狂信者編 ④
我が邸宅の広々としたダイニングには、専属の料理人が腕を振るった料理が整然と並べられている。だが、食卓の空気は冷え切っていた。というより、ひどく異常な熱を帯びて息苦しかった。
「ああ…今日のアルス様も、本当に素晴らしかったですわ」
向かいの席に座る妻の――アデリアの機嫌は、控えめに言っても最高潮だった。先日、アルス卿から直接『私的な夕食』に招かれてからというもの、彼女の口からはその話題しか出てこない。
「あの慈愛に満ちた瞳!そして力強いお言葉!貧しき者を救い、帝国に光をもたらす…。あの方こそ、文字通り『神』が遣わした奇跡そのもの。私たちの希望の星ですわ!」
「あ、ああ、そうだな。アデリア、そろそろスープが冷めてしまうぞ。一口でも――」
「私がどれだけ寄付をしようとも、足りるはずがない!アルス様の描く完璧な世界のためには、私の命すら安いものですわ!」
私の言葉など、彼女の耳には一切届いていない。
食事に一切手をつけず、熱病に浮かされたように虚空を見つめながらアルス卿を賛美し続けるその姿は、長年連れ添った愛しい妻ではなく、どこか別の生き物を見ているようで酷く恐ろしかった。
ナイフを握る私の手が、微かに震える。私が懸命に働き、財を成してまで守りたかった平穏な家庭が、得体の知れない熱によって内側から侵食されているような気がしてならなかった。
「…でも」
不意に、アデリアの声のトーンが一段、不自然に低くなった。
「あんなにも完璧でお優しいアルス様を…。あの『女』が台無しにしている」
ギラリ、と。
妻の瞳に、ぞっとするような昏い炎が灯った。
「ベリル…とか言いましたか。どこぞの馬の骨か分からないような分際で、さも特別かのようにアルス様の隣で笑っている…。あんな女、アルス様の横に立つ資格などない!」
ドンッ、とアデリアが拳でテーブルを叩く。並べられた銀の食器がけたたましい音を立てた。
「アルス様のような高潔に生きるべき方に、結婚という世俗の鎖など不要ですのに! …アルス様がお優しすぎるから、あの女を捨てられないのだわ。ああ、可哀想なアルス様…。完璧な神であるあの方には、汚れなき神聖な孤独こそがふさわしいのに」
アデリアはブツブツと呪詛のように呟きながら、狂気を宿した黒い瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「ええ、そうですわ。誰かが、あの邪魔な女を排除して差し上げなくては…!」
「ア、アデリア…?何を言っているんだ、お前は……」
妻はまるで何かに憑き動かされるように、ニィっと唇を吊り上げて笑った。
次の夕食会は、アルス卿私邸での会食。
私は、自分が不用意にとんでもない破滅へと足を踏み入れてしまったのではないかと、ただ背筋を凍らせるしかできなかった。
※この小説を面白いと感じていただけましたら、★★★★★の評価と【ブックマーク】で応援お願いします。




