成長編 ②
エマが3歳になった、ある夜。子供部屋にて。
「エマ…大丈夫?しんどいわね……」
荒い息を吐きながらベッドに横たわる娘の額を、私は冷たい布巾で優しく拭った。
今日の朝、絵本の読み聞かせを行っていた時、彼女の顔がやけに赤いことに気が付き、慌てて医者を呼んだのだ。ただの風邪だろうということで薬をもらい、今は安静に寝かせているところだった。
バタバタと、廊下を走る慌ただしい足音が近づいてくる。それは扉の前で止まったかと思うと、ノックもそこそこに勢いよく扉が開け放たれた。
「ベリルっ!エマは大丈夫なの……!?」
血相を変えて飛び込んできたのはマルタだ。エマが熱を出したと聞き、自分の仕事を急いで終わらせて駆けつけてくれたのだろう。
「マルタ、きてくれたんですね…ありがとう」
熱で苦しいはずなのに、エマはマルタの顔を見て弱々しく笑った。そして、マルタの来訪を皮切りに、屋敷の使用人たちが続々と悲壮な表情を浮かべて集まってきてしまった。
「エマ様…っ!」
「お可哀想に…!ベリル様、エマ様のお加減はいかがですか!?」
皆が口々に心配の声を上げ、子供部屋ににわかに騒がしさが広がるが、静かで重々しい足音が響き――執事のゲルトを伴って、アルス様が現れ、その喧騒は瞬時に鎮火した。
「皆さん…。エマ様をご心配なされる気持ちは痛いほどわかりますが、今はそっとしておいてあげて下され。大勢が集まっては、休息の妨げになります」
「はっ…!す、すみません…ベリル様、エマ様…」
ゲルトの冷静な一言で、皆は己の行動が軽率であったことに気がついたようだ。
肩を落として謝る使用人たちに向けて、エマはやはりニコリと微笑んで答える。
「みんな、ありがとうございます。…わたしは、すぐに元気になりますから。そしたら、また色々なことを教えてくださいね」
しっかりとした言葉と、やわらかな気遣いの笑顔。
使用人たちは「何かあれば、いつでも呼んでくださいね」「神の御加護を…」とそれぞれに見舞いの言葉を残し、静かに部屋を退室していった。静けさが戻った部屋で、ベッドの傍に立ったアルス様がただ一言、短く問いかけた。
「エマ、気分はどうだい」
「お父様…はい。少ししんどいですが、大丈夫です」
【エマ:健康 70、安堵 43】
アルス様はエマの顔をじっと見つめ、何かを見定めたように頷いた。
「うん。…ベリル、君も無理はいけないよ。看病で疲れたりしたら、すぐにゲルトやマルタに言うんだ」
言い放つや否や、アルス様はそれだけで踵を返し、部屋を去ろうと歩みだす。病気の我が子を前に…たったそれだけなんて!平常運転のアルス様を私はすぐに呼び止めた。
「あ、アルス様…!」
「なんだい」
振り返った彼は、純粋に疑問符を浮かべていた。
はっきりと伝えなければ、論理の塊であるアルス様には伝わらない。病気の時の心細さ、そしてそれが幼い子供であれば猶更だ。その必要性を彼は、心から感じていない。だが、理想の家族を目指す私は、指摘しない訳にはいかなかった。
「…エマの頭を撫でて、励ましてあげてください」
「なぜ?」
「いいから、お願いします!」
「そうか、うん、そうだね」
私が強い視線で訴えると、アルス様は少しだけ小首を傾げた後、何かを理解した様子でベッドに戻り、エマの頭を数回撫でる。
そんなアルス様のぎこちない愛情に、エマも、うれしそうに表情を緩めた。
「奥様も、旦那様に対してハッキリと言うようになりましたなぁ」
扉の傍にひかえていたゲルトが、感慨深そうな声でぽつりと呟いた。
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