帰路
出来るだけギデオンと触れ合わないよう距離を取ろうとした私に、ギデオンが絶望的な顔をして、レイル達は冷静に聞いて来た。
「おねえちゃん?」
「どうしましたか?」
「えっと……」
帰路の乗合馬車の中、私はギデオンと離れて座っている。隠れるように丸くなった三角座りだ。
ギデオンにおぶってもらうのも断って、ここまでも歩いて来た。
「私少し体力付いて来たと思わない?」
「そうですね。生命力と言えるものが凄く増えてます」
「竜王から戻ってきたんだと思うよ」
「倒してすぐは変化ありませんでしたけど……少しずつ戻ってるのかもしれないですね」
「そう……」
最近の私は以前よりも元気なのだ。少し歩いたぐらいでは疲れないし、熱も出さない。とはいってもまだまだ普通の人の半分以下の体力なのかもしれないけれど。
「自分で歩けるようになったのだもの。迷惑かけたくないの」
俯いてそう言えば、ギデオンが即答した。
「迷惑じゃない」
「……」
ちらりと顔を上げると、彼がこちらを見ていた。
「俺にはなんでもないことだ。アンジェリカ」
そう言って私に手を伸ばしてくるから、ひぇっと体を引くと、彼は少し傷付いた顔をした。
「違うの!違うのよ。嫌じゃないのよ」
「……」
「は、恥ずかしいのよ」
「……」
「冷静に考えたら、あんなに体を密着させて、どうして平気だったのか思い出せないのよ!」
「……え」
顔を熱くさせてそう言いつのれば、ギデオンもどんどん顔を赤くさせていく。
そうして私に伸ばした手をゆっくりと戻して、その片手で顔を覆い隠す。
「……こんな情緒が芽生える日が来るのか」
本当よね。私だってそう思う。こんな気持ちをずっと持ってなかったのだから。
そうしてギデオンは私の表情を窺うように視線を寄せる。透明さを感じるアイスブルーの瞳で、真実を探るような眼差しだ。
私たちは両思いだけど……彼はきっとまだ私の気持ちを受け止め切れていないんだろうと思う。疑うというか、信じていいのか、とかそういう感じなのかな。私自身だって、急に自覚出来た恋心をどうしたらいいのか分からなくて戸惑っている。
「そうですよ。結婚までは健全でお願いします」
「おねえちゃんは私が守る」
レイルとフローラが何か頷き合っている。次第に「やれやれだぜ」「見せつけんなですよ」とか良く分からないことを言っている。
そんな訳で帰りの旅路は、私は出来るだけ自分で歩いて、ギデオンとはたまに手を引いてもらうくらいの触れあいしかしなかった。でもそんなときには、お互いに顔を真っ赤にしていたと思う。触れる手がとても熱く感じて、ただただ恥ずかしかった。
数週間の旅の間に、私はどんどん元気になっていく。
良く食べて良く寝て良く笑う私の様子に、心配をかけて来た皆もほっとしたように笑顔を向けてくれる。
一日歩いていても倒れないし、レイルが念のため私の体を感じ取ってくれるけれど、どこにも不調が起きている様子がないと言っていた。
「私このまま普通の人みたいになれるかしら?」
「今でももう、病気のあとの少し体力がない人くらいだと思いますよ」
「良かったねおねえちゃん」
「あまり無理をするなアンジェリカ」
心配性なギデオンがなにかと体を支えてくれようとするけれど、北の里の近くに着いた時にも、私は自分の足で丘を登ることが出来ていた。
少し寒い地方で、私はモコモコになるほど重ね着をさせられている。
木の葉が落ちた木々が寒々しい。まだ雪が降る前の季節みたいだけど、用事を済ませたら早く王都に戻らなければ、雪に埋もれてしまう地域なのだと言う。
道行く人に里の場所を尋ねたら「あんたらキャロルさんの身内の方?」と村人の方から言われた。
「え?」
「お嬢さん、キャロルさんにそっくりだから」
「……私ですか?」
村人はフローラを見て頷いて、私たちは顔を見合わせた。
「そうかもしれません。親戚を探して来ました」
「そうなの?キャロルさんの家は里の東だよ」
「ありがとうございます」
そうして里に着くと、私たちはキャロルさんという方の家を探した。
フローラは色素の薄い容姿をしている。肌の色は透き通るように白く、髪色は淡いブロンド、瞳は薄い茶色。フローラのような儚げな美少女は王都にはなかなかいない。似ている人がいるというだけでも、ありがたい情報だ。
里に入ってから、ずっとフローラは食い入るように家々を見つめて黙り込んでしまった。
里の東に建ったその家は、広い庭と、煙突の見える、普通の家だった。
フローラは走り出すと、家の扉の前に立ち尽くし、そうして、ドアベルをそっと鳴らした。
「どなた?」
扉を開けた女性は、薄い色素の長い髪と瞳を持った、フローラに似た人だった。
この人がキャロルさんなんだろう、そう思うその人は驚愕したようにフローラを見つめた。
「お、おっ……」
フローラが嗚咽を漏らすような声を出した。
「おかあさあああんっ」
その人は、ぼろぼろと泣いたフローラと私たちを交互に見てから、家に招き入れてくれた。
フローラは、本当の名前を「メアリ」と言うのだと言う。
娘を連れて山に入った父親と共に行方不明になり、山で命を落としたのだろうと思われていたのだそうだ。
フローラの母親のキャロルさんはその後再婚し、フローラの弟もいるらしい。もうとっくに結婚して所帯を持っているのだという。
「火の国の誘拐事件……知っていましたが、そんな遠い国の出来事に巻き込まれているなんて思いもしませんでした」
キャロルさんはそう言った。
フローラも名前すら忘れていたのだから、探しようもなかったんだろう。
「会いに来てくれてありがとう。元気に育ってくれてありがとう。探せなくてごめんなさい」
そう言ってフローラを抱きしめるキャロルさんに、フローラも泣きながら答えた。
「おかあさん、私思い出したよ。この家もおかあさんも、おとうさんも……」
「ええ、良かった。同じ家に住んでて。また会えて。私の宝に加護を与えてくれた神に感謝を」
涙を流して抱きしめ合う親子の再会は、二十年ぶりのはずだ。
幼子は大人になって、夫と子供を同時に亡くし一人きりになった孤独な未亡人は、長い時を経て、失われていたはずの自分の子供にまた巡り合った。
「生きてて良かったわ。こんな日が来るのね……」
「私も。おかあさん……」
そうしてこの日から数日、この家に滞在させてもらった。
キャロルさんの旦那さんは優しい人だった。驚きながらも快く歓迎されて、フローラは毎日キャロルさんと話し込んでいた。フローラはこのままここで暮らすことにするのかしら……そんな風に少し思っていたけれど、四日目の朝、フローラは言った。
「さぁ、帰ろう!」
私たちは顔を見合わせてしまった。
「ここに残ってもいいのよ?」
「雪が降る前に、帰らないと。おかあさんにはまた会いに来るって伝えたから。来れて良かった」
フローラはにっこりと笑って言った。
「フローラ……いや、メアリ」
ギデオンが彼女の頭に手を乗せて言う。
「フローラでいいよ」
「お前はなんでも一人で出来る、自立した子供だった。けれど、いつも弱音ひとつ吐かずに、抱え込んでしまうところもあった。そうさせたのは俺たちだ。子供の俺たちでは頼りにならなかったからだ。だが今は違う。なんでも頼っていい。一人で抱えなくていい。お前まで無理に王都に戻る必要はない。兄として俺たちに出来ることがあるなら、いくらでも頼ってくれていいんだ」
「ギデオン……」
フローラはちょっと驚いたようにギデオンを見上げた。
「そうですよ。帰りたいと言っても春まではここで過ごしたらどうですか?何も問題ありませんよ」
レイルも優しい笑顔で言った。
「私は、ふたりのおにいちゃんがいたから……生きて来れたんだよ」
フローラは二人に抱き着いて泣き笑いしている。
そんな様子を見ているのが嬉しくて私もその上から抱き着いてしまうと、フローラはさらに笑った。
「帰るよ。私にはちゃんともう居場所があるから。みんなに会えて良かった……」
フローラの言葉が胸に染みる気がした。
みんなに会えて良かった。
この子たちに会えて良かった。
私たちは誰一人血の繋がりはないけれど、確かに心の繋がっている家族になった。出会えなかったら、こんなにも心が満たされることはなかったんだろう。
そうして初雪が降りだす前に、私たちは北の里を後にした。




