修道女編 ④
「僕の質問に答えろ。
生存本能より他者を優先するなど、生物として致命的な機能不全だ」
床に這いつくばる私を見下ろすアルスさんの瞳は、
氷のように冷たく、透き通っていた。
先ほどまで私を殴りつけていた盗賊たちの粗野な暴力よりも、はるかに鋭く、
そしてひどく『空っぽな』声だった。
彼は、本当に理解できないのだ。
人が人を庇い、痛みを分かち合おうとするその『温かさ』が、
彼の中にはほんの少しも存在しないから。
ズキズキと痛む腹部を押さえながら、私はゆっくりと身を起こした。
そのまま膝立ちになり、ふらつく両手を伸ばして、
アルスさんを、そっと抱きしめた。
「…一体、なにを……」
アルスさんの身体が、わずかにビクッと強張るのがわかった。
極めて論理的で賢いはずの彼が、
まるで初めて迷子の子供のように、ひどく狼狽した声音を出している。
「ごめんなさい、アルスさん。血で、汚してしまって」
私は彼を抱きしめたまま、頬を彼の冷たいコートに擦り寄せた。
少しだけ、泣きそうだったからだ。
腹部を蹴られた痛みからではない。
ただ、彼のその空っぽの瞳があまりにも悲しくて。
「あなたは…ずっと、そうやって生きてきたんですね。
人間の心を、自分で納得できる形で分解して、
”原理”でしか世界を見られなくて、
他人の体温すらも『メリット』や『生存本能』でしか測れない」
「…当たり前だ。生物とはそうなるようにできている。
だから君の行動は異常なんだ」
「いいえ。あなたは、本当はただ探しているんじゃないですか?」
私は、彼の震える背中にそっと手を回し、
宥めるようにポンポンと優しく叩いた。
「自分から抜け落ちてしまった『モノ』を。
他人がそれをどうやって持っているのか知りたくて、
ずっと壊して、分解して、探そうとしている…違いますか?」
「…………」
アルスさんは、まるで呼吸さえ忘れたように押し黙った。
彼の胸の鼓動はひどく静かで、
本当に心臓がないのではないかと錯覚するほど冷たい。
「私は、愚かだから難しいことは分かりません。
自分が痛いのも本当はすごく怖いです。嫌です。
でも…あなたの、その一人ぼっちの世界を思うと、
あなたの瞳の方が、ずっと痛々しくて悲しいんです」
『理解できない』と断絶の壁を作っていた彼に、
私は精一杯の温もりが伝わるように抱きしめる力を強めた。
彼は私を突き飛ばすことも、論破することもなく、
ただ彫像のように固まったまま、沈黙の時間を過ごしていた。
教会の隅で震える子供たちが、心配そうに私たちを見つめている。
窓の外から差し込む月明かりだけが、寄り添う私たちと、
アルスさんの底知れない孤独の影を、教会の床に長く落としていた。
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