修道女編 ②
「さあ、あともう少しですよ。ゆっくり歩いてくださいね」
私は王都の貧民街を抜け、暴動で半壊した小さな教会の扉を開けた。
路地裏で倒れていた疲弊した旅人――アルスさんを、ボロボロの長椅子に座らせる。
「…すまない、シスター。長旅で水も食料も尽きてしまってね。この暴動の街で、君のような親切な人に出会えて助かったよ」
「とんでもありません。神はすべての子羊に等しく恵みを与え給うのです。…配給の残りですが、どうぞ」
私はアルスさんに、木の実とわずかな麦を煮込んだ薄いスープを手渡した。彼は上品な手つきでそれを口に運ぶと、教会の隅で身を寄せ合う十数人の孤児たちを不思議そうに見つめた。
「この子達は君が育てているのかい?この極限状態の王都で、孤児を抱え込むのは…失礼だが、正気とは思えない」
「ええ。ですが、この子たちには頼る大人がいませんから。私が倒れるわけにはいかないんです」
私は困ったように笑って、子供たちの毛布を掛け直した。アルスさんは、まるで未知の生き物を観察するような、ひどく静かで氷のように透き通った瞳で私を見ていた。
彼がこの教会に滞在し始めてから数日。幾つか会話をする中で、私は、彼がとても頭の切れる人であることを知った。
だが同時に、彼の言葉はいつも、心臓が凍りつくほど『正しかった』。
例えば昨日、私が教会の外で咳き込んでいる老人に、自分の分のパンを渡した時のことだ。
『なぜあんな真似をした?』
『え……お腹を空かせて、とても苦しそうでしたから』
『彼の呼吸音から推測するに、重度の流行り病だ。栄養を与えても、確実に三日以内に死ぬ。対して君が救うべきは未来ある孤児だ。君のパンは子供の明日を生み出せるが、老人の死を二日遅らせることにそれを割くのは、資源の配分として根本的に間違っている』
まったくの正論だった。ぐうの音も出ないほどの、完全な生存に対する正しい意見。
「…アルスさんのおっしゃる通りです。私は、計算ができない愚か者ですから」
私は今日も、自分の分の木の実を子供の皿に移しながら、彼に小さく微笑んだ。
「でも、目の前で痛いと泣いている人を、見過ごせないんです。明日のための合理性より、今日のたった一人の苦しんでる声が怖くて…。身体が、勝手に動いてしまうんです」
「…」
アルスさんは何も言わず、ただ無言で私の頭上あたりを見つめている。彼の瞳には、他者を蔑むような色は全くない。ただただ『理解できない現象』を『理解しようとする』素振りだけがあった。
…かわいそうに。
私はふと、そんなことを思ってしまう。彼はこの世界のすべてを「数字」と「生存」だけで計っている。彼には、誰かが誰かを無条件に慈しむ『温かさ』が全く見えていないのだ。これほどまで賢いのに、彼はきっと誰よりも、一人ぼっちで寂しい世界を生きている。
【エララ:利他心 100、空腹 80、自己愛 0】
視界が少し霞む。三日まともに食べていないせいで、身体が鉛のように重い。それでも構わない。明日も、私は私のできるだけのことをしよう。震える孤児たちのために。
そして、あの寂しそうな瞳をした旅人さんのために。
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