偶像編 ⑤
2階バルコニー。
「先日の王国の視察の際、聞いた話だが…。元、勇者が王都に姿を現したとか…」
「はっ…もう寓話の時代は終わりだというのに、今更落ちぶれた英雄など…。王国の片隅でじっとしていればよいものを」
(レオンか…生きていたのか。懐かしいな)
「帝国の最新鋭の『魔力駆動兵器』をもっと輸出すべきですかな」
「それは良い案ですな。カプラン殿とも今度、じっくりと会話してみたいものです」
「アルス卿もカプラン殿とは、親密な仲とか…」
「はい、懇意にさせて頂いております」
僕が他の貴族の皆さんと交友関係を深めていると。
『僕は由緒正しいノアール家の嫡男だぞ!』
眼下の広間から、ジュリアン君の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ジュ、ジュリアン!あいつ、何をっ…!ちょっと、失礼…!」
悲痛な顔になり、滝のような冷や汗をかきながら階段を駆け降りていくノアール卿。僕を含む他の貴族たちも、何事かと続々と階下へと移動した。
そこでは、僕が上から観測していた通りの展開となっていた。
顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうな悲痛な顔のジュリアン君と、涼し気な顔で静かに対峙している我が娘、エマ。
ベリルも心配そうにこの異様な光景を見ながら、僕に『どうしましょう!』と目配せしてくる。
そんな妻に対し、僕は口角を上げて穏やかな笑顔を作り、「見ていたまえ」と片手で仕草を送って返した。
周囲を取り囲む観衆の興味は、明らかにジュリアン君ではなく、僕の娘の方へと注がれている。少しだけ、この退屈な静寂に水を落とし、波紋を観察してみようか。
僕はおもむろに歩み出て、彼に近づいた。
「ジュリアン君…どうしたんだい?僕の娘が何か、君に対して粗相をしてしまったのかな。だとしたら、親として、謝罪しよう」
僕が大人として彼を気遣うような優しい言葉をかけると、怒りで我を忘れた彼は僕を一瞥した後、エマを強く睨みつけて、周囲に響き渡る声で言い放った。
「お前の…お前のところは、平民上がりの汚い成金野郎だろっ!父上がいつも言っていたんだ!何が慈善事業だ!何が企業支援だ、ふざけるな!」
あろうことか、彼は、貴族の社交界における禁忌を口にした。
公然での、明確な侮辱。ここに至るまでの、ノアール卿や奥様方の涙ぐましい権力構築の努力を、すべて一瞬で無に帰す決定的な発言だった。
事実、周りの空気が一瞬で凍りつき、大人たちは一斉に『ノアール家が終わった』という絶望の顔をしている。
(面白いね、とても面白い)
僕は目の前のどうしようもなく愚かな子供を見つめながら、内心でひそかに感心していた。ノアール卿本人は、内心で他の貴族の寝首を掻こうと色々企てつつも、表向きはとても博識で常識を守る優秀な人物だったが…。
その息子がこれとは。
どうやら『遺伝と環境による性格形成』という研究資料についても、屋敷に戻ってもう少し詳しく読み込んでみる必要がありそうだ。僕がそんなことばかりを考えていると。遠くから「ばかっ、やめろジュリアン!!」と、血相を変えて走り込んでくるノアール卿の姿が見えた。
だが。
彼が、自らの保身のため、必死になって割って入るよりも早く、エマが、その小さな口を開いたのだった。
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