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第21話 湖南への道

 永安を脱してから、太平軍の進撃は、俺の想像を超える速さで転がり始めた。


 湖南に入ると、それまでとは明らかに違う種類の人間が、次々と合流してくるようになった。土地の地理に妙に詳しい案内人、清軍の動きをどこからか嗅ぎつけてくる連絡役、渡し船の手配をあっという間につけてしまう船頭たち。


 ——おかしい。これは、ただの快進撃じゃない。


 俺は、この不自然な機動力の正体を、すぐに察した。


 阿片だ。


 南京条約で貿易の中心が広東から上海へ移ってから、この十年で、広東・広西・湖南を結んでいた阿片密輸のルートは、最盛期の何分の一かにまで縮んでいた。かつてそこで生計を立てていた快艇の漕ぎ手、陸揚げ人足、護送業者、そして裏で仕切っていた三合会——彼らは職を失い、匪賊化するか、あるいは新しい食い扶持を探して彷徨っていた。


 太平軍という、急速に膨れ上がる武装勢力は、その彼らにとって、格好の受け皿だった。


 俺はこの構造に気づいたとき、内心でひとりごちた。


 ——利用できるものは、利用してやればいい。


 自分で仕掛けたわけじゃない。ただ、歴史の底に、すでにこういう構造が転がっていた。それに気づいて、乗っかるだけでいい。この手の裏稼業のネットワークが持っている土地勘、連絡網、荒事への慣れ——机上の教理だけでは決して手に入らない実務が、向こうから転がり込んできている。


 そして、この流れを誰よりも巧みに捌いていたのが、楊秀清だった。


 合流してくる元密輸業者、元三合会の人間を、彼はほとんど躊躇なく取り込み、あっという間に組織の中に配置していった。誰にどんな仕事を割り振れば機能するか、その勘の良さは、俺の帳面仕事とは比べ物にならない速さだった。


 ——こいつも、向こう側の人間なんだろうな。


 噂で聞いた話では、楊秀清自身、もとは炭売りをしながら、裏では阿片の護送に手を貸していた時期があるという。真偽は確かめようがなかったが、もしそうだとしたら、腑に落ちる。この修羅場慣れした実務能力は、机上の学問からは絶対に出てこない種類のものだ。


 俺は、その手腕に舌を巻きながら、同時に警戒を強めていた。


 この男は、俺が二年かけて積み上げてきた「恩義の糸」を、たった数週間で、もっと荒っぽく、もっと広範囲に張り巡らせている。正面から張り合えば、勝負にならない。


 夜、野営地で、兄貴と少し言葉を交わす機会があった。


 「東王には、本当に助けられている」


 兄貴は、疲れた顔にどこか安堵の色を滲ませながら、そう漏らした。


 「あの男がいなければ、この進軍はここまで速くなかっただろう」


 俺は頷きながら、内心で小さな違和感を覚えていた。兄貴の言葉には、単なる感謝以上の響きがあった。頼っている。信じている。天父の声を代弁する男に、兄貴自身が、少しずつ寄りかかり始めている。


 ——これは、まずいな。


 兄貴の信仰の解釈権を、俺は誰にも渡さないつもりでいた。だが楊秀清は、解釈そのものではなく、もっと即物的な「頼れる実務家」としての信頼を、着実に兄貴の中に築きつつあった。


 湖南の田畑を、太平軍は文字通りの奔流となって進んでいった。俺はその奔流の中で、静かに次の一手を考え始めていた。


 この男を、いつか御さなければならない。だが、今はまだ、その時じゃない。


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