愛情編 ⑧
あの日の夜、私は一睡もできなかった。
アルスに謝る。アンナのその正論が、鋭利な刃となって私の喉元を突き続けている。
謝れば済むのか?
許してくれるのか?
あの底知れない眼に射られて、無事でいられるのか。あの日と完全に逆転した立場で、彼はどう思うのか。
「お父さん!見て!お魚がいるよ!」
パウルが、庭園の中央にある大きな池の縁へと駆け寄った。
「待て、パ――」
バシャアァァッン!!
激しい水音と共に、パウルの小さな体が視界から消えた。
「パウル!!」
アンナが悲鳴を上げる。私の思考は、その瞬間、真っ白に燃え上がった。
(これは、あいつの復讐だ…あいつが…あいつの仕業だ…!!)
アンナが池の中に飛び込み、急いでパウルを引き上げる。幸い、池は浅く、パウルは水を飲んでむせているだけだった。だが、私の心臓は狂ったように鐘を打ち鳴らしていた。
「大丈夫よ、パウル! 落ち着いて!」
アンナがパウルを抱きかかえる。
その時。
「あら、大変。すぐに乾いた服を用意させます」
「お怪我はありませんか? 医者を呼びましょうか」
いつの間に現れたのか、使用人が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「…来るな! 近寄るな!!」
【ガイ:自責 92、理性 17、家族への愛情 88、アルスへの疑念 90】
私は叫び、パウルを抱くアンナの前に立ちふさがった。
「ガイ…? 何を言っているの、彼女たちは助けようと…」
「嘘だ!こいつらはアルスの手先だ!あいつは、どこかで笑っている…!あの窓から、あの草むらから!息子が死にそうになるのを…!!」
私の指差す先、二階の書斎の窓。そこには誰もいない。ただ、暗い硝子が陽光を反射しているだけだ。
私の指さす先、オレンジの花が咲き乱れる花壇。そこには誰もいない。ただ、花が風に揺られて在るだけだ。
だが、私には見えた。
あの色の無い双眸が、私への復讐を果たさんと覗いているのだ。
「ガイ、落ち着きなさい! パウルは足を滑らせただけよ!」
「違う!あいつが魔法で突き飛ばしたんだ!復讐なんだ…あいつが、今度は私の『宝物』を、死の淵に引きずり込もうとしているんだッ!!」
自分の声が、自分のものではないように聞こえた。パウルを、リナを、今すぐここから連れ出さないといけない。
この屋敷は、地獄だ。アルスという「悪魔」が作った、地獄なんだ!
駆け寄ろうとする使用人の腕を、私は力任せに振り払った。
転倒する彼女。
混乱するパウル。
怯えて泣き出すリナ。
蔑むようなアンナの視線。
それらすべてが、私を断罪する何かに見えた。
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