第23話 長江を下る
1852年12月、武昌が陥落した。
長沙で足止めを食らった分を取り返すように、その後の太平軍の進撃は、恐ろしい速度で転がっていった。武昌を落とすと、太平軍はそのまま長江に船団を組み、五十万とも言われる大船団で、川を下り始めた。
俺はその船団の一角から、両岸を流れていく景色を、ただ眺めていた。
——化け物だな、これは。
この進撃を指揮しているのは、実質的に楊秀清だった。船の調達、兵站、行軍速度の管理——どれをとっても、俺の帳面仕事の何十倍もの規模を、事も無げに捌いている。安慶を落とし、九江を落とし、太平軍はほとんど休みなく、南京へ向けて突き進んでいった。
俺にできることは、ほとんどなかった。
記録係としての仕事は続けていたが、この怒涛の進撃の中では、清書する内容そのものが、楊秀清の指揮の実績で埋め尽くされていく。俺は帳面に、淡々と日付と戦果を書き記しながら、内心では別のことを考えていた。
——「皆兄弟」なんて、やっぱり建前だよな。
船団の中では、すでに序列がはっきり見えていた。永安以前から兄貴に付き従っていた「老兄弟」と呼ばれる広西以来の古参と、湖南・湖北で新しく加わった者たちとでは、扱いがまるで違う。同じ「上帝の子」であるはずなのに、指揮の要職に就けるのは、ほとんどが老兄弟だった。新参者は、どれだけ腕が立っても、まず末端の兵卒からやり直しだった。
俺はそれを見ながら、日本にいた頃を思い出していた。
あの世界でも、似たようなものだった。表向きは実力主義、機会は平等だと誰もが言う。だが実際には、実家が太いかどうか、就活で「盛れる」ガクチカを持っているかどうか、面接官と如才なく喋れるコミュ力があるかどうか——そういう、努力とは少し違う種類の物差しで、最初から線が引かれていた。
いや、今の中国だってそうだ。共産主義を掲げていても、都市と農村の格差、戸籍による分断、上級国民めいた層の存在——建前の平等と、現実の階層は、いつだって別のところにある。
——結局、どの時代も、どの体制でも、これなんだよな。
俺はその現実に、特に怒りも失望も感じなかった。ただ、事実として頭の帳面に書き留めるだけだった。老兄弟が優遇されるなら、その老兄弟の中に、俺自身の足場をどう食い込ませるか。李秀成のような新参の実力者を、この序列の外側から、どう引き上げてやるか。建前を批判したところで、何も変わらない。使える構造として、乗りこなす方が早い。
船団は、九江を越え、いよいよ南京へと迫っていった。
両岸には、清朝の統治の緩みを映すように、荒れた田畑と、逃げ惑う流民の姿が続いていた。俺はその光景を眺めながら、帳面の余白に、小さく書き足した。
——南京まで、あと少し。ここからが、俺の出番だ。




