誕生編 ⑤
奥様が。心から敬愛するベリル様が、なんとご懐妊された!私は屋敷の廊下で窓拭きの仕事をこなしながらも、一人で胸をときめかせていた。
アルス様の慈善事業で炊き出しがあったとき、スラムの片隅で初めてお見かけしたベリル様の、あの凛とした美しいお姿。
正式にご結婚なされても、驕り高ぶるどころか、私たち使用人に混じって率先して掃除や洗濯に精を出すすばらしい人だ。そしてもちろん、スラムで落ちぶれていた私を、この屋敷の使用人として雇い入れてくださったアルス様も、紛れもない聖人であり、素晴らしい方である。
そんなどこから見ても完璧なお二人に、待望のお子が!
ああっ!
「す、素晴らしいわ…!まるで教会の絵画のよう…!」
「クロエ、窓拭きの手が止まっていますよ」
「あっ、すみませんマルタさん」
勝手に夢想の世界に入り込んでいた背後から、先輩メイドであるマルタさんが窘めるように声をかけてきた。だが、彼女も決して怒っているわけではなく、その横顔はどこか嬉しそうな、誇らしげな笑みを浮かべている。
「まあでも…気持ちはわかるわ」
「はい!あの、マルタさんは、ベリル様とのお付き合いは長いのでしょうか?」
私が布巾を絞りながら興味津々で尋ねると、マルタさんは少しだけ複雑な表情を浮かべた。
「ええ。彼女がこのお屋敷に来た時からの付き合いだから…。もう2年くらい前になるかしらね」
「2年前!その時から、ベリル様はここの使用人として働かれていたのですか?」
「まぁ…そのような、ものね……」
ベリル様の過去について、マルタさんの言葉はなぜかひどく歯切れが悪い。友人同士の美談なのだから、もっと堂々と自慢してくれればいいのに。
「では、ではっ!一生懸命に働く使用人のベリル様の美しさに、アルス様が見惚れて、見初められたのですね…!あああ、まるで舞台のロマンスのようです!」
「う、うん…。ま、まあ、そんな感じ…かしら、ね…」
はははと笑うマルタさんの愛想笑いが、どこかひどく引きつっているように見えたのは、気の所為だろうか。
「…とにかく」
マルタさんは深く息を吐き出して、布巾を畳み直した。
「これから新しい命が生まれれば、色々と変わっていくかもしれないわね。…彼女には、そしてアルス様には、どうか本当に幸せになって頂きたいものね」
ぽつりとこぼされたその言葉は、何故か、どこか静かで、切実な響きを含んでいた。
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