第37話 鉄と規律
清朝を倒す。その決意を将たちに告げる前に、俺には、やっておかねばならないことがあった。
軍そのものを、作り変えることだ。
太平天国の軍は、強かった。だがそれは、追い詰められた者たちの、剥き出しの士気に支えられた強さだった。装備は寄せ集め、編成はばらばら、指揮系統は、王ごとの私兵集団の緩い連合に過ぎない。金田で蜂起した頃と、その本質は、さして変わっていなかった。
——このままでは、清の義勇軍には勝てても、その先には進めない。
俺が見据えていたのは、清朝の旧軍だけではなかった。その先にいる、曾国藩の湘軍、李鴻章の淮軍——西洋兵器を取り入れ始めた、新しい漢人の軍。そして、いずれ相対するかもしれない、海の向こうの勢力。それらと渡り合える軍を、今のうちに、作り上げておく必要があった。
俺は、上海で築いた伝手を使って、まず、兵器を仕入れた。
ミニエー銃。銃身の内側に螺旋の溝を刻んだ、施条銃だ。従来の滑腔銃とは、射程も命中精度もまるで違う。狙って、当てられる。清朝の緑営が未だに抱える旧式の火縄銃や、粗末な鳥銃とは、比べ物にならなかった。
後装式の大砲も、少数ながら手に入れた。砲口からではなく、後ろから弾を込める。装填の速さが段違いで、しかも遮蔽物の陰から撃てる。
そして、長江という大動脈を制するための、蒸気砲艦。風向きに縛られず、川を自在に遡り、下る。兵と物資を、恐るべき速さで運べる鉄の船。
——だが、買うだけなら、清もやる。
俺は、そこで満足しなかった。
史実の清朝も、この後、洋務運動と称して、西洋の兵器を買い漁ることになる。だが、買った兵器は、いつか尽きる。壊れれば、直せない。弾が切れれば、また買うしかない。買い続ける限り、列強に首根っこを押さえられたままだ。それでは、薩摩の一勝の如く終わってしまう。
俺が欲しかったのは、兵器そのものではなかった。兵器を、作り続けられる仕組みだった。
俺は、安慶に、兵器の工廠を建てさせた。
最初は、輸入した兵器の、修理と模倣から始めた。壊れた銃を分解し、部品を写し取り、同じものを作る。上海で雇い入れた西洋の技師と、選抜制度で見出した、算術と手先に長けた若者たちが、そこで額を突き合わせた。最初に作られた銃は、粗悪で、まともに撃てないものも多かった。だが、それでよかった。一挺、また一挺と作るうちに、技術は、確実に、この国の中に蓄積されていった。
——種火だ。これが、いつか、この国自身の火になる。
兵器が揃っても、それを扱う兵が旧態依然のままでは、意味がなかった。
俺は、部隊の編成そのものに、手を入れた。
王ごとの私兵の寄せ集めを解体し、選抜制度をくぐった士官が指揮する、規律化された部隊へと再編する。号令一下、一斉に装填し、一斉に撃つ。隊列を組み、退き、また前に出る。西洋式の教練を、繰り返し、繰り返し、叩き込んだ。
個々の兵の勇猛さに頼る戦い方から、部隊全体が一つの機械のように動く戦い方へ。それは、太平天国の軍にとって、革命的な変化だった。
この新しい軍を率いたのが、李秀成をはじめとする、新世代の指揮官たちだった。
彼らは、尉官として泥をくぐり、軍の学校で近代の用兵を学んだ、俺の設計の申し子だった。旧来の老兄弟の将のように、勇気だけで突っ込むこともなければ、机上の学者のように、現実を知らずに指図することもない。兵器の性能を理解し、地形を読み、部隊を精密に動かす。李秀成が指揮する部隊の、その統制の取れた動きを見たとき、俺は、確かな手応えを感じた。
——できた。これが、俺の軍だ。
ある日、俺は、新編成の部隊の、実弾を使った教練を見に行った。
号令とともに、ミニエー銃の一斉射撃が、轟音を上げた。整然と並んだ兵たちが、煙の中で、淀みなく次弾を装填し、再び構える。遠くの的が、次々と打ち砕かれていく。後装砲が、地を揺らして火を噴く。かつて、竹槍と火縄銃で清軍に挑んだ、あの金田の頃とは、まるで別の軍が、そこにいた。
俺は、その光景を眺めながら、日本にいた頃に読んだ、雑学の断片を思い出していた。
——プロイセンだな、これは。
小国から、鉄と規律で、ヨーロッパの強国へとのし上がった、あの軍事国家。一発の勝利に酔うのではなく、勝ち続けられる仕組みそのものを、国の骨格に組み込んだ国。俺が作ろうとしているのは、それだった。薩摩の一勝ではなく、プロイセンの持続。
兵器を作る工廠。兵器を扱う規律ある兵。兵を率いる、選び抜かれた指揮官。そして、それらを絶えず供給し続ける、選抜と教育の仕組み。そのすべてが、噛み合って、初めて、一つの近代の軍になる。
——これで、清と戦える。その先とも、戦える。
俺は、教練場に響く銃声を背に、静かに拳を握った。
準備は、整いつつあった。あとはこの鉄の軍を、清朝の心臓へと向けるだけだった。




