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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
4. 呼べない名前
18/20

01

 買ったばかりの水着とサンダル、下着や日焼け止めなどのスキンケア用品をテーブルに並べる。

 帽子もいるかな、と壁際にかけたキャップを取った。

 それから着がえやタオル、スマホの充電器、ウェットティッシュや薬など――あれもこれもと用意していたら、ベッドの上とテーブルの上だけでなく、床まで物であふれていた。

 

 ちらと時計を見ると、午後3時を指すところだった。早く準備しないと。

 譲は、旅行鞄の口を大きく開けて、折りたたんだ着がえとパジャマを詰めた。


 がらりと、玄関の引き戸を開く音がする。まさか、ともう一度時計を見た。

 履物を脱ぐリズムや、特徴的な足音。間違いない、と譲は慌てた。

 襖が開く。


「ば、万ちゃん、ちょっと待って――」


 襖を開けた万華は、部屋の惨状を見て、少しだけ目を細めた。


「なんだよ」

「す、すみません。今、旅行の準備をしてて。こんなに早く来るとは思わなかったから」

「風邪、治ったんだろ。3日分、回収しに来た。さっさと場所空けろ」

 

 鴨居をくぐった万華が、床に広げた荷物を踏まないようにしながら、近づいてくる。「リモコンは?」と聞かれた。

 譲は、万華がいつも座る場所の荷物を集めて、とりあえずベッドの上に置く。


「リモコンはローテーブルの上に……あ」


 そういえば今、テーブルの上も荷物でいっぱいだ。それも、水着や下着などの――

 慌てて振り向く。万華の視線が、ローテーブルの上に落ちていた。


 薄いミントグリーンの水着。白いラッシュガード。新品の下着。


 譲は反射的に、テーブルの前へ飛び出した。


「み、見ないでください!」

「見てねえよ」


 万華は心底面倒くさそうに言って、譲の頭越しにテレビのリモコンを探した。


「リモコン」

「だから、その、今……!」

「おまえが勝手に散らかしてんだろ」


 その通りだった。何ひとつ言い返せない。

 譲は顔が熱くなるのを感じながら、テーブルの上のものをかき集めた。下着だけでも見えないところに、と手を伸ばしたところで、万華の視線がふと止まる。


「……水着?」


 低い声だった。

 譲の手が止まる。


「あ、はい。明日から、ゼミのみんなで海に行くので」

「海?」

「一泊二日で、現地調査も兼ねて。その、明日しか予約が取れなくて、急な話なんですけど……」


 言いながら、だんだん声が小さくなっていく。


「ふうん」


 それだけ言って、万華は天板が見えるようになったローテーブルから、リモコンを拾った。

 テレビの電源がついた。明るいバラエティ番組の音が、散らかった部屋に流れ出す。

 譲は、水着を胸に抱えたまま、そろりと顔を上げる。


「あの……何か?」

「別に。人間は、彼岸のものが寄りやすい場所に、わざわざ肌を晒しにいくんだなと思っただけだ」

「……えっと」


 万華は定位置に座ると、それきりテレビに目をやって黙る。

 

 譲は、抱えていたものをベッドの上に下ろして、一旦片付けをすることにした。

 ジップロックを持ってきて、細かいものを整理し、旅行鞄に詰め込んでいく。

 

 ――彼岸のものが寄りやすい場所。


 譲は考えた。確かに、海には怖い話が多い。引きずり込まれるとか、帰ってこないとか、夜の波音に呼ばれるとか。そういう話を、譲も聞いたことがある。


 ――そりゃ彼岸のやつらも居心地がいいだろうな。おまえなら受け入れてくれるって、どんどん集まってやがる。


 譲にとって、海は危ない場所ということなのだろうか。

 けれど、この旅行は課題の現地調査も兼ねている。宿の予約をしたのは譲だし、休むわけにはいかない。


 譲は、壁にかけたリュックを手に取った。

 ジッパーには、万緒神社のお守りをつけている。父の形見は白地に紫の刺繍糸が使われていたが、新しいものは白地に紅の刺繍糸だ。


 CMに入って、万華が台所に行った。冷蔵庫からコーラを取り出して、早速キャップを開けている。

 戻ってきたときに、コーラを飲む彼が譲に視線を向けた。リュックに揺れるお守りを見て、眉が寄る。


「あ。ち、違いますよ。これは新しく買ったやつで、お父さんのは、今朝おじいちゃんに預けてきたので……」


 言い訳のように早口になってしまった。


「何も言ってねえだろ」

「あ……すみません」

「またそれか」

 

 呆れたように言われて、譲はうつむいた。


 今朝、お守りを渡したとき、祖父は少し寂しそうに目を細めていた。けれど、最後には納得してくれた。古くなったお守りは、逆に穢れをためてしまうからと、万華と同じようなことを言っていた。

 

「譲ちゃんが自分で決めてくれて、よかったよ」

 

 そう言ってくれた祖父の顔を思い出すと、胸の奥が少し痛む。


 ふと影が落ちて、手元が暗くなる。

 目の端に、万華の裸足の足が見えた。顔を上げれば、黒いVネックのシャツから覗く鎖骨が目に入って、どきりとする。


「……おいこれ、祈祷してもらってねえだろ」

「えっ、え?」

 

 大きな手が伸びて、リュックのジッパーに繋がったお守りをすくいあげた。

 リュックが、お守りを引っぱる力でわずかに浮き上がる。

 近い。


「ただそこで売ってるだけのやつじゃねえか」

「だ、だめ、なんですか……?」

「あそこにあんのは、薄い縁結びの効果しかねえ。祈祷してもらえって言っただろ」

「で、でも……」

 

 8月に結婚式があるから、その準備で祖父はだいぶ忙しくしている。そこに譲の個人的な頼みをお願いするのはどうしても気が引けた。

 譲の考えなんて、全部お見通しらしい。万華が舌打ちする。


「宮司の都合を言い訳にすんじゃねえ」


 はっとして、万華を見上げる。

 不愉快そうに細められた目が、譲を見下ろしていた。こんな近距離で目が合ったのは、初めてのことで――明らかに責められているのに、譲は全く別のことを連想してしまった。

 

 黒い瞳に、ちらちらと映りこむ赤と青。炎か、あるいは稲妻か。おそらく光の具合でそう見えるのだろうけれど、不思議な瞳だった。

 同じ神である宗真の美しいだけの瞳とは、また違う。彼の瞳はガラス玉のようなつるつるした美しさだったけれど、万華の瞳は、まるで深い水底に火が沈んでいるかのような気配があった。


 舌打ちとともに、ふと瞳がそらされる。

 お守りから手が離されて、譲の体にかかっていた影が消えた。

 とっくにCMが終わっていた。万華が定位置に戻っていく。その背中は不機嫌そうだ。


 ――もしかして、心配してくれたのかな。


 一瞬そう考えてから、ふるりと頭を振った。

 万華のことだ、ただ以前言ったことを譲が守っていないから、怒っただけなのかもしれない。あるいは、海で彼岸のものを引き寄せてしまい、どうしようもなくなって、また彼の名を呼ぶ。そんな事態を避けたいだけなのかもしれない。

 でも……。


 ――宮司の都合を言い訳にすんじゃねえ。


 まっすぐ、譲の柔らかいところを刺してきた。強がりも、ごまかしも、万華の前では通じない。

 それは、彼が神様だから?

 

「……」


 譲は、ぎゅっとリュックを抱きしめた。


「……おじいちゃんのところに、行ってきます」


 そう決めると、ふっと楽になった気がする。

 新しいお守りを持って、部屋を出ようとする。

 

「あっそ」

 

 軽い声が返った。

 譲は思わず振り返った。番組中に返事があるとは思わなかった。


 バラエティ番組が流れている。万華がそれを見ながら、コーラを飲んでいた。

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