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第7話 行商人の勘


 1840年に入ると、村の空気はさらに張り詰めていった。


 イギリス艦隊が広州湾に姿を見せた、という話が伝わってきたのは夏の終わり頃だった。清軍が沿岸の砲台を強化しているとか、逆に呆気なく撃ち破られたとか、伝聞は錯綜していて、どれが本当なのか村の誰にも分からない。


 だが俺には、おおよその筋書きが分かっていた。


 この年の後半、イギリス艦隊は広州湾内での交渉と睨み合いを経て、翌年にかけて珠江デルタ沿岸部の要所を次々と制圧していく。舟山や虎門といった地名も、そう遠くない未来に出てくるはずだ。花県は内陸側にあるから直接の戦場になる可能性は低い。だが、広州とその周辺を結ぶ交易路は、確実に混乱する。


 ちょうどその頃、伯父の一人が広州の商館に絹と茶葉を卸す用件で、街道を使って出向く計画を立てていた。


 「今回はやめておいた方がいいと思います」


 俺は、伯父が出発の支度を始めた朝、思い切って口を挟んだ。族弟の分際で、と睨まれるのは覚悟していた。


 「なぜだ。今行かねば、今年の分の掛け金が入らん」


 「広州の周りが、思っている以上に荒れます。街道で足止めされるどころか、下手をすれば巻き込まれます。今月は特に危ないです」


 根拠を問われても、俺には「そういう気がする」以上の説明ができない。まだ十七の子供の勘に、家業の判断を委ねるなんて正気じゃない。伯父は結局、俺の言葉を半分も信じないまま、それでも「用心のためだ」と言い訳をつけて、出発を十日ほど遅らせただけで街道に出た。


 ——それだけでも、十分だった。


 伯父が最初に出発するはずだった日、実際にその街道沿いで、清軍の敗残兵と土地の民兵が衝突する小さな騒動があったらしい。運悪くその場に居合わせた別の商人が、荷を丸ごと奪われたという話が、数日後に村まで伝わってきた。


 伯父は帰ってくると、真っ青な顔で「危なかった」と繰り返した。誰かに聞いた話ではなく、自分の判断で日をずらしたはずの十日間が、生死を分けたかもしれないという実感が、本人の中にじわりと広がっていくのが分かった。


 この一件以来、家の中での俺の扱いが、少し変わった。


 子供の思いつきだと笑っていた大人たちが、俺の言葉を軽く聞き流さなくなった。もちろん、まだ「族弟の変わり者」の枠を出るものではない。だが、この枠の中でなら、多少無茶な提案でも通るようになった。


 ——十分だ。今はこれで十分だ。


 俺が本当に欲しいのは、家業の判断権なんかじゃない。もっと先にある、もっと大きな賭けのための下地作りだ。この程度の「勘の良さ」で得られる信用は、いわば種銭だ。まだ使い道は誰にも見せていない。


 兄貴は、この年もまだ落第の恨みを抱えたまま机に向かっていた。1842年、南京条約。そこまでは、あと二年。


 俺の中の算盤は、静かに、確実に進んでいた。


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