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 部屋に入った私は、立っていられない程の眩暈(めまい)()(がた)い吐き気を(おぼ)え、床に()した。


 どうやら。

 部屋には何かしらの霊的な障害(しょうがい)があるらしい。恐らくは封印(ふういん)残滓(ざんし)だろう。似たような感覚を、以前(いぜん)にも(あじ)わったことがある。確か、友人がふざけて使った束縛(そくばく)の魔術を受けた時だった。そのことに気付いた私は、短剣を(さや)から抜くと、自身の手首に押し当て、(うす)く切った。


 (あふ)れた血が(たま)となり、線となって流れ、床に(したた)る。段々(だんだん)と、吐き気と眩暈(めまい)が収まってくる。目論見通(もくろみどお)り、短剣の持つ力が、私の身体に(まと)わりついていた、霊的な残滓(ざんし)()(はら)ったのだろう。私は短剣の()を自身に押し当てながら、立ち上がり部屋を見渡した。


 床には、円状(えんじょう)に見覚えのない紋様(もんよう)(きざ)まれている。どのような魔術的意味を持つのかは(さだ)かではないが、一般的には、円環(えんかん)外界(がいかい)からの隔絶(かくぜつ)(すなわ)ち、守護(しゅご)結界(けっかい)である。円の一部に見られる、星の瞳の紋章(もんしょう)幾何学的(きかがくてき)(しる)された星の記号と、その中央に(えが)かれた瞳)は、星の女神の紋章(もんしょう)であり、それは古く、女神に仕えた巫女(みこ)に神が与えた徽章(きしょう)であるという。


 であれば、やはりこの館が星の女神と関係していることは間違いないらしい。


 そして、その円形模様(えんけいもよう)の中央に、硝子製(がらすせい)の巨大な箱が、鎮座(ちんざ)していた。いや、正確に()べるのならば、それは(ひつぎ)、なのだろう。何せ、その箱の中には、眠るように死んでいる少女が(おさ)められていたのだから。


 私は、不謹慎(ふきんしん)にも、その少女の姿を見て、胸の高鳴(たかな)りを、(おさ)えることが出来なかった。その少女は(あま)りにも美しかった。


 (きら)めく金の髪に、硝子(がらす)のように()き通る白い肌。()ざされた(まぶた)には(ゆた)かな(まつげ)(しげ)っている。鼻立ちは人形のようであり、少しばかり()せていることを除けば、完璧(かんぺき)寝姿(ねすがた)だった。


 神話によれば、人族(ひとぞく)とは、創世(そうせい)において、他の四柱(よんちゅう)の神が世界と動物達を生み出した後に、星の女神により、此世(このよ)秩序(ちつじょ)と共にその似姿(にすがた)として生み出されたという。であれば彼女は、まさしく夜天(やてん)(きら)めく星の定め(うんめい)のような美貌(びぼう)だった。


 少女の遺体(いたい)何時(いつ)から此処(ここ)安置(あんち)されているのかについては知る(よし)もないが、何か特殊(とくしゅ)呪法(じゅほう)腐敗(ふはい)(ふせ)いでいるのだと分かった。硝子(がらす)(ひつぎ)には、星見草(ほしみそう)と呼ばれる白い花の花弁(かべん)()()められていた。


 私は、(ひつぎ)の中の少女に()れてみたいという衝動(しょうどう)(おさ)えきれなかった。(ひつぎ)には(ふた)がされていなかったが、不可視(ふかし)の力によって隔絶(かくぜつ)されていた。()れてみると、私の手を押し返してきた。


 私は手にした短剣を(ひつぎ)に押し当てた。甲高(かんだか)い音と共に、緑色(りょくしょく)の光が明滅(めいめつ)し、不可視(ふかし)の力が短剣を押し返してくる。短剣に(ほどこ)された魔術と(ひつぎ)(ほど)された結界(けっかい)干渉(かんしょう)することによって、周囲に霊的な力が満ち、耐え(がた)い吐き気が再び私を(おそ)った。残念(ざんねん)ながら、(ひつぎ)を解放するのは(あきら)めるしかなかった。



 私は無念(むねん)の気持ちで、(ひつぎ)の中で眠る少女の姿を(なが)めた。


 美しい。私は彼女が本当に人間であるのかを思わず、(うたが)った。(ふう)じられた精霊(せいれい)天使(みつかい)(たぐい)かもしれない。私は存分(ぞんぶん)に少女の美しさを堪能(たんのう)すると、部屋に仕掛(しか)けられている魔術を調(しら)べ始めた。とは言っても魔術に(かん)して私は素人(しろうと)である。成果(せいか)(かんば)しくなかった。


 結局(けっきょく)(ここ)を出る手段(しゅだん)はないのだろうか。私は次第(しだい)(あせ)りと苛立(いらだ)ちを(おぼ)えた。そして空腹(くうふく)がそれを助長(じょちょう)させていた。


「……今更(いまさら)悲観(ひかん)してどうする」


 私は自分に言い聞かせるように口に出した。そもそもこの(やかた)()()すことが出来(でき)たとしても、私のような貧相(ひんそう)学者(がくしゃ)硝子樹(がらすじゅ)大森林(だいしんりん)無事(ぶじ)に抜けることが出来る(はず)がない。死に場所が変わっただけだ。(ある)いは、野生動物(やせいどうぶつ)(が、存在(そんざい)しているのかは不明(ふめい)だが──)に生きたまま()われるよりは、霊的(れいてき)()の方が(やす)らかだろうか?


 私はふと、自らの手首から(したた)る血が、(ゆか)(けが)していることに気付(きづ)いた。よく見ると、点々(てんてん)(こぼ)()ちた血液(けつえき)(ゆか)円形模様(えんけいもよう)干渉(かんしょう)して(あわ)(かがや)いていた。私は短剣で手首の(きず)をなぞり、血を()らしてみた。血が(ゆか)()れる(たび)に、(ゆか)紋様(もよう)(かがや)きを()した。


 赤き(したた)り、血は(たましい)媒介(ばいかい)であり、上質(じょうしつ)(にえ)(かえ)えがたい対価(たいか)である。どのような魔術においても、血は霊的な資質(ししつ)代替(だいたい)となるという。


 ――(にえ)を。()代償(だいしょう)を。


 声が。


 ――星の瞳を(かげ)らせる。血の(のろ)いを。


 聞こえた。


 私は衝動的(しょうどうてき)に短剣を強く(にぎ)()め、深く、深く、傷口を(えぐ)った。血が(あふ)れ出し、(したた)り落ちる。私は苛立(いらだ)ちから冷静(れいせい)さを(うしな)っていたが、それでも、声の主が(きよ)らかなもの、(せい)なるものでないことには気付いていた。


 (しか)し、それでも。私の(むね)(おお)諦観(ていかん)(くも)重厚(じゅうこう)であり、それを()(はら)うには、これくらいの(いた)みと思い切りが必要(ひつよう)だった。不意(ふい)に部屋の外から悲鳴(ひめい)じみた(さけ)びが聞こえた。硝子(がらす)をこするような忌々(いまいま)しい音が無数(むすう)に上がっては消えてゆく。


 不思議(ふしぎ)なことに、私にはその声の主が、この(やかた)で死んだ者達であることが()ぐに分かった。であれば先程(さきほど)の声の(いざな)いも、そうであるに違いない。(ゆか)に落ちた血が自ら脈動(みゃくどう)(はじ)め、模様(もよう)をなぞり(はじ)めるのを見ながら、私は魔術の知識を(たくわ)えておくことを(おこた)った自身の浅慮(せんりょ)後悔(こうかい)した。才能(さいのう)有無(うむ)(かか)わらず、やはり知識(ちしき)重要(じゅうよう)なのだ。


 芸術の才がなくとも、芸術の知識(ちしき)があればそれを(しょく)出来(でき)るように。


 十分な血が模様(もよう)()ちた(ころ)、私は出血からか眩暈(めまい)を感じて、(すわ)()んでいた。止血(しけつ)をしなければならない。私は館で見付けた飾帯(かざりおび)で傷口を(しば)った。私はしゃがみ込んだことで、(ゆか)(えが)かれた円形(えんけい)が、(せん)(えが)かれているのではなく、極細(ごくこま)やかな文字の羅列(られつ)によって()されていることに気が付いた。私は目を細め必死(ひっし)になって文字を解読(かいどく)しようとしたが、不摂生(ふせっせい)から(おとろ)えた視力(しりょく)では正確な形を(とら)えることが出来そうになかった。


 (ゆか)紋様(もよう)()らされた私の血液(けつえき)(あわ)発光(はっこう)(つづ)けていたが、それ以上(いじょう)は何が起こるでもなく、沈黙(ちんもく)(たも)っていた。


 私の血だけでは不足なのか、(ある)いは何か特別(とくべつ)行動(こうどう)必要(ひつよう)なのか。



「……星の瞳」


 星の女神の紋章(めがみのひとみ)は、秩序(ちつじょ)意味(いみ)する直線(ちょくせん)規則的(きそくてき)配列(はいれつ)と、彼女(かのじょ)の持つ真理(しんり)(ひとみ)を合わせたものであり、あらゆる不条理(ふじょうり)不義理(ふぎり)不平等(ふびょうどう)、そして、不実(ふじつ)退(しりぞ)ける力を持つという。


 (すなわ)ち、それは全ての現実的(げんじつてき)な力であり、全ての非現実的力(ひげんじつてきちから)を破壊する、条理(じょうり)力線(りきせん)である。


 どの神を信仰(しんこう)するかに(かか)わらず、高位(こうい)騎士達(きしたち)(よろい)に、(すで)(うしな)われた信仰(しんこう)である彼女の紋章(もんしょう)(きざ)まれているのは、彼女(ほしのめがみ)紋章(もんしょう)が魔術を退(しりぞ)けるからであり、戦場(せんじょう)において魔術師達(まじゅつしたち)が、その学院(がくいん)権威(けんい)(ほど)には、威力(いりょく)()るわない原因(げんいん)でもある。


 私は思い立って、星の瞳が(きざ)まれた部分を短剣で()()した。緑色(りょくしょく)の火が短剣から噴出(ふきだ)し、私の(うで)(つつ)んだが、霊的(れいてき)な火は(ねつ)を持たず、私を()くことはなかった。むしろ、その冷たさは、私を落ち着かせさえした。


 (かがや)きが一層(いっそう)()して、硝子(がらす)(くだ)けるような音が()(ひび)く。



 私は、自身の正しさを確信(かくしん)した。(ひつぎ)(ふさ)いでいた見えざる力が消えていた。部屋を(おか)していた霊的(れいてき)充満(じゅうまん)(うしな)われたように感じられる。


 私は、(ある)いは、(やかた)全体の隔絶(かくぜつ)途絶(とだ)えたのではないかと期待(きたい)した。気が付けば、部屋の外で聞こえていた悲鳴(ひめい)()んでいる。私は、彼等(かれら)(たましい)解放(かいほう)されたのだろうかと考えた。そうであればよい。私は、聖職者(せいしょくしゃ)ではなく、信仰深(しんこうふか)くもないが、(あわ)れな死者(ししゃ)(いた)程度(ていど)倫理観(りんりかん)は持ち合わせていた。何せ。私がその死者に(くわ)わるのかもしれないのだし。


 私は、(うで)()ばして、(ひつぎ)で眠る少女の(ほほ)()れた。冷たく、生気を感じない。当然のことである(はず)なのに私は、(みょう)違和感(いわかん)(おぼ)えた。少女の寝姿(ねすがた)(あま)りにも(やす)らかであるからだろうか。私はふと、少女を守護(しゅご)していた(ひつぎ)封印(ふういん)(やぶ)られたことで、少女の遺体(いたい)(そこ)なわれるのだろうかと思い、少しばかりの後悔(こうかい)(いだ)いた。


 ―― ()()()()


 唐突(とうとつ)に耳元で(ささや)かれた声に、私は(おどろ)きと共に後方(こうほう)へと()り返り、(いぶか)しんだ。(あわ)れな死者(ししゃ)の霊は解放されたのではなかったのか。


 どん、と。(とびら)(にぶ)い音を立てた。まるで何か重たいもので、(たた)かれたかのような音であり、ノックにしては(いささ)乱暴(らんぼう)()ぎた。(もっとも)も、廃墟(はいきょ)(とびら)をノックするような(やから)()るかは知らないが。私は用心深く短剣を構え、短剣に宿った自由の力に、現世(げんせ)(くさり)から霊を解放する力があることを願った。


 ――。――。――。(しか)し、待てども待てども、(とびら)が開かれる気配はなく、私は安堵(あんど)(いき)()いた。(とびら)(ほどこ)された魔術の残骸(ざんがい)が、霊の侵入(しんにゅう)(こばん)んでいるのかもしれなかった。


 私は部屋を出る前に少女の姿を目に焼き付けようと思い、(ひつぎ)(のぞ)き込んだ。気のせいか、(ほほ)に赤みが差しているように感じたが、私は深く考えずにそのまま立ち去ろうとした。


 だが、それは叶わなかった。背中(せなか)から胸を貫くような衝撃(しょうげき)を受けて、私はよろめき、倒れそうになった。思わず、前のめりになり、(ひつぎ)(ふち)に、手を置いて何とか(こら)える。


 急激(きゅうげき)()き気が込み上げ、口内(こうない)生臭(なまぐさ)い液体が()たし、(こぼ)れた。私は苦痛(くつう)から声を上げようとしたが、言葉が出なかった。胸元(むなもと)に目をやると、異様(いよう)七色(なないろ)粘液(ねんえき)(まと)った軟体(なんたい)触手(しょくしゅ)が、私の身体の中央(ちゅうおう)から生えていた。私の身体は触手(しょくしゅ)によって固定され振り向くことも倒れることさえ出来なかった。私は、軟体(なんたい)のそれが、服を透過(とうか)し、私の身体のみを穿(うが)っているのを見て、その構成(こうせい)が霊的なものであることを確信(かくしん)した。七色というのも、仮想(かそう)の肉を持つ霊の特徴(とくちょう)合致(がっち)する。


 では、先程(さきほど)の声は――


 意識(いしき)(うしな)われていく。

 世界が(かす)み、(くら)くなっていく。

 (ひど)い眠気が(おそ)い、(まぶた)が自然と閉じていく。


 死。ああ、私は死ぬのか。


 (ひつぎ)の中、眠るように安らかに死んでいる少女の姿を見て、私は(うらや)ましくなった。私も、せめて容姿(ようし)だけでも、彼女ほど美しければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。追放(ついほう)など、受けず。そもそも、あんな杜撰(ずさん)裁判(さいばん)になど、負けは。ああ、誰もが、地味(じみ)野草(やそう)よりも、()(ほこ)薔薇(しょうび)()でるだろう。だが、それは、ただ、善悪(ぜんあく)などではなく、優劣(ゆうれつ)()であり、だからこそ、やるせない。


 私の口から(こぼ)れた血が、少女の(くちびる)に落ち、流れてゆく。

 (うす)れゆく意識(いしき)の最後、少女と目が合った気がするのは、気のせいだろうか。


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