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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
3. 文字化けした名前
13/23

02

 時間が過ぎていく。

 譲は、ごくりと唾を飲んだ。


 目の前には、重厚な扉がある。その向こうは、神社の最奥に位置する、本殿と呼ばれる建物。

 そして、どうやら万華の部屋でもあるらしい。

 

 待ち合わせ時間から15分が過ぎて、拝殿前でうろうろしていた譲を、祖父が見かねたように事情を聞いてきた。

 コーラさんと一緒にコーラミュージアムに行くのだ、と言ったら、祖父はものすごく驚いていた。

 けれど、肝心のコーラさんが待ち合わせ時間にやって来ないのだ。


 祖父は事情を理解して、本殿に繋がる扉を開けてくれた。

 ――あの方はまだ寝ていると思うよ。朝がとても弱いから。起こしてあげないと、自力で起きてくるのはきっと昼過ぎになるよ。

 

 境内は夏でも少しひんやりした空気が流れていたが、本殿に近づくと、よりいっそう冷えた空気が立ち込めている。

 ペールグリーンのワンピースの裾が、ふわりと揺れた。


 譲はそっと、扉をノックした。

 応答なし。


 大きく息を吸って、扉に手をかける。

 鍵はかかっていなかった。扉は見た目よりも軽く、簡単に開いた。


 そっと中を覗き込んだ。


「コーラさん、いますか?」


 声をかけた。

 応答なし。


 本殿の中は、薄暗かった。


 窓はあったが、それを塞ぐように、大量の段ボール箱が積みあげられている。

 四畳か五畳の部屋だと思うが、部屋の半分以上が同じ段ボール箱で埋まっていた。

 よく見れば、コーラの箱だった。


 もしかして、これ全部……。


 靴を脱いで、中に上がった。

 中はしんとしている。唯一、低い唸り声を上げているのは、段ボールに囲まれている2ドアの冷蔵庫だけだ。


 奥にもうひとつ扉があった。横開きの襖。


 手を伸ばして、けれど少しだけ迷った。

 普段はしない細い腕時計が目に入る。時間がない。


「……あ、開けますからね」


 声をかけてから、襖を開く。


 窓は、閉められていなかった。カーテンはなく、日の光がまっすぐ入り込んで、部屋の中を柔らかく染めている。


 大きめの寝台と、サイドテーブルがあるだけの部屋だった。テーブルの上に煙管(キセル)が置かれていたが、火はついていない。

 床は脱ぎ捨てられた服と、空のペットボトルで埋まっていた。

 

 金色の髪が、枕に埋まっていた。柔らかい朝の光が落ちて、髪は空気に溶けこんでいるかのようだった。

 閉じられた瞳。睫毛が影を落としている。あどけない寝顔。

 

 うつ伏せだった。

 裸の上半身がそこにあった。

 普段は服と派手なアクセサリーに紛れて、体つきまで意識したことはなかった。

 何も着ていない背中は、思っていたよりずっと広かった。肩から腰にかけて余分なものはないのに、筋肉の線がはっきりしている。柔らかな朝の光の中で、そこだけ妙に生々しい。寝台が狭く見えた。

 

 布団がベッドの下に落ちている。

 腰のあたりに、浴衣らしき布がくしゃくしゃとたわんでいた。帯がほどけ、浴衣の一部と一緒にベッドの下に垂れさがっている。かろうじて腰と片足に引っかかる形で保っているが、あと少しでも動いたら全部床に落ちて、その下が見えてしまう――。


 譲は思わずのけぞった。足が滑って、冷蔵庫に肩をぶつける。しりもちをつく。どん、と大きな音がした。


 もぞり、とベッドの上の腕が動いて、後頭部に手が埋まった。

 低い声と吐息。ゆっくり瞼が開いて、譲の方をぼんやり映し出す。すぐに、顔がしかめられる。とても眠そうだ。


「あー……くそ」


 声はかすれていた。


「なんだよ……だりーな、くそ」


 つぶやいて、もぞもぞと動き出す。

 衣擦れの音がした。とうとう浴衣が、重力に抗えずにずるりと落ちる――譲はぎゅっと目をつむった。


 万華はその後も何度か呻きながら、体を起こしたようだった。衣擦れの音。それから、ぺたぺたと床を歩く音がする。

 その音が近づいてきた。


「あ、あの! コーラミュージアムの予約がありまして、そろそろ出ないと間に合わなくて!」


 足音が譲の近くまでやってきて、ふわりと上品な匂いがした。和室に入ったときのような懐かしい匂い。


 そろりと目を開ける。

 万華が立っていた。だるそうに髪をかきあげている。

 浴衣は拾ったらしい。胸元は開いたままだったが、さっきよりは肌の露出が少なくなっていて、譲はほっと息をついた。


 おもむろに、万華がしゃがんだ。

 ぼうっとした顔のまま、譲の顔の横の段ボールに腕をつく。

 光が遮られて、輪郭が浮かび上がる。視界いっぱいが、男で埋め尽くされる。


 これは、いわゆる、壁ドンというやつでは――?


 近づかれると、顔より先に体の大きさを意識してしまう。遠くから見ていると、整った顔や長い手足ばかりが目につくのに、こうして近くにいると違った。肩も胸も広い。視界の逃げ場がない。

 怖い、とは少し違う。けれど、どうしていいのかわからない。


「こっ、コーラさ……」

 

 横からガチャリと音がした。

 ひやりとした冷気が流れ出す。


「え……」


 開かれた冷蔵庫の中身が見えた。

 上から下まで、ポケットもすべて、コーラ――。


 その中の一本をつかみ取ると、冷蔵庫が閉まる。キャップを開ければ、しゅわ、と炭酸が吹き上げてくる音。

 目の前で、コーラを飲む男の喉が上下した。

 水滴が喉を伝って、胸元へ吸い込まれていくのが見えて――慌てて目をそらす。

 

「はー、目、覚めた」


 明朗な声。万華がすっと立ち上がった。


「すぐ着替えるわ。ちと待ってて」

「……わっ、わ、わかりましたっ!」


 譲は何とか立ち上がった。彼を見ないように、視線を落としたまま、すみっこを移動する。


「おい」

 

 いぶかしげな声が、譲を引き留める。

 譲の心臓が跳ねた。何かまずいことをしてしまっただろうか、と息が詰まった。


「おまえ、顔が真っ赤だぞ。熱中症か? ミュージアム行けるんだろうな?」


 譲は顔を両手で覆った。いたたまれない。


「な、なんでも、ないです。外で待ってますから……!」


 靴を履いて、外へ出た。

 なんだかどうしようもなくて、譲は座り込んで膝を抱えた。


 反則だ。

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