11話 燃えていた
<あらすじ>
ギャンブルで身を持ち崩した三十路女。目覚めると彼女は赤ん坊。そしてそこは異世界でした。
特別な力を授かるでもない彼女の異世界生活。前世から持ち越せたのは大工としての知識だけだった。
「今度こそ、わたしは自分の家を建てる!」
11
帰るとアーロンが泣いていた。そして
家が燃えていた。
バチバチと爆ぜる木材の音と、咽せ返るほど、酸い炭の臭いが辺りを包んでいた。
我が家から立ち昇る煙が頭上を覆い、薄暗い中に舌のような炎が揺れる。
震えたまま立ち尽くすわたしを残して、サムソンが駆け出した。わたしたちに気付いたアーロンの慟哭が大きくなる。
それが、ことの深刻さを物語っていた。わたしは「メ、メトシェラは──」と小さく呟いた。
その声は誰にも届かない。誰にも。
漂う灰が左眼に入って顔を顰めたとき、背中から怖気が這い上がり、わたしは叫んだ。
「メトシェラは!? 母様は!?」
するとアーロンは指差した。家と逆方向、集落のさらに向こうを。
その時、サムソンがメトシェラを抱えて家の裏口から飛び出した。彼の黒髪は焼けて縮れ、頬の辺りに水ぶくれが出来ていた。
「メトシェラ!」
サムソンの腕の中でぐったりしたメトシェラの頬に手を伸ばす。戦慄く指先はそこに触れるのを躊躇った。爛れた皮膚が引き攣れていたから。
「大丈夫、息はあるッ! しっかりしなさいクラリス!」
サムソンの檄。腹に力を込めて「はい、父様」と返した。それでも涙は止められなかった。
「お、俺が癒すッ!」
アーロンは手を組んで目を閉じると、震える声で詠唱を始めた。
「אבי השמיים האדיר, חזק את השה שלך ברוח הקודש למען יקום.」
何も起こらない。わたしの狼狽が伝わったかして、アーロンは玉のような汗を浮かべた。そしてもう一度、落ち着いた声で唱えなおす。
「אבינו הגדול שבשמיים, יתגדל שמך. תהי תמיכת רוח הקודש כדי שגבורתך תיראה וכדי שהעולם ידע שהשה שלך מוגן.」
今度は光が満ちて、メトシェラがびくっと身体を跳ねさせた。
「メ、メトシェラッ!」
みるみる肌の状態が戻ってゆき、光が弱まるとともにアーロンは崩れるように膝をついた。
「父様もお願い、アーロン!」
青ざめた彼は「続けては、無理みたい」と捻り出すように言った。
「俺は平気だ、このくらい。それより何があったか話せるか?」
少し呼吸が落ち着いたメトシェラを見てわたしは胸を撫で下ろした。まだ一歳すこし、やっと掴まり立ちし出したくらいなんだ。
アーロンの方は、煤と涙の跡で汚れた顔だが怪我は無さそうだった。しかし困憊しきっている。
「アーロン、お水を」と水筒を差し出す。彼は呷るように飲み、大きく息をついた。
「先生が拐われたんだ。あいつらカノープスに乗ってた」
「カノープス……?」
困惑するわたしにサムソンが説明する。
「クラリスはまだ見たことがないだろう。ラゴス(野うさぎ)とタイーシュ(山羊)を合わせたような野獣だ。山賊がよく用いる」
アーロンは歯噛みし、拳で膝を打ち叩いた。
「先生を拐って、馬車に放り込んだあと、あいつら火をかけたんだ。炎は出なかったから馬車を追いかけたんだけど、賊のひとりに蹴り倒されて……振り返ると家から煙が出てて、メトシェラのことを思い出して──馬車はどんどん進むし、け、煙が……うぐッ、どうしたらいいかわからなくて……ヒグッ……」
それ以上話せなくなって、アーロンは地に顔を伏せた。背中が震えていた。彼はまだ六歳だ。大人相手になんか何もできない。わたしは「ありがとう」と、その背中に頬を寄せた。
「馬車を──」
サムソンは怪訝な面持ちをした。空からはアーロンの涙と呼応するように、大粒の雨が落ち始めていた。
わたしの本を読んで頂いてありがとうございます。
一日一話更新して行きます。
毎朝七時の更新を心がけます。
異世界語として用いられているのは実はヘブライ語なので翻訳検索していただければ意味が解るのですが、あまり深い意味は有りません。
言語学者さんやヘブライ語に自信ニキの方にすれば、もしかしたら文法や意味が間違っているかも知れませんがご容赦ください。




