成長編 ④
「…なるほど。では、この前提が崩れた場合、この項はどう解釈するべきかな」
「それなら…こっちのこれ!これを見れば…、間違っているように見えるこの二つも、みんなが納得できると思います」
執務室の机を挟んで、娘と向かい合う。セリア先生から授業を一時的に引き継いでみたが、娘の知能と飲み込みの早さは、僕の予測値を大きく上回っていた。
僕は娘に、『感情数値化』を走らせた。
【エマ:知的好奇心 85、歓喜 60、アルスへの愛情 80、カリスマ 10】
自我が芽生え始めた頃から、彼女にも明確な自己認識が備わり、皆と同じように感情の数値が読み取れるようになった。
だが、僕にはひとつ疑問があった。
「エマ。君にひとつ聞きたい」
「はい…?」
「君には、僕の頭上や、さっきすれ違った使用人たちの頭の上に、何かぼんやりと『数字』のようなものは見えたりしないかい?」
これほど知能が高く、合理的な娘だ。必ず、僕と同じような何らかの『能力』を無自覚に抱えているはずだ。
そう分析し問いかけたが、エマはきょとんとして首を横に振った。
「ううん?数字なんて何も見えないよ、お父様」
なるほど。であれば、彼女に見られる楽天的な性格と合理性は、ただの天性のもの。いや、あるいは別の何か。
「失礼します、アルス様。お茶をお持ちしました」
そこへ、ノックと共にベリルが執務室へと入ってきた。紅茶の入ったカップを二つ、手際よく机の上に並べていく。
「ありがとうベリル。そうだ、少し二人に『問題』を出してもいいかな」
「問題…ですか?」
突然の提案に不可思議そうな顔をするベリルと、目を輝かせるエマ。僕は二人に向かって、穏やかな口調で一つの問いを投げかけた。
「君たちは今、高い橋の上にいる。その下を、暴走した馬車が猛スピードで走っている。このままでは、坂の下にいる五人の人間がひき殺されてしまうだろう。だが、君のすぐ隣には、何も知らない大柄な男が一人立っている」
「…」
「もし、ここで君がその男を突き落とせば、男は死ぬが、馬車はその障害物にぶつかって確実に止まる。結果として、5人の命が助かる。…さてベリル。君なら、その男を突き落とすかい?」
ベリルは逡巡の後、少し口ごもりながら答えた。
「私には…とても、選べません。いくら多くを助けるためとはいえ、自分の手でまったく関係のない人を突き落とすなんて…」
「そうか。ではエマ、君はどうかな」
僕は、ニコニコと微笑んでいる娘に視線を移す。エマは迷うことなく、満面の笑みで即答した。
「男の人を突き落とします!」
完全な即答。ベリルは信じられないようなものを見る目で息を呑むが、エマはいつもの笑顔で、言葉を続ける。
「お母様、単純に助けられる数が違います。悩んでいれば、下の人たちはみんな死んでしまいます。早く行動しないと、馬車に巻き込まれて他にもっとたくさんの人が死んじゃうかもしれない!」
見事な回答だ。エマは合理的な選択をしただけでなく、二次被害の可能性まで直観的に理解して、最適解を導き出している。
「アルス様、なぜ、このような質問を…」
ベリルが不安げに私に問おうとした時、執務室のドアが再びノックされ、マルタが顔を出した。
「アルス様。本日お約束しておりました商会のお客様が到着されました」
「…わかった。すぐに行こう」
僕は立ち上がり、ふと思いついてエマへと手を差し出した。
「丁度いい、エマ、君もおいで。きっと、楽しいよ」
「はい、お父様!」
僕は、立ち尽くしている妻を残したまま、娘の小さな手を引いて、応接室へと歩き出した。
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