成長編 ③
「…奥様。すこしお話が…」
エマが5歳になった年の、ある日の午後。帝都からお招きした優秀な家庭教師であるセリア先生が、青ざめた顔で私の元へとやってきた。
「どうされました?もしかして、エマが何か失礼なことでも……」
「とんでもありません!エマ様は本当に素直で、我々への気遣いも完璧です」
セリア先生は激しく首を横に振る。エマは誰にでも人当たりが良く、マルタやクロエをはじめとする使用人たちとも毎日ニコニコと笑って接している。
だからこそ、先生のその様子が無性に気になった。
「では、いったい…?」
「いえ…実はその、エマ様の『授業の進度』についてのご報告なのです…」
セリア先生は、震える手で分厚いノートを私に差し出した。そこには、整った文字で、あれこれと書き込まれていた。
「これは…?」
「私が用意した、本来であれば10歳の貴族に教えるための内容です。学習の進捗がとても早く、エマ様自身からもご要望頂きましたので、お持ちしたのですが…」
10歳向けの内容…。
「エマ様は、要点のみ私に質問されながら、既に理解され始めています」
「えっ…?」
アルス様に似て賢い子だとは思っていたけれど、いくら何でも早すぎる。
「しかも、エマ様は決して無理をして、勉強なされているわけではないのです。『セリア先生のお話は無駄がなくて面白いからすき』と、まるで楽しい絵本でも読むようにニコニコ笑いながら、あっという間にすべてを吸収してしまわれるのです」
セリア先生は、畏怖の念すらこもった声で呟いた。
「奥様。私は、何十年も王族や大貴族の教育係を務めてまいりましたが…。恐ろしいほどの聡明さ。正に神童のそれ、といって差支えないかと…」
神童…。
その言葉を聞いて、アルス様の顔が思い浮かんだ。この子には、確実にあの方の血が、色濃く遺伝している。それは、嬉しいような、ちょっとだけさみしいような…。
セリア先生は、時々言葉を選ぶような間を挟みながら続けた。
「エマ様の思考は、そうですね…端的に言うなら、合理的。感情という物を一切挟まず、物事の最適解だけを瞬時に導き出す」
合理的…その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に何か冷たいものが走った。
それはまるで、あの方の…。
「お母様!」
ふと、廊下の向こうからパタパタと軽い足音が聞こえ、可愛らしいドレスを着たエマがとびきりの笑顔を浮かべて走ってきた。
「エマ…こら、走ってはいけませんよ」
「はい、ごめんなさい…。あ!でね、セリア先生がお休みの時間をくれたから、お父様のお部屋で、お勉強の続きをさせてもらうの!」
「アルス様に?」
「うんっ!お父様のお話、すっごく面白いんだよ!じゃあね、お母様!」
ニコッと愛らしい笑顔を向けて、エマは一目散にアルス様のいる執務室へと駆けていく。あの子は、きっと大丈夫。あんなにも感情豊かに笑うのだから。
私は、心の中で感じた得体の知れない一抹の不安を、…無理やり、胸の奥底へと押し込んだ。
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