9話 とうさま、とうさま、とうさま
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
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サムソンの作る家具は繊細だ。わたしはこの男を同じ職人として尊敬している。
今拵えている少し贅沢な椅子は収税人シャムガルが自分の娘に贈るものらしい。
「あと一脚で仕舞いだ。クラリスは脚の底を整えてくれるか」
「はい、父様」
それはもうとっくに済んでいた。暇を持て余したわたしが道具箱をひっくり返していると、折れたノミの刃金が転げ出た。
「父様、このノミはどうなさるの?」
「ずっと前に折れたやつだな。町の鍛冶屋に頼んだら全部溶かして打ち直しだと言われたので、そのままになってるんだ」
幅広のノミは穂のところでぽっきりと折れてしまっていた。首の無い穂先を指先で摘みあげる。一寸三分(4cm)ほどの刃先を夕陽に照らしているうちハッとした。これまでに見た建築、家具、道具。どれをとっても日本では考えられないほど無骨だ。
「表面を平らに──」
自然と体の動かし方が浮かんでくる。腰を落として左足を踏み出す。右手の先に左手を添えて体ごと後ろに引き削る。ふわっと舞い上がる鉋屑、材木の澄んだ香り。
「これいただけませんか」
「別に構わないよ。いつも手伝ってくれる駄賃には足らないほどだ」
椅子を仕上げるサムソンの隣で、わたしはオークの端材にノミを打ち始めた。これで鉋が作れるかもしれない。いや、作ってみたい。
サムソンの頼まれ仕事が仕上がったのは、日が落ちて少しした頃だった。それと同じ頃、わたしの鉋も一応形になっていた。といっても四角いオーク材に穴を開け、刃先が出るように台を設えただけの粗末な物だが。
「クラリス、これは何の道具なんだ?」
不思議そうな顔でサムソンが問う。当然だ。概念すら無いかもしれない。
「こうすると、材の表面を平らにできるかなと」
わたしが鉋台を引くと、パラパラと材木の表面が削れた。刃の研ぎも甘いし、刃先の調整も甘い。しかしこれは鉋と呼んでいいだろう。
「こ、これは──」
サムソンは鉋をしげしげと眺め、ひっくり返したり自分でも引いてみたりした。
「銑を台座に固定して安定させた、ということだな?」
わたしの方に目配せをし、彼は目を細めた。
「──その通りです、父様」
「お前は天才的だ。まだ幼いが大丈夫、明日から毎日工房へ来なさい!」
この言葉に、わたしは湧き上がる誇らしさで頬を赤らめ「よろこんで!」と叫んだ。
仕事で褒められたことなど、これが初めてだったから。
サムソンは工房の扉を閉め、鼻歌混じりで帰路を行く。それを追うわたしの足取りも軽かった。
これでマグダラがアーロンに教える時間に逃げ出す必要がなくなるのだ。
小走りでサムソンに追いつき、手を取った。彼は相好を崩してそれを握り返した。
来る日も来る日も木工に打ち込んだ掌の皮膚は厚く、ごつごつして巌のようだった。
「とうさま、とうさま、とうさま」
彼の鼻歌に合わせて小声で節をつける。何とも照れ臭かったが、サムソンは顔を弛ませきっていたので、次第に気にならなくなった。
翌朝はサムソンに起こされた。彼の方が少しはしゃいでいたのかもしれない。よく考えたら日本では娘にデレる父親なんて少なくない。年頃の娘なら「お父さん嫌い」などと言うかもしれない。
でもサムソン、安心して。わたしはそんな思春期じゃない。肉体的にはまだ五歳児だし、中身は三十路女なのだから。
「クラリス、何か食べて工房へ行こう。今日はシャムガルさんが椅子を引き取りに来るんだ」
彼は昨晩のパンを竈で炙り、塩漬けのオリーブ、水で薄く割った葡萄酒を食卓に整えていった。
わたしは急いで顔を洗って口を濯いだ。エゾブというハーブの枝を噛みしだいた物が歯ブラシ、炭と酢を混ぜたのが歯磨き粉だ。
意外なことに、この世界での暮らしはとても清潔だ。
こんな原始的な暮らしに現代日本の女性が放り込まれたのだ。当初、不潔への抵抗感はかなりの恐怖だった。しかしマグダラもサムソンもちっとも不潔じゃない。外国人特有の体臭はあるがインド料理っぽくて嫌悪感は無い。
ただ、シャンプーがあると良いのにとは思う。
わたしの髪はマグダラに似て燃えるように赤い。自作のコームにオイルを付けて丁寧に梳かす。
「ほら、早く食べよう」
サムソンの声に急かされ食卓に着く。わたしが手を組んで目を閉じると、彼は祈りを捧げた。
「偉大な天の父、日々の糧に感謝します」
「いただきまーす」
食事の前に祈るなんて、こっちの世界の方がちゃんとしてる。
古代イスラエルや古代ローマを下敷きに異世界ワールドを設定しております。
小説内では宗教や国家、文化に触れますが、全てフィクションであり実在のものとの関係はありません。




