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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
3. 文字化けした名前
12/18

01

「あ、譲ちゃんだ」


 最寄りのスーパーに向かう道で、声をかけられて振り返る。


 午後2時の街に影はほとんどなかった。あっても濃く、くっきりと切れている。

 アスファルトは鉄板のように熱を蓄え、その上で陽炎が揺れていた。


「……宗真さん」


 黒髪眼鏡の男性が、笑顔を浮かべていた。

 今日は、水色のYシャツを着ている。七分袖。高そうな時計。濃いワインレッドのネクタイ、黒のベストとスラックス。先のとがった茶色の革靴。

 一見、まじめで爽やかな好青年といった風の出で立ちだった。


 ……両脇に、派手な女性を二人も、侍らせていなければ。


「名前覚えていてくれたんだ、嬉しいな」


 にこにこと、彼は近づいてきた。

 腕を絡めていた二人の女性が、譲をじろじろと値踏みしてくる。

 心配しなくたって、譲にその気はないのだが。


「えっと……コーラさんに会いに来たんですか?」

「コーラさん? あはは、あいつにぴったりの名前だね! でも残念。今日は別件で、たまたま通りかかっただけなんだ」


 ね、と宗真が女性たちの腰を抱いた。応えるように、彼女たちが宗真に抱きつく。

 リア充というやつだ。譲は半眼になった。


「そうですか。私、これから買い物があるので。失礼しますね」


 譲は、スーパーの看板を指さしてから、軽く礼をして離れようとした。


「ああ、待って。せっかくだしちょっとお話しない?」

「いえ、お邪魔しちゃ悪いと思いますので」

「気にしなくていいよ」


 そんなことを言われても、女性たちの殺気立った目に晒されて、気にしない人はいない。


「ねえ、ちょっと彼女と話してきてもいいよね。今度またお詫びするから」

 

 宗真は両脇の女性たちに笑いかけて、お願いした。

 彼女たちは最初とても不満そうに見えたが、宗真がするりとその頬を撫でると、ぽやっと目の焦点が合わなくなって、頷いた。あっさり同意して、また今度ね、と手を振って別れてしまう。さっきまで譲を刺しそうな目で見ていたのに、どういうカラクリなのか。


「じゃあ譲ちゃん、行こうか」


 宗真が手を差し出してきた。

 無視して歩き出す。勝手に早足になった。


「えー、その反応は新鮮。待ってよ譲ちゃん」


 スーパーの中に入った。自動ドアから冷気が流れ出す。


 先週から、福引イベントが開催されていた。特設会場に人が並んでいる。まだ景品は残っているようだ。

 

 譲は買い物カゴを取って、カートに乗せた。

 追いついてきた宗真が、流れるような動作で、そのカートを押す。

 譲は息をついて、仕方なく野菜売り場に向かった。


 今日の特売は、きゅうりと茄子だった。

 形を見て、どちらも買い物かごに入れる。


「……それで、お話ってなんですか?」

「んー、別に特定の話があるわけじゃないんだけどね」

「……」

「譲ちゃんって僕のこと嫌いだよね、わかりやすい」

「そういうわけでは……」


 嫌いではないが、苦手なタイプだ。

 カートを押す宗真とすれ違った主婦が、頬を染めて振り返る。視線に気づいた宗真が、にっこりと笑いかける。時々ひらりと手を振る。

 彼の周囲の空気が、ピンク色に染まって、どんどん伝播していく。


 ――コーラさんとは、全然違う。


「万華ってかわいいやつでしょ」


 言葉に詰まる。

 宗真を見ると、彼は目を細めて譲の様子をうかがっていた。

 心の奥底まで観察されているような気がして、譲は顔をそむける。


 赤々としたトマト売り場に行く。


「譲ちゃんも思わなかった? あいつ、あんな典型的な格好で、近づいてくるなって威嚇してんのにさ。全然それっぽくないでしょ? 人間なんてうんざりだって顔してるくせに、結局いつも人のそばにいるしかない。おかしいよね」

「コーラさんは、人間が嫌い――ってことですか?」


 譲は立ち止まった。

 宗真は、母親の足にしがみついたまま自分を見つめてくる小さな女の子に手を振って、何でもないことのように言った。


「古い神ほどそういうところはあるかもね。ましてや万華は、人間で苦労してきてるからなあ」


 宗真はそう言って、並んだトマトをひとつ手に取った。


 祖父が、結婚式のための祝詞を考えていたことを思い出す。

 縁結びの神社で行う式を、祖父は素晴らしいものにしようとしていた。使命感を感じた。

 譲も、縁を結ぶということは素敵なことだと――漠然とそう思っていた。

 あの祖父の敬う万華が、人間嫌い……。


「だけど、譲ちゃんはそこそこ気に入られてるみたいだね」

「え……」


 気に入られている?

 ……本当に?


「コーラのキャップについた雫と同じくらいには、気にかけてるんじゃない?」


 譲はうつむいた。

 

 目の前のトマト3個セットを無造作につかみ、籠に入れる。

 

「あ、ごめん。なんか嫌な気持ちにさせちゃった?」

「……別に、なんとも思ってません」


 玉ねぎとピーマンを入れる。

 精肉コーナーへ向かった。豚肉の細切れを買う。


「そういえば、譲ちゃんって神主の血縁なんだってね。もしかしてあの神社を継いだりする?」

「将来のことは、まだわからないです」

「ああ、そうなんだ。ふうん」

「……なんですか?」


 譲は宗真を見上げた。

 さっきから彼はずっと、何かを言うたびに、じっと視線を向けてくる。

 いったい譲に何を求めているのか。


「万華ってしょうもないところで律儀なんだよね」


 譲の後をついてくるだけだった宗真が、唐突にカートを押して歩きだす。

 慌てて後を追った。


「受けた恩は必ず返す。礼儀には礼儀を。釣り合う対価を。だからちょっと不思議なんだよね」


 彼の手が売り場に伸びて、絹豆腐のパックを取り上げる。その横の油揚げも。

 譲はぎょっとした。

 どちらも、次に買おうとしていたものだった。


「神主の孫ならありなのかなって思ったけど、継ぐわけじゃないなら、やっぱり納得いかないっていうか」

「ど、どうして私の買いたいもの――」


 突然、宗真が振り返った。譲の目を、覗き込む。


「なんで万華は、君との縁を切らないのかな。その方が圧倒的に楽なのに」

「――」

 

 彼の黒くガラスのような瞳は、どこか作り物めいていた。

 口元は笑みを浮かべているのに、ちっとも温度が感じられない。

 ただ()()()()()()()()


 宗真が頷く。

 

「そう。僕も神だよ。万華とは腐れ縁でね」


 そう言うと、彼はからりとカートを押して、レジの方へ進んだ。


「だからちょっと興味があったんだよね。人間嫌いの万華が縁を切らない、神主以外の人間にさ」

 

 レジは混んでいた。

 けれどなぜか、宗真が並んだ途端に、前に並んでいた人たちが、何かを買い忘れたように売り場に戻っていった。

 前が一気に空いて、譲はすぐに「次の方」と呼ばれた。


 お会計をして、福引券をもらう。

 エコバッグに商品を詰め、肩にかけた。


「あの、それで……」


 譲は、隣で待っている宗真を見上げる。


「私と話して、何かわかりましたか?」


 宗真がわずかに目を見開く。


「……いーや、なんにもわかんない。譲ちゃんが普通のかわいい女の子だっていうのはわかったけどね」


 彼は肩をすくめると、譲が手にしていた福引券を取った。

 出入口近くの特設会場へ歩き出す。


「なるほど。譲ちゃんは……ああ、1等の温泉旅行でも2等の松坂牛でもなくて、3等を狙ってるんだ? へーえ」


 景品を確認して、宗真が目を細めた。


「返してください。私のですよ」


 譲は、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。

 宗真はにっこり笑って、福引券をひらりと揺らした。


「残念だけど、君の運じゃ3等も無理かな。ここは僕が一肌脱ごう」


 譲の福引券をスタッフに渡すと、彼は勝手に福引を回してしまった。

 ガラガラと福引が回転して、ころりと玉が転がり出る。――青色。


 鈴が大きく振られて、スーパー中に響き渡る。


「おめでとうございます! 3等、コーラミュージアムペアチケットです!」


 譲は唖然とした。


 クラッカーの祝福の中、宗真が当然といった顔で景品を受け取って、そのまま譲に渡す。


「欲しかったんでしょ?」

「あ……りがとう、ございます」


 譲は、この宗真という神が、よくわからなくなった。

 何が目的なのだろう。


 彼は笑った。


「素直だね、譲ちゃん。別に目的なんてないよ」


 二人でスーパーを出る。

 うだるような暑さに足が重くなったが、宗真の方は平気な顔をしている。


「当たるも八卦、当たらぬも八卦――僕はね、結果が面白ければそれでいいんだ」


 宗真の()()()()()()()()()()に、譲はきゅっと唇を引き結んだ。



 夕方、いつもの時間に万華がやってくる。

 譲はおずおずと、福引で手に入れたチケットを差し出した。


「何だこれ?」

「コーラミュージアムのチケットです」

「コーラ……ミュージアム?」

「コーラの作られてるところとか、コーラの歴史とか……そういうのが全部わかるところ、ですかね」

「えっ」


 面倒くさそうに応対していた万華の表情が、一瞬にして変わった。


「ペアチケットなので、私と一緒に、もう一人いけるんですが……」

「行く!」


 即答だった。


「あ、じゃあ、いつ――」

「今すぐ行こう!」

「いえ、あの、これ予約が必要だから……」


 トマトパスタの匂いが、台所から漂っていた。

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