4話 公共広場の井戸
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
4
ここに来て五度目の冬が終わろうとしていた。囲炉裏の炭が赤く熾るが、堪らない寒気だ。
毛布に包まって家族で温め合うから、冬の晩はずっと寄り添って過ごすのだ。
窓は小さいが開けっぱなし。塞ぐと煙に巻かれるのだろう。何なら一酸化炭素中毒になりかねない。寒い。チクショウ。
「クラリスって、全然話さない子よね。どうしちゃったのかしら」
マグダラが不思議そうに呟くと、サムソンは彼女の腹を撫でて微笑んだ。
「そうだな、もうすぐお姉ちゃんになるってのにな」
這わずに家の中を動けるようになったわたしは、彼らの言葉を殆ど理解出来るようになっていた。しかし発音が難しい。
三十路過ぎの虚栄心が言葉を妨げ、そのせいで余計に口が重くなっていた。まぁ日本語もあまり流暢に話せた訳ではないけれど。
「いっま!」
これが母という意味だが……我ながら下手くそだ。眉間に皺を寄せ、唇を尖らせる。やはり駄目だ。
「あら、上手。そう、お母さんよ」
お腹の大きくなったマグダラはわたしを抱き上げることが出来ず、頭を抱いて頬に口付けた。くすぐったくて甘いキスに蕩ける。
「あに……おへべ……いっま(お母さん、大好き)」
彼女にだけ聞こえるよう、そう小さく呟いた。
「あれ、クラリス何か言った?」とサムソンが振り返る。
マグダラは「ふふ、内緒よ」と目を細めた。
雪が溶け始める頃、マグダラは男の子を産んだ。その子はメトシェラと名付けられた。
「めとせら」
わたしは彼の黒髪を撫でてみた。随分と巻き毛だ。それではたと気付く。わたしは? わたしの髪や瞳の色をまだ知らない。鏡がないから。
メトシェラに興味を失い、わたしはサンダルを履いて外に飛び出した。
「こらクラリス、雪が残ってるのよ! 足巻きを履きなさい!」
マグダラに捕まって足巻き、サンダルの上から被せるオーバーシューズのようなものを巻きつけられた。
「いってきます」
公共広場まで行けば井戸がある。四歳の足でどれほどかかるか分からないが、水を汲めば顔が映るんじゃなかろうか。
見たい。
自分の顔だ。そりゃ確かめたい。
出来たら今度は美人がいい……マグダラ程でなくて良いから……
髪が赤いのは分かる。抜けた毛を見れば何となく察しはつく。どんな姿なんだろうか。
そんなことを考えながら、しばらく道を行くうち、冷えて震えが来た。この小さな身体は熱を蓄えることさえできないんだ、としみじみ思う。
「お前、寒くないの?」
不意に背後から声がして、わたしは身構えた。
「おい、聞こえてるだろ?」
矢継ぎ早に声が飛ぶ。恐る恐る振り返ると、子供が立っていた。いや、わたしも子供だけど。
彼は暖かそうな毛皮のマントを纏っていた。背はわたしより少し大きいようだが、骨太で逞しい。何だか気後れする。子供のくせに変な圧を感じる……
「──あなた、だれ」
声が出てこない。掠れたような、辿々しい言葉だ。耳朶が火照って視線を切る。
「俺はアーロンだ。お前サムソンさんとこの子だろ?」
「あーろん……」
馴れ馴れしい。何で絡まれているのか分からない。何だか不愉快になったわたしは、ぷいと顔を背けた。公共広場だ。井戸に行きたい。こんなのに関わっていられない。
「お、おい! お前、寒いだろって言ってんだ!」
アーロンは追い縋って首巻をわたしの頭に巻きつけた。
「くさい」
「な、何だとぉ! 我慢して巻いとけ、チビ助」
「ち、ちびすけじゃ、ない。クラリスは、四歳」
「俺は五歳だ。アーロンさんって呼べ」
ムッとして顔が曇る。何でこいつ、付いてくるんだろう。無視だ、無視。
わたしはどんどん進んで行くが、アーロンは難なく追い付く。それも苛々して、堪らず駆け出した。
「お、おい。どこ行くんだよ、ついて行ってやるから待てよぉ」
古代イスラエルや古代ローマを下敷きに異世界ワールドを設定しております。
小説内では宗教や国家、文化に触れますが、全てフィクションであり実在のものとの関係はありません。




