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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
1. 縁、あるいは災難
4/25

03

 蛍光灯の白が金の髪に落ちる。

 芸能人だと紹介されたら、絶対に信じてしまう顔の造作。銀のピアスが複数個。

 むき出しの二の腕と胸。


 肩から提げていた旅行鞄が、どさりと床に落ちる。


 男が、ちらと、譲に視線を流した。

 思わず譲は後ずさる。落とした旅行鞄に足を引っかけて、しりもちをついた。


 け、警察。呼ばないと。

 震える手でスマホを操作しようとして、男がまったく動かないことに気がついた。

 すでに譲を見ていない。テレビ画面に釘付けだ。


「……」


 譲は、ぐるりと部屋を見た。

 畳の部屋だった。東側に大きめの窓があって、障子が閉まっている。その手前にベッド。実家から送った。

 西側の壁にテレビ。これは持ってきていない。もともとあったものかもしれない。

 奥の壁に引き戸のガラス戸。多分キッチンだ。


 ベッドの脇に、段ボールが積み重なっていた。

 くすんだ赤の迷彩パーカーと黒いVネックのシャツが、その上に広げられている。下敷きにされた段ボールが、水で湿っているのが見えた。


 ふと男が動く。譲は一瞬固まったが、彼は持っていたペットボトルのキャップを開いて、口へ運んだだけだった。

 ――コーラのペットボトル。


 テレビから笑い声が上がる。


 譲は恐る恐る訊いた。


「……あの。ここで……いったい、何を……?」

「見りゃわかんだろ、テレビ見てんだよ」


 こちらを見ることもせずに、冷たく返されて、口がふさがらない。

 譲はもう一度、部屋の中を見渡した。玄関に積まれてある段ボールが、自分の送ったものであることを確認する。

 間違いない。ここは譲の部屋だ。


 譲は立ち上がった。部屋と玄関を隔てる襖を盾にして、もう一度話しかける。


「あ、あの」

「うるせーな。今いいとこだから黙っといてくんない?」


 傍若無人すぎる……。

 譲は眉を寄せた。

 やはり警察を呼ぶべきだろうか、と逡巡したところで、テレビがCMに入った。


「あの……ですね。すみませんが、どちら様でしょうか。ここは今日から私の部屋なのですが、部屋を間違えていませんか」

「おまえの部屋?」

「そうです」

「知らん。聞いてねえ」

「聞いてなくても、そうなんです」

 

 きゅ、とペットボトルのキャップが開けられる。

 コーラをラッパ飲みして、流れるCMを眺めている。

 

 やっぱり警察を呼ぼう。譲はスマホを取り出した。

 1、1、0と番号を打ち込んで、通話ボタンを押す直前。


「おい」


 手元に影がかかった。


 ――動いた気配なんてなかったのに。


 男が譲を覗き込んでいた。

 襖よりも背が高い。鴨居に手をかけて、頭をくぐらせるような姿勢で立っている。

 部屋の光がその体に遮られて、玄関が一気に暗くなった。


「あっ……」


 自然と足が後ろに下がる。手が震えて、通話ボタンに触れる。

 コール音。

 

 ――おかけになった番号は、現在使われておりません。

 

 スピーカーから流れる機械的な音声に、呆然となる。

 画面には確かに、110と数字が並んでいる。そんなばかな、と思った。


 す、と男の手が、スマホを取り上げる。長い指が、通話終了のボタンを押す。


「警察はめんどくせーからだめだ。宮司に迷惑がかかるしな」


 そう言って、彼はスマホを譲の手に戻す。

 ふっと圧力がなくなって、光が戻ってくる。

 男は先ほどと同じ場所に座って、CMが終わったテレビ画面を見ていた。


 今、何が起きた?

 譲は、通話履歴を開いた。110番。している。確かに。

 呼吸が少し浅くなった。


 そのとき。


 がらりと、玄関の引き戸が開いた。


「ごめん譲ちゃん、ちょっと伝え忘れたことが――」


 祖父だった。

 玄関で棒立ちする譲の姿を見て、首を傾げる。


「どうしたんだ、そんなところで」


 そして奥の部屋に視線を送り――目を見開いた。

 その瞬間、譲は、祖父の瞳からすうっと熱が下がっていくのを見た。


「……なぜ、あなたがこちらに?」


 テレビ番組が流れている。金髪の男が舌打ちした。


「どうもこうもねーよ。ここでテレビ見るのが俺の日課なんだよ」

「なるほど……」

 

 少し考え込むように視線を下げてから、祖父が離れに上がってくる。部屋の隅に座る。


「これから四年、ここは孫娘に貸すことになっていまして。社務所にもテレビはあるので、そちらに移ってもらうことは?」

「あそこは遠いし、うるさい」

「縁遠くなったほうがよろしいのでは? 孫は大学生ですし、これから多くの縁を引き連れてきますよ」

 

 どっと、テレビ番組の芸人が笑いを呼んでいる場面が映った。

 男が、眉間の皺を深めた。

 祖父の顔をねめつけて、いまだに部屋の外にいる譲の方をちらと見る。


 CMになった。

 

 男は大きく息をついて、パーカーとシャツを引ったくった。

 

「本当にめんどくせえ奴らだ。わかったよ、今日のところは社務所に行ってやる。これは貸しだぞ」


 大股で部屋を横切り、鴨居をくぐって譲のそばを通り過ぎていく。

 次いで立ち上がった祖父が、男を追いかけた。


「今日のところは、ですか……」

「社務所ごと、近くに移ってきたら考えてやる」


 男は、どこからか出した厚底ブーツを履き、まだ乾いていないシャツに腕を通した。

 パーカーを肩に引っ掛けて、外に出る。


 最後に、彼はもう一度、譲に視線を流した。

 不愉快そうな視線だった。


「譲ちゃん」


 祖父が、申し訳なさそうな顔をしていた。


「私のミスだ、ごめん」

「え……」

「まさか彼がこの離れに出入りしていたとは。把握していたら、他の下宿先を探したんだが」


 譲は大きく首を振った。


「いえ! おじいちゃんは十分よくしてくれてます! だから、謝らないで……」


 祖父は苦笑すると、玄関に座って、履物を履いた。


「あの、おじいちゃん。今の人……」

「ああ、うん。……事情があってね。ちょっと誤解を招く態度が多いだけで、悪い方じゃないんだ」


 よいしょ、と立ち上がる。

 

「安心しなさい。こちらが何もしなければ、無害な方だから」

「……無害」

「ははは、とてもそうは見えないだろうけどね。本当だよ」

 

 祖父は笑顔を見せると、ああそうだ、と靴箱の上のファイルを差し出した。


「これ。うちのゴミの回収曜日と分別表。さっき渡すの忘れていたやつ」

「あ。ありがとうございます」

「うん。じゃあ私は帰るよ。おやすみ譲ちゃん」

「はい。おやすみなさい」


 玄関が閉まって、譲は一人になった。

 鍵をかけてから、無人の部屋に入る。つけっぱなしのテレビを消すと、途端に静かになった。

 シーツを敷いていないベッドマットレスに腰かける。ふう、と息をつく。

 ここに来る前よりはるかに体調は良くなっていたけれど、精神的にどっと疲れた。


 話が通じない人は、ちょっと苦手だ。

 背が高くて、体が大きな人も、ちょっと苦手だ。

 ああ、でも、芸能人のようなあの綺麗な顔は、観察し甲斐があるかもしれない。男性アイドルにハマっていた高校の友人に話したら、きっと話が弾むだろう。


 ころりとマットレスに寝転がると、部屋の中央のローテーブルの下に、空のペットボトルが転がっているのが見えた。

 コーラのラベル。


 むむ、と譲は身を起こして、ペットボトルを拾い上げた。

 毎週水曜日。ペットボトルの回収日。さっき渡された分別表と照らし合わせる。

 今日は木曜日。来週まで待たないといけない。はあ、と譲は息を吐いた。


 やっぱり苦手な人かもしれない、と思った。

 でも、祖父の言い方的に、また会うことになるんだろうな――。

 譲は台所で、ペットボトルを洗った。

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