03
蛍光灯の白が金の髪に落ちる。
芸能人だと紹介されたら、絶対に信じてしまう顔の造作。銀のピアスが複数個。
むき出しの二の腕と胸。
肩から提げていた旅行鞄が、どさりと床に落ちる。
男が、ちらと、譲に視線を流した。
思わず譲は後ずさる。落とした旅行鞄に足を引っかけて、しりもちをついた。
け、警察。呼ばないと。
震える手でスマホを操作しようとして、男がまったく動かないことに気がついた。
すでに譲を見ていない。テレビ画面に釘付けだ。
「……」
譲は、ぐるりと部屋を見た。
畳の部屋だった。東側に大きめの窓があって、障子が閉まっている。その手前にベッド。実家から送った。
西側の壁にテレビ。これは持ってきていない。もともとあったものかもしれない。
奥の壁に引き戸のガラス戸。多分キッチンだ。
ベッドの脇に、段ボールが積み重なっていた。
くすんだ赤の迷彩パーカーと黒いVネックのシャツが、その上に広げられている。下敷きにされた段ボールが、水で湿っているのが見えた。
ふと男が動く。譲は一瞬固まったが、彼は持っていたペットボトルのキャップを開いて、口へ運んだだけだった。
――コーラのペットボトル。
テレビから笑い声が上がる。
譲は恐る恐る訊いた。
「……あの。ここで……いったい、何を……?」
「見りゃわかんだろ、テレビ見てんだよ」
こちらを見ることもせずに、冷たく返されて、口がふさがらない。
譲はもう一度、部屋の中を見渡した。玄関に積まれてある段ボールが、自分の送ったものであることを確認する。
間違いない。ここは譲の部屋だ。
譲は立ち上がった。部屋と玄関を隔てる襖を盾にして、もう一度話しかける。
「あ、あの」
「うるせーな。今いいとこだから黙っといてくんない?」
傍若無人すぎる……。
譲は眉を寄せた。
やはり警察を呼ぶべきだろうか、と逡巡したところで、テレビがCMに入った。
「あの……ですね。すみませんが、どちら様でしょうか。ここは今日から私の部屋なのですが、部屋を間違えていませんか」
「おまえの部屋?」
「そうです」
「知らん。聞いてねえ」
「聞いてなくても、そうなんです」
きゅ、とペットボトルのキャップが開けられる。
コーラをラッパ飲みして、流れるCMを眺めている。
やっぱり警察を呼ぼう。譲はスマホを取り出した。
1、1、0と番号を打ち込んで、通話ボタンを押す直前。
「おい」
手元に影がかかった。
――動いた気配なんてなかったのに。
男が譲を覗き込んでいた。
襖よりも背が高い。鴨居に手をかけて、頭をくぐらせるような姿勢で立っている。
部屋の光がその体に遮られて、玄関が一気に暗くなった。
「あっ……」
自然と足が後ろに下がる。手が震えて、通話ボタンに触れる。
コール音。
――おかけになった番号は、現在使われておりません。
スピーカーから流れる機械的な音声に、呆然となる。
画面には確かに、110と数字が並んでいる。そんなばかな、と思った。
す、と男の手が、スマホを取り上げる。長い指が、通話終了のボタンを押す。
「警察はめんどくせーからだめだ。宮司に迷惑がかかるしな」
そう言って、彼はスマホを譲の手に戻す。
ふっと圧力がなくなって、光が戻ってくる。
男は先ほどと同じ場所に座って、CMが終わったテレビ画面を見ていた。
今、何が起きた?
譲は、通話履歴を開いた。110番。している。確かに。
呼吸が少し浅くなった。
そのとき。
がらりと、玄関の引き戸が開いた。
「ごめん譲ちゃん、ちょっと伝え忘れたことが――」
祖父だった。
玄関で棒立ちする譲の姿を見て、首を傾げる。
「どうしたんだ、そんなところで」
そして奥の部屋に視線を送り――目を見開いた。
その瞬間、譲は、祖父の瞳からすうっと熱が下がっていくのを見た。
「……なぜ、あなたがこちらに?」
テレビ番組が流れている。金髪の男が舌打ちした。
「どうもこうもねーよ。ここでテレビ見るのが俺の日課なんだよ」
「なるほど……」
少し考え込むように視線を下げてから、祖父が離れに上がってくる。部屋の隅に座る。
「これから四年、ここは孫娘に貸すことになっていまして。社務所にもテレビはあるので、そちらに移ってもらうことは?」
「あそこは遠いし、うるさい」
「縁遠くなったほうがよろしいのでは? 孫は大学生ですし、これから多くの縁を引き連れてきますよ」
どっと、テレビ番組の芸人が笑いを呼んでいる場面が映った。
男が、眉間の皺を深めた。
祖父の顔をねめつけて、いまだに部屋の外にいる譲の方をちらと見る。
CMになった。
男は大きく息をついて、パーカーとシャツを引ったくった。
「本当にめんどくせえ奴らだ。わかったよ、今日のところは社務所に行ってやる。これは貸しだぞ」
大股で部屋を横切り、鴨居をくぐって譲のそばを通り過ぎていく。
次いで立ち上がった祖父が、男を追いかけた。
「今日のところは、ですか……」
「社務所ごと、近くに移ってきたら考えてやる」
男は、どこからか出した厚底ブーツを履き、まだ乾いていないシャツに腕を通した。
パーカーを肩に引っ掛けて、外に出る。
最後に、彼はもう一度、譲に視線を流した。
不愉快そうな視線だった。
「譲ちゃん」
祖父が、申し訳なさそうな顔をしていた。
「私のミスだ、ごめん」
「え……」
「まさか彼がこの離れに出入りしていたとは。把握していたら、他の下宿先を探したんだが」
譲は大きく首を振った。
「いえ! おじいちゃんは十分よくしてくれてます! だから、謝らないで……」
祖父は苦笑すると、玄関に座って、履物を履いた。
「あの、おじいちゃん。今の人……」
「ああ、うん。……事情があってね。ちょっと誤解を招く態度が多いだけで、悪い方じゃないんだ」
よいしょ、と立ち上がる。
「安心しなさい。こちらが何もしなければ、無害な方だから」
「……無害」
「ははは、とてもそうは見えないだろうけどね。本当だよ」
祖父は笑顔を見せると、ああそうだ、と靴箱の上のファイルを差し出した。
「これ。うちのゴミの回収曜日と分別表。さっき渡すの忘れていたやつ」
「あ。ありがとうございます」
「うん。じゃあ私は帰るよ。おやすみ譲ちゃん」
「はい。おやすみなさい」
玄関が閉まって、譲は一人になった。
鍵をかけてから、無人の部屋に入る。つけっぱなしのテレビを消すと、途端に静かになった。
シーツを敷いていないベッドマットレスに腰かける。ふう、と息をつく。
ここに来る前よりはるかに体調は良くなっていたけれど、精神的にどっと疲れた。
話が通じない人は、ちょっと苦手だ。
背が高くて、体が大きな人も、ちょっと苦手だ。
ああ、でも、芸能人のようなあの綺麗な顔は、観察し甲斐があるかもしれない。男性アイドルにハマっていた高校の友人に話したら、きっと話が弾むだろう。
ころりとマットレスに寝転がると、部屋の中央のローテーブルの下に、空のペットボトルが転がっているのが見えた。
コーラのラベル。
むむ、と譲は身を起こして、ペットボトルを拾い上げた。
毎週水曜日。ペットボトルの回収日。さっき渡された分別表と照らし合わせる。
今日は木曜日。来週まで待たないといけない。はあ、と譲は息を吐いた。
やっぱり苦手な人かもしれない、と思った。
でも、祖父の言い方的に、また会うことになるんだろうな――。
譲は台所で、ペットボトルを洗った。




