賢者編 ⑤
ギルド1階の酒場。
階層主の討伐報告を受けて大いに沸き返っていたが、私の耳に喧騒は届かない。ジョッキを見つめたまま、微かに震え続けていた。私の指示も魔法もなしで階層主をねじ伏せた前衛二人。私はいらない。全く必要とされていない。
「…俺たち、パーティー、抜けることにした」
不意に、ゴルドの重い声が落ちてきた。何を言っているの? 私から離れて、あなた達無能がどうやって生きていくっていうの?
「賢者パーティーに入れるってんで、俺たちも舞い上がっちまってた。でも、元々二人でやってた時のほうがずっと動きやすかったことに気が付いたんだ。それに…お前の正体にもな」
「…正体?」
「俺の荷物に紛れてた、これだよ」
ゴルドが乱暴にテーブルに叩きつけたのは、端が黒く焦げた古い『研究ノート』だった。
それを見た瞬間、私の心臓が嫌な音を立てて跳ね上がった。
【クレア:優越 0、絶望 70、焦燥 60→92】
それは、私が王城魔法院で同室だった気弱な親友――私が「実験の失敗を装って」大火傷を負わせ、再起不能にした本来の『天才』のノートだった。私が発表し、名声を得た複雑な魔法演算式が、まったく違う筆跡でびっしりと書き込まれている。
いつか発覚する恐怖から、捨てられずに持ち歩いていた特大の証拠。でも、なぜそれがゴルドの鞄に…。
「ち、違うのよゴルド! それは私が書いた草案で…!」
「嘘をつけ。お前の使ってる魔法は全部、このノートを一部暗記しただけなんだってな」
待ってよ、待って、違うの。
「だから、戦況に合わせて臨機応変に魔法を組み替えられない。俺たちへの無茶で理不尽な指示も、お前が『覚えた通りの計算式でしか魔法を撃てない』底の浅さを隠すためのごまかしだったんだろ!」
ザックに怒鳴られ、目の前が真っ暗になった。
図星だった。
『いつも通り』の状況を作らなければ、私はただの凡人以下の魔法使いなのだ。こに追い打ちを掛けるように、酒場の入り口から重武装のギルド騎士隊が次々と踏み込んできた。
「そこまでだ、クレア」
顔なじみのギルドマスターが、氷のような目で私を見下ろした。
「匿名の告発状と、王城魔法院の内部調査記録が我々の元に届いた。同級生の暗殺未遂および数々の論文盗用、ならびに自己保身による意図的なパーティーメンバーへの過剰な危険行為の容疑で、お前を拘束する」
息が止まった。どうして魔法院の極秘記録がギルドに…。
「ま、待ってよ…! 置いていかないで!!私がいないとダメでしょ!?」
騎士たちに腕を掴まれながら、私はその腕を振りほどき、文字通り地面を這ってゴルドのブーツにしがみついた。周囲の冒険者たちの軽蔑と嫌悪の視線が一斉に突き刺さる。
「…気持ち悪いんだよ、あんた」
大粒の涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、醜い声で泣き喚く。
「まってよぉ…わたしが”必要”だって……いってよぉ…ねぇ…」
ゴルドは虫を見るような目で私の手を取り払い、二人は振り返ることなく酒場を後にした。
「ねえ、クレアさん」
頭上から降ってきたのは、無機質な声だった。見上げると、アルスが深い闇のような瞳で私を見下ろしていた。
「ねぇ、アルス…あなたは、わたしが、必要、よね…?」
私の訴えを意に介することなく、彼は、耳元で、優しくそっとささやく。
『賢者って、賢いわけじゃ、ないんだね』
氷のようなその声が、私の喉元にトドメのナイフを突き立てる。
「あ…あぁ…あああっ……」
【クレア:優越 0、自尊心 0、理性 0】
何も言い返せない。
借り物の知性が完全に焼け焦げ、ただ暗い絶望と自己否定だけが頭の中を埋め尽くす。無表情なアルスの足元で、私はただ惨めに泣き叫び続けることしかできなかった。
※この小説を面白いと感じていただけましたら、★★★★★の評価と【ブックマーク】で応援お願いします。




