンだったけど、どういう知り合い? なんかユズのイメージとギャップありすぎて、知り合う経緯が想像できないんだけど」
「あはは……なんていうか、まあ、なし崩し的に知り合ったというか……」
「大丈夫なの? ちょっと危ない雰囲気の人だったからさ」
危ない――のだろうか。
確かにコーラさんは、だいぶおかしな人ではあるが。悪い人ではない……はずだ。
「ユズは断れないタイプだしな~、いいように遊ばれてないか心配」
「そういう関係じゃないから」
少なくとも、色恋関係ではないと思う。
コーラさんは、譲の顔も名前も憶えていなかった。
毎日2時間だけ部屋にやってきて、夕飯を共にする。なのにまったく覚えられていないのは、少し……否、結構寂しいものではあったが。
でも、それでいいのかもしれない。彼と深く関わることを、祖父はあまり歓迎していないようだから。
今くらいの距離が、きっと適切なのだ。
「あんまり変な人に優しくしちゃだめだからね、ユズ」
「しないよ、変な人には」
「ほんとかなぁ……あ、そうだ。ねえユズ、明日ユズの部屋に勉強しにいってもいい?」
「え……」
「ダメ?」
理央は、買ったばかりのアイスのパッケージを破った。すでに溶けだしたアイスバーが、ポタ、と地面に染みを作る。
譲は、少しだけ考えた。
明日は、木曜日だ。木曜のコーラさんは、6時くらいにやってくる。
「……うん、わかった。いいよ。5時くらいまでになっちゃうけどいい?」
なんとなく、二人を会わせない方がいいような気がした。
理央の中でコーラさんの印象は良くないみたいだし、さらに変な勘違いが起こるといけない。
「じゃあ明日、午前中から行くわ。お菓子持っていくねー」
理央を駅まで送って、帰路につく。
「おなかすいたな……」
つぶやいて、足を速めた。
自分のおにぎりとサラダは買ったけれど、コーラさんの分の夕飯は考えていなかった。
どうしようか。コーラさんもおにぎりでいいかな。
明日も暑くなりそうだった。




