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第25話 天朝田畝制度

 天京に腰を据えた太平天国は、いよいよ国としての制度を、本格的に整え始めた。


 その目玉として打ち出されたのが、天朝田畝制度(てんちょうでんぽせいど)だった。


 俺は、その草案を初めて目にしたとき、思わず天を仰いだ。


 ——理想が高すぎる。高すぎて、地に足がついていない。


 中身はこうだった。天下の田畑を、すべて上帝のものとする。それを人々に、老いも若きも、男も女も、頭数に応じて均等に分け与える。収穫は各家が必要な分だけを取り、余りはすべて「聖庫」――国の共同倉庫に納める。私有財産を認めず、誰もが等しく食い、等しく暮らす。


 「万姓は一姓から出て、一姓は一祖から出た」——あの、俺自身が育てるのを手伝った、兄弟平等の理屈。それを、土地と財産の分配にまで、徹底的に押し広げた制度だった。


 理念としては、美しい。この世の貧富の差を、根こそぎ無くそうという理想だ。土地を持たない客家や、飢えて流れてきた貧農にとって、これほど魅力的な約束はない。動員の旗印としては、満点だった。


 だが、統治の実務として見れば、これは絵に描いた餅だった。


 ——誰が、その田畑の割り振りを管理するんだ。誰が、余剰を正確に測って倉庫に納めさせるんだ。誰が、それをごまかす人間を取り締まるんだ。


 全国の土地を頭数で均分するなど、正確な戸籍と地籍、膨大な数の実務役人、そして不正を許さない監査の仕組みがなければ、絶対に回らない。今の太平天国に、そんな行政能力はどこにもなかった。この制度は、掲げた瞬間から、実施できないことが分かりきっていた。


 俺は、しばらく考え込んだ。


 この理想を、真正面から「無理です」と否定するのは、下策だ。これは兄貴の——いや、俺自身も育てるのを手伝った、あの兄弟平等の理屈の、正当な帰結だ。これを否定すれば、教義の根幹そのものを揺るがしかねない。


 ——旗印は、そのまま掲げておけばいい。下ろす必要はない。


 俺が考えたのは、理想の看板を残したまま、その下で回る現実的な仕組みを、こっそり作ることだった。


 まず、土地の均分は「究極の目標」として掲げたまま、当面は棚上げにする。その代わり、占領地では、実際に耕している農民から、決まった率で税を取る、昔ながらのやり方を、しれっと続けさせる。理想は理想として空に飾り、足元では現実の徴税を回す。二階建ての構造だ。


 この「現実の徴税」を、誰が、どうやって回すか。ここで、俺がずっと温めてきた帳面が、初めて本当に生きた。


 字が書けて、算術ができて、実直な人間——俺がこれまで目星をつけ、恩を売り、読み書きを教えてきた男たち。彼らを、徴税と記録の実務役人として、各地に配置していく。李秀成のような、科挙なら門前払いされていたはずの男たちが、この新しい仕組みの中で、初めて正式な役目を得た。


 ——これだ。これがやりたかったんだ。


 理想の平等を掲げながら、その裏で、能力に応じて人を選び、配置する。建前の「皆兄弟」の下で、実際には実務能力という新しい物差しが、静かに動き始める。それは、あの日本の受験でも、就活でも、現代中国の格差でも見た、どこにでもある構造だった。ただ俺は今回、その物差しを、出自や血縁ではなく、純粋な実務能力に、意図的に寄せて設計していた。


 もちろん、これは楊秀清の領域とは、綺麗に棲み分けられていた。軍神は、戦のことにしか興味がない。徴税の税率だの、地方役人の任免だのという地味な話に、彼が口を挟んでくることは、ほとんどなかった。


 俺は、誰にも邪魔されない静かな領域で、自分の帳面を、一枚また一枚と、現実の制度に変えていった。まるで自分の人生に対する復讐のような爽快感があった。


 天朝田畝制度という美しい理想は、天京の空に、旗として掲げられたままだった。その旗の下で、地に足のついた統治の骨格を組んでいるのが、俺だということに、気づいている者は、まだ誰もいなかった。


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