第33話 儒者の席
列強との交渉に一区切りつけた俺は、いよいよ内政の本丸に手をつけ始めた。
この国が長く続くために、避けて通れない問題があった。
——儒教を、どうするか。
太平天国は、その旗印として、儒教を全否定していた。孔子の位牌を倒し、科挙を廃し、四書五経を偶像崇拝の書として退けた。この徹底した否定こそが、土地を持たない客家や下層民を惹きつけ、動員する原動力だった。
だが、統治となると、話は別だった。
この国の占領地には、何百年も前から、儒教の素養を持つ郷紳——地方の読書人層が根を張っていた。徴税の実務、訴訟の裁定、地方の秩序維持。彼らが握っていた行政の実務は、一朝一夕に代わりが利くものではなかった。史実の太平天国は、この層を丸ごと敵に回し、彼らが組織した義勇軍——曾国藩の湘軍、李鴻章の淮軍に、最終的に叩き潰された。
——同じ轍は、踏まない。
俺は、執務室で一人、この難題を、頭の中で転がし続けていた。
選択肢は、大きく分けて二つあった。
一つは、儒教を看板通りに全否定し続け、郷紳を排除しきること。動員の理屈には一番忠実だが、行政の実務が回らなくなる。史実の太平天国が辿った、破滅への道だ。
もう一つは、清朝のように、儒教的な体制を温存したまま、西洋の技術だけを継ぎ足すこと。中体西用――だがこれは、古い物差しを抱えたまま中途半端な近代化に終わり、いずれ行き詰まる。俺は、その先の歴史を知っていた。
——どちらも、駄目だ。第三の道がいる。
俺が選んだのは、飼い殺しだった。
儒教の素養を持つ郷紳を、即座に敵として排除するのでもなく、かといって、その古い権威をそのまま温存するのでもない。彼らに、新しい体制の中の「席」を用意する。徴税や行政の実務を担う、下級の役人としての席を。
ただし、その席は、かつての科挙官僚のような、自律した権力の座ではなかった。俺が設計した新しい選抜制度に従属し、俺が定めた法と文書の枠組みの中でしか機能しない、末端の実務職。旧来の儒教的な権威は、そこには一切、付いてこない。
——席は、やる。だが、牙は抜かせてもらう。
最初のうちは、彼らも喜んで席に着くだろう。反乱勢力に排除されるかと怯えていたところに、実務の役目が与えられるのだ。生き延びる道が示されたと、安堵するに違いない。
だが、時が経つにつれて、彼らは気づくことになる。自分たちが握っていたはずの権威が、少しずつ形骸化していくことに。子や孫の世代が、儒教の素養ではなく、俺の作った選抜試験——算術や実務や洋学を問う、新しい物差しでしか、出世できなくなっていくことに。
旧来の儒者は、新体制の中で、静かに、しかし確実に、力を失っていく。一世代、二世代とかけて、儒教という古い物差しは、この国の統治の中枢から、じわじわと締め出されていく。
——日本が、士族にやったことと同じだ。
俺の頭には、まだ見ぬ未来の日本の記憶があった。明治という時代、日本の新政府は、かつての支配階級だった武士——士族を、即座に皆殺しにしたわけではなかった。彼らに、いったんは俸禄を与え、官吏や軍人や教員として新体制に取り込みながら、その特権を、段階的に、少しずつ剥奪していった。抵抗する体力を奪い、最後には、旧時代の支配階級を、新しい国家の従順な部品として作り替えた。
俺がやろうとしているのは、それだった。
——儒教はいずれ、否定される。歴史の必然だ。ただ、それが八十年、早まるだけだ。
俺は、そのことに、特別な感慨を抱いていなかった。
儒教を憎んでいるわけでも、正義のために打ち倒そうとしているわけでもない。ただ、いずれ来る未来を、なるべく血を流さずに、前倒しで実装する。それだけの、淡々とした作業だった。革命家の情熱でも、保守派の郷愁でもない。俺にとって儒教の解体は、思想の問題ですらなく、ただの工程管理だった。
どの順番で、どの特権から剥がしていくか。どの世代で、物差しを完全に入れ替えるか。急ぎすぎれば、史実のように郷紳が一斉に反旗を翻す。緩すぎれば、古い物差しがいつまでも残る。その匙加減を、俺は冷静に、書類の上で計算していった。
執務室の机には、儒者たちに与える「席」の一覧が、静かに積み上がっていった。それは、彼らを生かすための名簿であり、同時に、彼らの権威を、一世代かけて葬るための、緻密な設計図でもあった。
——さあ、席に着いてもらおうか。ゆっくりと、首を絞めていくために。
俺は、次の書類に手を伸ばした。




