03
程なく、万華が出てきた。
黒のVネックTシャツに、薄手のくすんだ赤迷彩の半袖パーカー。開いた胸元には、白い英語のロゴ。細身の黒パンツに、厚底ブーツ。
金髪は無造作に流しただけで、いつも通り過剰な数のアクセサリー。
相変わらず、暑苦しくて重い格好。
時間がなかったので、すぐに駅に向かった。
なんとか電車に間に合ったので、遅刻はしないで済みそうだ。
平日のこの時間、電車はまあまあ混んでいた。なんとか手がつける場所を確保して、息を整える。
万華は汗ひとつかいていない。譲が全力で走っても、彼は一足で譲を追い越していって、身長の差を思い知らされた。
ふう、と息をついたところで、万華の黒いパンツから垂れた銀のチェーンが目に入った。
その横、お尻のポケットには、雑に差し込まれたスマートフォンがある。
そういえばさっき、改札口を抜ける時にタッチしていた。
「スマホ……持ってるんですね?」
「宗真が置いてったんだよ。そこそこ便利だし、使ってやってる」
「使ってやってる……」
「何だよ」
「いえ。神様も、スマホを使うんだなと思って」
「コーラ買うのが楽になった。一気に箱買いできるのはいいよな」
先ほど見た大量のコーラの箱は、ネットショッピングの成果だったのか。
呆れていると、万華がスマホを取り出して画面を見た後、軽く舌打ちした。
背が高いくせに、画面を腰のあたりで開くものだから、譲の視界にちょうど入ってしまう。
メッセージアプリのようだった。宗真からスタンプが送りつけられている。「おはよう」「愛してるよ」「好きです」と、猫のイラストがそれぞれかわいいポーズを決めているスタンプだ。
万華は「ころすぞ」と送った。指の動きが少したどたどしい。本当に最近、使い始めたのだろう。
彼のメッセージに応じるように、さらに色んなスタンプが送られてきて、画面が埋まっていく。
「……仲、いいですね」
「そう見えるなら、おまえの目はおかしい。眼科行ってこい」
そう言って、万華はメッセージアプリを閉じた。通知の音が小さく鳴っていたけれど、無視することにしたようだ。
譲は、斜めがけしたスマホショルダーの紐を握りしめた。
――そっか。スマホ、持ってるんだ。
人間相手なら当たり前のことなのに、少し変な感じがした。彼が神様だからだろうか。
けれど、持っているなら、今日みたいに待ち合わせに来ない時、連絡できる。次に理央が遊びに来る時だって、一言伝えられる。
連絡先。
聞いても、いいのだろうか。
譲は口を開きかけて、閉じた。
そもそも、彼は名前を呼ばれることを嫌がっている。スマホの連絡先だって、同じ理由で嫌がられるかもしれない。
それに、もしも連絡先が交換できたところで、何を送るのだろう。
今日は何時に来ますか。
今日の夕飯は、カレーです。
明日の夕飯は、何が食べたいですか。
どれも、文句を言われる気がした。
「何だよ」
黙り込んだ譲に、万華が眉を寄せる。
「……いえ」
譲は首を振った。
「なんでもないです」
スマホは、万華の尻ポケットに雑に戻された。銀のチェーンが揺れる。
譲はそれを見ないように、窓の外へ視線を向けた。
目的の駅についた。
大きな駅だったので、さすがに混んでいる。
いつもこういうときは、何度も肩をぶつけて、すみません、と謝りながら進むところだ。けれど今日は、万華がいるのでずいぶん楽だった。人混みが、彼の前で自然に割れていく。
「おい、こっちでいいのか」
「あ、はい。南口から直通のバスが出てます」
譲の歩幅では追いつけず、彼は何度か苛々した様子で振り返った。
途中で少しだけ歩く速さが落ちた気がしたが、混んでいたので、誤差かもしれない。
人混みで頭ひとつ突き抜けた彼の視界は、自分とは全く違うのだろうな、とうらやましく思った。
南口から直通バスに乗って、ミュージアムへ向かった。
そこは、入り口からコーラのでかでかとしたロゴと、大きなペットボトルの模型が設置されていた。
ぱあっと、万華の目が輝いた。
譲は驚いて、横顔を見上げる。
初めて見た。こんな顔もするんだ。
中の受付でチケットを渡す。隣で、万華がずっとそわそわしている。
ロビーに飾られた歴代のボトルを見て、いつもより背筋が伸びている気がする。
「時間になったら係員が参りますので、少々お待ちください」
いかにも仕事ができるといった風の、美人のお姉さんだった。
半券をちぎった後、チケットを返されがてら、うふふと微笑ましそうに見られる。
「素敵な彼氏さんですね。楽しんでいってください」
彼氏ではないけれど、律儀に訂正するのも野暮な気がして、譲は曖昧に笑った。
それに、万華はすでに展示品の方へ歩き出している。彼氏扱いされたことは、聞こえていなかったか、聞こえていても彼にとってはどうでもいいことなのだろう。
最初のスクリーン上映では、コーラの歴史や製造工程が紹介される。暗くなった部屋で、万華は妙に真剣な顔をして画面を見つめていた。
普段テレビを見ているときと違って、姿勢がいい。膝の上に置いた手も、ほとんど動かない。
自由見学の時間になると、万華は歴代のボトルが並ぶ展示ケースの前から動かなくなった。
近くにいた係員のお兄さんに、なぜかコーラの素晴らしさを語り始める。
「人類の歴史上、コーラは最高の発明品だ」
「は、はあ……ありがとうございます」
「俺が言ってんだから間違いねえ」
「そ、そうですか」
譲は、少し離れたところで他人のふりをした。
最後にお土産のノートが配られた。万華は神棚に飾ると言っていた。
「神様が、神棚に飾るんですか?」
「悪いか」
「いえ……」
神棚って、そういうものなんだっけ?
よくわからなくなったけれど、神である万華がいいというのだから、それでいいのだろうか。
帰りにミュージアムショップへ寄った。
コーラのグッズが売っている。グラスやタンブラー、Tシャツや帽子、タオルまで様々だ。
譲は、小さなコーラ缶がぶら下がったキーホルダーを手に取った。譲の小指くらいのサイズだ。これくらいなら、どこにつけても邪魔にならない。
しかしお値段は、さすがに公式グッズだけあってお高めだ。
悩んでいると、頭上から影が落ちた。
「それ、買うつもりか?」
万華は、いつの間にか買い物かごいっぱいにグッズを入れていた。目についたものを片っ端から入れているようだ。
「いえ、ちょっと高いから、やめとこうかと」
「ふうん」
キーホルダーを元の場所に戻す。
万華はそれを2つ取り、買い物かごへ放り込んだ。
「えっ、2つも買うんですか?」
「予備」
「予備……」
レジで支払いを済ませたあと、万華は袋の中からキーホルダーをひとつ取り出して、譲へ放った。
「やる」
「え」
「チケットの礼だよ。邪魔なら捨てろ」
捨てられるわけがない、と思った。
小さなコーラ缶のキーホルダーを手のひらに乗せる。
硬くて冷たい感触。そっと指でなぞれば、ころりと転がる。
「――ありがとうございます」
譲は息をひそめて、キーホルダーをぎゅっと握りしめた。




