02
メッセージを打ち込んで、でも送信できなかった。
譲は、打ち込んだ文章を削除した。表示されている名前は「万ちゃん」。まだ一度も、メッセージを送ったことがない。
――くだらねえことで送ってくんなよ。
何がだめで、何なら送っていいんだろう。
その境目がわからなくて、毎回、文章を打ち込んでは消しての繰り返しだった。
譲は付箋を取り出すと、手書きでメッセージを書いた。
『カレーを作りました。冷蔵庫に入れてあります。ごはんは冷凍してあります。温めて食べてください』
それを、テレビのリモコンに貼っておく。
リュックを背負う。昨日、祈祷してもらったお守りが揺れていた。
旅行鞄を持って、離れを出る。日が昇ったばかりなのに、すでに熱気がこもり始めていた。
拝殿前で、奥の本殿へ繋がる扉に視線をやった。こんな時間に彼が起きているはずもない。すぐに目をそらして、駅へ向かった。
遅れるのが怖くて早めに出たのだが、一番乗りは藤本くんだった。
待ち合わせ場所のベンチで読書していた彼は、譲の姿を見つけると、栞を挟んで本を閉じた。
「おはよう、白川さん」
「おはようございます。藤本くん、早いですね」
「友達と旅行なんて初めてでさ。実は楽しみで眠れなかった」
はにかむ藤本くんを見て、譲はふふっと笑った。
「何を読んでるんですか?」
「ああ、これ?」
藤本くんは文庫本の表紙を譲の方へ向けた。
三島由紀夫の『潮騒』だった。
「海に行くから、なんとなくね」
「なんとなくで三島由紀夫を読むんですね」
「そんなに難しくないよ。これはわりと素直な恋愛小説だし」
二人でベンチに腰掛けて、メンバーを待つ。
屋根があって影になってはいても、じりじりとした暑さからは逃れられそうもない。
譲はハンディ扇風機を取り出した。リュックに結んだお守りが、扇風機の風でふわふわと揺れる。
藤本くんの視線が、お守りで止まった。少しだけ、微妙な表情になる。
「万緒神社だっけ。縁結びで有名だよね」
「あ、はい。そうみたいですね」
「……好きな人がいるから買ったの?」
「いえ。これはどっちかっていうと、厄除けです」
「ああ、そうなんだ」
藤本くんはそれ以上は聞かず、鞄から小さな扇風機を取り出した。2つの羽音が、ベンチの上で重なる。
やがて全員が時間通りに集まり、譲たちは電車とバスを乗り継いで、目的の海へ向かった。
「見てユズ、海が見えた」
混雑した車内で、理央が声を上げる。
「すごーい、砂が真っ白!」
「ほんとだ」
車窓いっぱいに広がる海に、譲もおお、と声を漏らす。
実家からも海はよく見えた。見慣れたものだと思っていたけれど、大きく開いた海岸と白い砂浜の迫力は、格別のものがあった。
かなり早く出発したけれど、砂浜にはすでにたくさんのパラソルが立ち並んでいた。
予約していたホテルでチェックインを済ませ、水着に着替えると、譲たちはすぐに浜へ向かった。
場所を確保した後は、男性陣がパラソルを借りに行った。
「お盆休みはもっと人が混むだろうから、この時期に来られてよかったね」
「本当にね。天気にも恵まれてよかった」
譲は、人で賑わうビーチを見渡した。
比較的、波に近いあたりに場所を確保できた。さまざまな水着を着た人々が海に入っている。家族連れや恋人たち、自分たちと同じような学生グループも多そうだった。
「ねえユズ、ユズって今、彼氏いないよね?」
「えっ?」
理央の質問に、きょとんとする。
「いないけど……」
「だよね。うん、ごめんちょっとした確認」
「確認……?」
「前にコンビニで変な金髪の男と話してたしさー」
心臓がざわりと音を立てた。
「……あれは」
「うん、まあ何もなければいいんだけどね」
理央が覚えているとは思わなかった。彼に関する記憶は全部消えたのだと思っていたけれど、消えたのは、あの離れでの出来事だけだったのかもしれない。
「ユズは合コンいくら誘っても来ないから、てっきり彼氏いると思ってたなー」
と、真帆が話に入ってくる。
「そういうわけでは……。合コンはお金かかるし、帰りが遅くなるから。夕飯はなるべく家で取りたくて」
「ユズは堅実だなぁ。彼氏いらないわけじゃないんでしょ? 今日待ち合わせの時、藤本くんといい雰囲気だったじゃん、彼はどうなの?」
「藤本くん?」
譲は首を傾げる。いい雰囲気と言われても、全然思い当たる節がない。
理央と真帆は、お互いに目配せしあって、苦笑した。
「これは藤本くんも大変だわ」
「……いやあの、どうして藤本くん?」
「どうしてって、見てたらわかるじゃん。譲に優しいし、よく見てるし」
意味がわからない。
彼が優しいのは元々だし、リーダーとしてメンバーのことに気を配るのは当然だと思うのだが。
そう言うと、二人はケラケラと笑った。
「ユズって鈍いよねー。そこがかわいいけど」
「藤本くん頑張ってるのに全然伝わってないじゃん。罪作り〜! ちょっとは意識してあげなよ」
「藤本くんとユズ、お似合いだと思うよ」
「……私、お手洗い行ってきます」
譲はリュックを掴むと、ビーチ沿いに設置されたトイレに向かった。
後ろから「ユズが逃げた〜!」と声がしたが、無視する。これ以上あそこにいると、延々と同じ話が繰り返されそうだった。
トイレは混んでいた。並んで用を足すと、遠目に自分たちが確保した場所にパラソルが立っているのが見えた。男性陣が戻ってきたのだろう。
そこに戻ろうとして、ふっと黒いシャツを着た男性が横切った。
金色の髪――思わず目で追いかける。一歩、足がそちらへ向きかけた。
すぐに、違うとわかった。
当たり前だ。万華がここにいるなんてあり得ない。
なのになぜか、海辺に立つ彼の姿を想像してしまった。
「……」
譲は息をついた。
どうしてこんなに胸がざわざわするのか。
よくわからなかった。




