16話 馬鹿ね、声が高いわ
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
16
刈り入れの祭りから一週間ほど過ぎた日の朝。
わたしの部屋にミハルが来て「これを合わせてごらんなさい」と畳んだ布を差し出した。肌着だ。
「こ、これ亜麻では……」
ミハルが小さく頷いた。亜麻の織り機など屋敷で見たことはない。つまり、買ったということだ。
「ミハルが?」
「まさか。奥様からです」
奥様、つまりレア。亜麻は高価だ。風通しがよくて軽い。何より、白い。
「いけません、こんな高価なもの」
ミハルは頬に手を当て、小首を傾げ息を吐いた。
「そうは言っても、もう仕立てましたし。感謝なされば良いのでは?」
そう言われれば返す言葉もない。わたしはありがたく受け取ることにした。彼女に急かされ着替えてみると、軽くて肌当たりが良く、快適そのものだった。
「いかが? 悪いところは?」
「悪いところですって? そんなのどうやって探せと?」
白い肌着に水色のサッシュを留める。裾はくるぶしに当たるくらい。何だか股がすかすかして落ち着かなかった。
ミハルは脱いだ肌着を取り上げて畳むと「こちらも近いうちにメトシェラの大きさに仕立て直しましょうね」と持ち帰ってしまった。
亜麻の肌着。日本を思い出す肌触りだ。袖口を嗅いでみると癖のある糊の匂いがした。向こうなら不快に思ったかもしれない。それがどうだ、上等な糊の匂いがする肌着だ。どうだ、この匂い。
そうして何度も頬を寄せているうち、部屋の扉を叩く音がした。部屋に入ったのは何とレアだった。
「奥様、こんな高価な肌着を下さって──」
わたしの恭しいお礼を彼女はさえぎり、「声が高い。服の礼などいいから。それより内密の話があるのだけど」と顔を近づけた。
わたしは一瞬きょとんとして、それから胃が重くなった。まさかサムソンの話では……
「実は、困ったことになったのよ。あなたに折り入って頼みたいことがあってね」
彼女の困った表情。ああ、これは違う。レアの頼み事だ。安堵して前のめりに声を上げた。
「そんなの幾らでも仰ってください!」
「ばかね、声を低く!」
しまった、どうも興奮しているらしい。わたしは口を押さえ「し、失礼しました」と眉根を寄せた。レアは吹き出して「そこまでしなくて良いわ」と相好を崩した。
「あなた、サムソンの弟子なのよね。彼からは『うちの子は天才かもしれない』と聞いていたのだけれど、クラリスのことよね」
「父様が?」
「また、声が高い」
ハッとして息を止めた。サムソンが自分を自慢していた? 素直に嬉しかった。
「天才かは別として、確かに父様を手伝っていました」
「やっぱり。あなた、棚を直せないかしら」
案内されたレアの部屋は豪農の奥方らしく広々とした良い部屋だった。
その一角には棚板が嵌め込まれ、杯や扇、香油の飾り瓶などが並んでいた。その下段に膝掛け布が乱暴に押し込まれているのに気付いた。
「実はね──」と言って膝掛け布を除けると、下段の棚板がへし折れていた。
「これは……」
レアは「私が踏んで、壊したのよ」と苦笑いした。
「杯を取ろうと思ったのだけど、横着をして棚に足をかけたところ、見事に踏み破ってしまったわ。棚が壊れたことくらいで夫は怒りはしないわ。壊し方の方が、ね」
確かに、そのはしたない姿を夫に知らせるのは、第三夫人として大層言い出しにくいことだろう。わたしは何と言って良いか分からず、スッと視線を逸らした。
「ほら! そういう風にあの人も思うでしょうよ。なので内密に修繕する必要があるのよ!」
「お、奥様、声が高いのでは」
レアはハッとして口元を押さえた。わたしは思わず吹き出した。こんなに可愛らしい方だと思わなかったから。
「喜んでお引き受けします。しかし、問題が」
「どのような」
「手頃な材は持っています。油で仕上げて蝋を引けば問題なく修繕できましょう。しかし、新しいものは色が白いので、目につくかと思います」
レアは笑って「男がそんなことに気付くわけが無いのよ。ミハルの肌が白くなっていたってあの人は気付きやしないわよ」と言った。
「そ、そんなものでしょうか」
「そんなものよ。それでは、頼んだわよ?」
棚板の破片を持ち帰ると、部屋にはミハルが待機していた。
「奥様から、あなたを手伝えと言われています。何か必要なものがあれば、私が用意しますが」
「そうね、工房へ行けば直ぐに直せそうだけれど」
工房なら作業しやすい。何より、あそこで棚を直すことを思うと、何だか少し心が弾んだ。
ミハルはそれに同意し、教師に講義の欠席を伝えてくれた。アーロンは不満を漏らしたが、レアから頼まれた用事だと知り、口を噤んだ。
ミハルは背負い袋を担いでわたしに同行してくれた。破損した棚板は彼女の袋の中だ。
果樹園では早なりのいちじくが赤黒く熟れている。ミハルがそれをひょいひょいと捥いで投げ渡した。
「い、良いのですか? 旦那様の果樹を──」
「お腹が減って食べるくらいで、旦那様はお怒りになったりしません。野の鳥にだって食べさせているのですから。風が気持ちいいですね」
向かい風で彼女の灰色の髪が乱れる。それを押さえると袖が大きく捲れ、二の腕があらわになった。青い墨の幾何学模様が、ぐるっと一周していた。
刺青っていったら罪人、というのは元の世界の感覚なのか。この世界ではどうなんだろう。
でも、恐怖や嫌悪はなかった。それどころか、見惚れた。
村落までの道中、わたしは果実を齧りながらミハルの刺青のことばかり考えていた。
工房に入るとミハルは鎧戸を開けて回った。わたしも負けじと道具袋の紐を解いた。道具の手入れは行き届いている。近頃は数日置きに道具の手入れに来ている。
「じゃあ、早速やります。棚板の破片を」
「はい、これね」
ミハルはそれを差し出すと、椅子に腰掛けてわたしの手元に視線を送った。別に仕事を見られても緊張はしないが。
「それは、どういう道具?」
ミハルがわたしの手にした曲尺(それを模した木の定規に過ぎないが)を珍しそうに指差した。
「これを使うと、直角に線が引けます」
「ちょっかく」
サムソンは知識人では無かったが、直角の求め方は知っていた。3対4対5に印をつければ直角になる。つまりこの世界には幾何学の概念がある。
しかしミハルは直角を知らない。職人だけの概念かもしれない。
印をして墨をつけ、のこぎりを引く。その切れ味にミハルは声を上げる。
「ちょ、ちょっとクラリス。そののこぎり、魔道具なの?」
「いえ、少しわたしなりの工夫をしただけの、普通ののこぎりですよ」
まあ確かに、サムソンののこぎりの目は素歯だった。それをアサリ目、つまり左右互い違いに研いだ。この細工によってのこぎりの刃が材木に挟まれることなく切れる。
現代では当たり前だが、この世界では知らない概念らしかった。魔法に見えてもおかしくない。
乾燥した材から棚板を切り出す。これを粗い道具でやるなんて、気が遠くなる。だから、道具の手入れ、工夫が必要なんだよね。
ミハルに感心されたい。何故かそんな気になって、本気でのこぎりを引いた。極限まで真っ直ぐに、一切ぶれなく。
集中!
「ふぅ」
それなりに真っ直ぐな木挽きだと、我ながら感心する。あとは鉋で表面と角を仕上げ、出来上がりだ。それでも一時間くらい掛かっただろう。
「な、何よこの道具! こんなの見たことない。それに、刃物の切れ味が、普通じゃない」
「父様には才能がある、名匠になれると褒められました」
少し鼻が高かった。どうだ。
「あなたは、職人の素質がある。いや、もうその歳で見事な腕をしている」
そうだろう、そうだろう。現代人だからな。
「──なのに、毎日、木剣を振っているのね。この三年、一日も欠かすことなく……」
ミハルは震えていた。その肩を見て、わたしも真面目な顔になった。
「もう少し大きくなったら、父様を手伝いに行きたいの」
父を手伝いたい。そうだ。マグダラを探すにせよ、木工にせよだ。わたしは、サムソンを手伝いたい。
いつのまにか、頬に熱いものが溢れていた。
「私は、少し武器の扱いを知っています。もしクラリスが良ければ、見てあげましょうか」
返答はひとつしかなかった。
わたしの本を読んで頂いてありがとうございます。
一日一話更新して行きます。
毎朝七時の更新を心がけます。
異世界語として用いられているのは実はヘブライ語なので翻訳検索していただければ意味が解るのですが、あまり深い意味は有りません。
言語学者さんやヘブライ語に自信ニキの方にすれば、もしかしたら文法や意味が間違っているかも知れませんがご容赦ください。




