18話 今夜工房へ来て
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
18
「もうこの剣を振るのはやめなさい」
ミハルは木剣をわたしに返しながら言った。軽すぎる剣だ、確かにそうかもしれない。
「分かった。新しいものをつくる。でもどうすれば良い?」
ミハルは地面に枝きれで線を引くと「今のはここが重いでしょう、そうじゃなくて──」と説明しはじめた。
結局最後は感触を確かめながら良いバランスを見つける、そう結論付けた。
「ミハル、今夜工房へ来て。剣を研ぎますから」
わたしの朝の勤めはこうだ。アーロンを起こして掛け布団を畳む。その手付きは慣れたものだ。自分の布団は畳めなくても毎日の仕事なら簡単に出来る。不思議なことに。
シーツを剥いで新しいものに変え、歯磨きを済ませた彼にタオル、というか布か。布を手渡す。
身繕いを整えさせて、教師が来るのを机に並んで待つ。そこからは一緒に授業を受けるのだ。
これが近頃のわたしの生活パターンだ。考えてみれば教師にとって、ひとりに話すのも二人に話すのも同じ手間だし、時間もそう変わらない。そう、わたしの教育はオマケなのだ。
わたしは中身が中年女だから、算術は容易い……容易くはないけど、アーロンよりはマシだ。
言語、地理、歴史、宗教。その辺はアーロンとさして変わらない。
ただ、剣術は、なかなか気を使う。
「はい、構えて」
剣術指南のおじさん、いや前世のわたしよりは年下かもしれないけど。彼は気付いていないのだろうか、わたしがずっと手加減していることに。
──カツーンッ
アーロンの手から木剣が落ちた。ちょっとやりすぎたか。でも勝ったり負けたりにしないと、嘘がバレる。
「ふふっ」
わたしは得意げな顔でアーロンを一瞥して開始線に戻る。
「もう一回だ! 今度は勝つ!」
七本の手合わせで、わたしが四本取った。アーロンは悔しそうに「そんな細っこい腕で、なんでそんな速いんだ」と漏らした。
「前に言ったでしょ、この木剣は薄く軽く作ってるって。そうでないと勝負にならないよ、体格だって違うんだから」
彼に剣術の才能は多分無い。努力したらそれなりになるかもしれないけど、大きな体格を持て余してるし、太刀筋に鋭さがないのだ。
ちらっと剣術指南役の方を見る。わたしと目が合い、彼は苦笑した。やはりわたしの手加減に気付いている。そして彼の素質にも。なのに何も言わないのだ。大人のやることはこれだから。
夕飯の片付けを終えミハルの部屋を訪ねると、彼女はすっかり用意を整えて待ち構えていた。
「行きましょうか、クラリス。明日あなたが寝坊しない程度で戻りたいわ」
「そんなに時間はかからない」
わたしはストールを頭に巻いた。子供であることは隠せないが裕福な家の子供とは思われたくない。
ガマリエル邸はサムソンの家よりずっと公共広場に近く、幾らも掛からず工房へ行けた。
稜線が明るいうちに工房へ入ったわたしたちはカンテラを壁に掛けた。
「ミハル、剣を。その間に木剣を見てもらえますか?」
わたしは雑に削ったオーク材を渡し、引き換えに彼女の剣を受け取った。
蝋燭の光に照らされた刃金。目を閉じて指を這わせる。触覚に意識を集中する。
錆の凹凸、下手くそな研ぎむら。誰がこんな雑な手入れを──彼女自身か? だとしたら失礼だったな。
水を張った桶から砥石を取り出すと、砥面から水気がスウッと引く。水切れがいい砥石は扱いが難しい。硬い砥石だ。
──シイィィィ……ンッ
悪くない音。ミハルの剣は刃渡り60センチはあるだろう。きっと日本刀はこのくらいだ。
しゃ、しゃ、しゃ
まず錆と欠けを払う。反りのない剣で助かった。流石に日本刀みたいなのは、少し練習しないと難しいだろう。包丁や鋏くらいなら研いだ事あるけどさ。
──シュイイッ、シュイイッ
全体を当たる。水で泥を流すと刃金は真っ白に曇っている。指先を刃に押し付けると切先の薄さがわかる。まだまだ鈍だ。
次は白い砥石に替える。こちらも水切れが早い。サムソンは本当に良い川を教えてくれたな。これを売るだけで生きていけそうだ。
──シャッ、シャッ
手に返ってくる感触が軽い。よく研げている。肩と腕が震えてきて、額に汗が浮く。
ハッとして、ストールを頭に巻きつけ、額を覆った。汗なんか落としたら一瞬で錆びる。台無しだ。
そうしたわたしの動きをミハルは不思議そうに見つめていた。
──ついいいっ
泥を流すと、刃金の曇りが落ちて輝きが出ていた。切先を親指の腹に押し付ける。皮膚が怖がっている。よく研げている。
最後に黒い砥石に替える。これは水切れが悪い。
──つぅっ……つぅっ……
とろとろした泥を浮かせ、切先を整える。研ぐというより砥石に押し付けるだけ。出来るだけ長い距離を、出来るだけぶらさず。
ミハルへの感謝と、レアへの感謝も込めて。
泥を落とすと、顔が映る仕上がりだ。だが見た目は問題じゃない。切れ味が大事だ。
鉋の削り屑を切先に乗せ、すうっと引いてみると、音もなく裂けた。良い仕上がりだ。
「ミハル、出来ました」
「もう? 貸してください」
彼女は自分の剣を見つめ息を飲んだ。指先を添えて削ぐように動かして確かめる。
「ま、まるで剃刀じゃない。剣をこんなに研ぐものなの?」
「研ぎますよ。この剣ならケレブなんて縦に裂けます」
──ヒゥンッ! パチン。
彼女は剣を一振りし、鞘に納めた。心なしか精悍な顔にみえた。
「ありがとう。見事な研ぎだわ。心まで研ぎ澄まされた気がする」
「わたしの木剣の方は?」
「私なりに削ってみたわよ」
手渡された木剣の重さに、鼓動が跳ねた。
だって、これで打てば、人なんて絶命する。そういう重さだった。
──シュッ!
「うあ!」
身体が持っていかれる。前の木剣と全く違う重さだ。こんなんで切返したり出来るのか?
「これは、今までと随分違いますね」
「そうだね、子供用ではないかもね。しかしクラリスならこのくらいでないと鍛錬にならないから」
手の中にずしりと重い剣。長さ2キュビト(90センチ)ほどか。柄の長さを抜いても60センチはある。ミハルの剣とほぼ同じだ。さすがに長すぎる。
「わたしの思ったよりも、随分長いです」
「なら良いように削ったら?」
そう言われ、少し迷った。だって、これで殴ったら殺してしまう、そう思ったから。
待て待て、誰に剣を向けるつもりなんだ。サムソンの隣で剣を振るんだろッ!
柄を握りしめる。爪の間が真っ黒だ。何だか少し懐かしかった。
「いえ、これでやってみます」
わたしの本を読んで頂いてありがとうございます。
一日一話更新して行きます。
毎朝七時の更新を心がけます。
異世界語として用いられているのは実はヘブライ語なので翻訳検索していただければ意味が解るのですが、あまり深い意味は有りません。
言語学者さんやヘブライ語に自信ニキの方にすれば、もしかしたら文法や意味が間違っているかも知れませんがご容赦ください。




