淑女編 ⑤
「…嘘、でしょう?」
廊下の影で、私は手に持った銀食器を落としそうになりながら、その光景を凝視していた。アルス様に連れられて中庭を歩く、一人の洗練された女性。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、指先一つにまで「気品」を宿らせたその立ち振る舞いは、どこからどう見ても高貴な家柄の令嬢そのものだった。
だが、あそこにいるのは、紛れもなく、つい数週間前まで買われた奴隷でしかなかった、あの子だった。
「ねえ、見た? ベリル…本当にあの子なの?」
「信じられないわ…。アルス様が自ら食事の作法からダンスまで教えていらっしゃるそうだけど…。それにしても、こんなに短期間で…」
使用人たちの囁き声に、これまで感じたことのない苛立ちと、そして「恐怖」が混ざり始める。
何故見初められたのが自分ではないのか、という憤り。
アルス様の手腕への畏れ。
そして彼女の変貌。
ある日、私が彼女の部屋の掃除で入り込んだ時のこと。彼女は鏡の前で、アルス様に教えられたであろう「微笑み」を、何度も、何度も繰り返していた。
「…ベリル。準備はいいかしら?」
私が声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。その瞳。以前のような死んだ魚のような色はない。宝石のような光を宿し、どこかこちらを「見下す」ような、輝き。
「ええ、準備はできているわ。…あら、この棚…少し掃除が甘いんじゃないかしら…。アルス様は、完璧なものを好まれるのよ」
【ベリル:自尊心 81、傲慢 56、アルスへの信頼 86】
「っ……!」
その声、その仕草。かつての抜け殻とは別人。首筋に冷たい刃を突きつけられたような、そんな戦慄。
【マルタ:嫉妬 95、恐怖 70、嫌悪 50】
おかしい。元奴隷風情が、なぜ私たちに意見なんてできるの?アルス様は一体、彼女の中に何を流し込んだの?
あの子が美しくなればなるほど、礼儀作法を学べば学ぶほど、屋敷の中に漂う空気が重く、冷たく、歪んでいく。
それはまるで、毒を持つ美しい花が、ゆっくりと周囲を蝕んでいくのを見ているようだった。
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