6話 ともだち
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
6
わたしはおいおいと泣き声をあげて歩いた。前を行くアーロンの外套の房べりを握って。
初めのうち彼はわたしにあれこれ声を掛けていたものの、そのうち段々口数が減り、とうとう黙り込んだ。巻いたストールで口元の傷を隠す仕草を見て、わたしはまた涙が湧き、嗚咽を漏らした。
そうして家に戻ると、玄関先で待っていたマグダラがわたしたちふたりを見つけ駆け寄った。
彼女は泣きべそをかくわたしを抱きしめ、手拭いで涙やら鼻水やら、鼻血の跡やらを拭い「可哀想に、私のクラリス。もう大丈夫よ」とキスの雨を降らせた。
わたしの顔中に唇を押し当てた後、彼女は険しい目をアーロンに向けた。
その目に気圧され、彼は下を向いた。マグダラが何か口にする前に、わたしは「あーろんが、たすけた」と言った。
言いながらまた涙が溢れ、それ以上言えなくなったので、アーロンは仕方なく経緯を話し出した。
「それで、ファリス教徒の子供に、殴られた」
「そうだったのね。アーロン、クラリスを助けてくれてありがとう。あら、歯が欠けているし、唇だって痛ましいことになっているじゃない。少しじっとしていて」
マグダラは彼の前で膝をつき、頬に手を当てると目を閉じた。
「אבינו שבשמים האדיר, יתברך שמך. רצונך ימלא את הארץ וכולם ידעו אותו. אנא שלח את רוח הקודש, חונן אותנו בכוח ריפוי, והענק לו את הכוח לקום שוב.」
マグダラが唱えると顔のあたりがぽうっと明るくなった。腫れていた瞼や切れた唇がみるみる回復してゆく。魔法だ、やはり。
「あーろん、いたくない?」
「ああ、もう平気だ」
そう笑ったが、前歯は欠けたままだ。咎めるようにマグダラを見ると、意図が伝わったらしく「治癒は何でも出来るわけじゃないのよ」と困り顔で言った。
アーロンが「大丈夫だ、どうせすぐ生えてくる」と言って立ち上がると、わたしはやっと涙が止まった。
「ああ乳歯だったのね、よかったわ。もし大人の歯が折れたなら、拾って来なさいね。付くかもしれないから」
「ああ、そうする」
「でも、喧嘩しない方がいいのよ」
当たり前のように治癒魔法について話す彼らには驚きを禁じ得ない。薬箱は? そういうのはここには無いの?
「じゃあな、もうひとりで遠くに行くなよ」
そう言い残してアーロンは帰った。わたしは房べりの感触がまだ残る掌をじっと見つめ、心細くなってマグダラの、母の手に縋りついた。
「よかったわね、お友達ができて」
「おともだち──」
そういや友達なんて呼べる人、あの頃は居なかったかもな。ましてや大変な時に怪我してまで助けてくれる人なんて尚更だ。
「さっきの、クラリスもできる?」
「回復魔法? どうかな。素質次第だから……」
「わたしも、なおしたい」
「そうか。じゃあ、明日から教えてあげるね」
わたしはマグダラの手を握りしめた。思えば誰かに教えを乞うなど、初めての事だった。学校には教師がいたし、部活でも顧問やコーチに教わっていた。でも、こちらが願う前に与えられていた。
仕事の場合は逆だ。見て盗め、というのが業界の掟みたいなもんだった。上手くできて当たり前、拙い時だけ罵声を浴びた。全部自己流で覚えた。爺ちゃん大工が昼休みに世間話がてら語る蘊蓄くらいしか情報源は無かったが、それが合っていると思った。
誰かに頭を下げるなんて真っ平、そう思ってきたから。
教わったことがうまくいかなかったとき、わたしなら不満に思うかもしれない。腹立たしくて憎むかもしれない。そんな位置まで誰にも踏み込まれたくなかったのだ。
変えていこう。こうやってひとつずつ、明日を変えて行くんだ。
古代イスラエルや古代ローマを下敷きに異世界ワールドを設定しております。
小説内では宗教や国家、文化に触れますが、全てフィクションであり実在のものとの関係はありません。




