14話 わたしに仕事をください
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
14
三日してもサムソンは戻らなかった。
正直なところ、わたしはこの件がそう容易に解決するなどとは考えてはいなかった。とはいえ今後の身の振り方は不安だ。
朝食のあとでガマリエルはわたしを自室に呼んで、こう言った。
「サムソンからの手紙が届いた。ガリアの地方領主様は人拐いについての訴えを聞いてくれたものの、兵を出しての捜索までは出来ないと言われたそうだ」
わたしはガマリエルに丁寧に答えた。
「ご親切にありがとうございます。でも、そうなるかもしれないと思っていました」
彼は目を伏せ、深く息を漏らした。
「賢い子だな、きみは。それでサムソンは自身でマグダラの居場所を突き止めることを申し出た。領主様は彼女の居所が判明すれば協力を惜しまない、と約束してくれたそうだ」
わたしはどう答えれば良いか迷い、唇を結んだまま、すこし黙り込んだ。それを見てガマリエルさんが「それだから──」と言葉を続けた。
「それだから、サムソンが戻るまできみたち姉弟はここで暮らすといい。わたしはサムソンとは友人だし、マグダラはアーロンの先生だ。他人事とは思わない。幸い、わたしには子供ふたりを引き受ける程度の余裕はある」
わたしは膝をついて「ご親切に感謝します」と答えた。
ガマリエルは頷き、わたしを立たせようと手を差し伸べた。けれどわたしは膝をついたまま、顔を上げた。
「ひとつ、お願いがあるのですが」
「何かな」
「わたしに仕事をください」
彼は目を丸くした。それから顎髭に手をやり、困ったように笑った。
「きみはまだ五歳だろう。仕事などしなくていい」
「ただ置いてもらうだけでは、かえって心苦しいのです」
言いながら、耳朶が熱くなった。もっと上手い言い方があるはずなのに、この舌はいつだって肝心なところで回らない。
施しを受けるのが怖いのだ。受けた恩はいつか返さなきゃいけない。返せないまま積み上がっていくのが、たまらなく怖い。督促状の束を見るたび胃がきりきりした、あの感じがする。
ガマリエルは暫く黙ってわたしを見下ろしていた。やがて「では」と口を開いた。
「アーロンの世話係を頼もう」
「アーロンの、ですか」
「あれは男兄弟の末で甘ったれだ。きみが側にいれば、少しはしゃんとするだろう」
世話係。アーロンの身の回りのことは、タビタの乳母のミハルが見ている。わたしがいてもいなくても変わらない。つまり、名目だ。
それが分かって余計に顔が熱くなった。見透かされている。それでも、何もないよりずっといい。
「──よろこんで、お引受けします」
「細かいことはミハルに聞きなさい。彼女はこの家のことを誰よりもよく知っている」
翌朝、空が白む前にミハルに起こされた。
「クラリス、起きなさい。世話係は坊ちゃんより先に起きるものですよ」
羽毛の布団は名残惜しいが、仕事は仕事だ。現場の朝だって早かった。
ミハルはわたしに麻の前掛けを巻きつけ、腰紐をきゅっと結んだ。浅黒い指が器用に動く。袖口から、あの刺青の端がちらりと覗いた。
見てはいけない気がして、わたしは視線を落とした。
最初の仕事は水汲みだった。中庭の貯水槽から水瓶に水を移し、坊ちゃんの洗面用に運ぶ。
抱え上げようとして、よろけた。重い。
「腕だけで持とうとしては駄目よ」
ミハルがわたしの腰に手を添えた。
「膝を曲げて、瓶を身体に寄せて。腰で持つの」
言われた通りにすると、ふっと軽くなった。
ああ、これ知ってる。資材の担ぎ方だ。重い物は身体から離すなって、爺ちゃん大工によく言われた。守らないで何度も腰を痛めたっけ。
「覚えが早いのね」
ミハルは表情を変えずにそう言った。褒められたのかどうか、よく分からなかった。
アーロンの部屋の扉を叩き、水瓶を運び入れる。彼はまだ寝台で丸まっていた。
「坊ちゃん、朝でございます。お顔を洗ってくださいまし」
わざと恭しく言うと、アーロンは跳ね起きた。
「な、何やってんだクラリス!」
「世話係になったの」
「やめろよ、そういうの……」
彼は耳まで赤くして顔を洗った。わたしは澄まし顔で手拭いを差し出した。案外、悪くない仕事かもしれない。
それからの毎日、わたしはミハルの後をついて回った。
アーロンの寝具を干し、外套の埃を払い、算術の授業には蝋板と尖筆を揃えて控える。その合間に厨房の石臼で麦を挽く。ミハルと向かい合い、ふたりで把手を回すのだ。
ごりごりと石の擦れる音。粉の匂い。単調な作業だが嫌いじゃなかった。手を動かしていると、余計なことを考えずに済む。
ミハルは多くを語らなかった。教えるのは手順だけ。上手く出来ても褒めないし、しくじっても叱らない。ただ黙って、やり直して見せる。
見て覚えろ、ということか。でも現場のそれとは少し違った。彼女はわたしが覚えるまで、何度でも見せてくれるのだから。
メトシェラはタビタと一緒にミハルが見てくれた。二人並んで粥を啜る姿は、まるで双子のようだった。
弟の頬に火傷の痕は残らなかった。アーロンのお陰だ。
ひと月ほどが過ぎ、屋敷の暮らしにも少し慣れた頃、ふと気になった。
──父様の工房。
サムソンが出立してから、誰もあの扉を開けていないはずだ。春の雨が続いたから、刃物は錆びているかもしれない。そう思い始めると、居ても立ってもいられなくなった。
「ミハル、半日だけお休みが欲しいのだけど」
彼女は石臼を回す手を止め、わたしの顔をじっと見た。
「どこへ行くの?」
「父様の工房へ。道具の手入れをしたいの」
ミハルは少し考えて「坊ちゃんの授業が終わるまでに戻りなさい」とだけ言った。
市の立たない日の広場。人影はまばらだった。井戸の脇を抜け、工房の前に立つ。
扉を押すと、蝶番が軋んだ。
薄暗い室内に、埃と木の匂いが籠もっていた。鎧戸を開けると、光の中に細かな塵が舞った。
作業机の上には、あの日のままの道具が並んでいた。わたしが研いだノミ、のこぎり、銑。
そして、オークの端材で拵えた鉋。
手に取ると、ずしりと重い。いや、重く感じるだけか。
台の穴は歪で、刃の出も左右で揃っていない。刃先には案の定、赤錆が浮いていた。父様に褒められて舞い上がって、そのままにしていた。作りかけだ。
石床に砂を撒いて水を打ち、砥石を擦り付けて面を出す。あの日持ち帰った、自分用の砥石だ。
それから一本ずつ、刃を立ててゆく。ノミ、のこぎり、銑。最後に鉋の刃。
しゃっ、しゃっ、しゃっ
研ぎ汁が指の間を伝う。周りの音が遠ざかってゆく。
ノミの柄の手擦れは、サムソンの掌の形だ。のこぎりの柄も、銑の持ち手も。どれも彼の手に馴染むように、少しずつ擦り減っている。
ふと手を止めると、視界が滲んでいた。
泣くな。研ぎの最中に泣く大工があるか。刃先が見えなくなるだろ。
袖で乱暴に目を拭い、鉋の刃を窓の光に翳す。今度は角まで真っ直ぐだ。
台に刃を差し込み、端材の上で引いてみた。
しゅるり
薄い鉋屑がくるりと巻いて、足元に落ちた。オークの澄んだ香りが立ち昇る。
わたしはそれを拾い上げ、そっと掌に乗せた。
「父様、道具は、わたしが見ておきます」
誰もいない工房に、自分の声が小さく響いた。
だから無事に帰ってきて。マグダラを連れて。
一章 完
古代イスラエルや古代ローマを下敷きに異世界ワールドを設定しております。
小説内では宗教や国家、文化に触れますが、全てフィクションであり実在のものとの関係はありません。




