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第20話 囲みを破る

 1852年4月、清軍の包囲網に隙が生まれた。


 豪雨で増水した河川が、清軍の陣を分断したのだ。兄貴たちはこの機を逃さず、夜陰に紛れて永安を脱出する決断を下した。


 脱出は、決して楽な戦いではなかった。追撃してくる清軍との衝突で、南王・馮雲山(ふう うんざん)が銃創を負った。古参の同志、拝上帝会の初期からの立役者が、この撤退戦で命を落としかけている——俺はその一報を聞いて、背筋が冷えるのを感じた。


 ——歴史の教科書通りだ。史実でも、馮雲山はこのあたりで命を落とすはずだった。


 俺は詳しい戦況を聞き回りながら、内心で身構えていた。もし本当にここで馮雲山が死ねば、楊秀清の相対的な発言力は、さらに強まる。まだそこに手を出す段階じゃない。俺にできるのは、ただ見守ることだけだった。


 撤退の混乱の中、俺は初めて実際の戦場というものを、間近で見た。


 整然と統率された部隊もあれば、恐慌をきたして統率を失いかけた部隊もあった。その差を分けているのは、兵の数でも装備でもなかった。現場で指揮を執る者が、実際に戦った経験を持っているかどうか、それだけだった。


 ——机上でどれだけ立派な戦略を語れても、これは無理だ。


 俺は、行軍の合間、負傷者の手当てを手伝いながら、そのことを強く思い知らされていた。永安で温めていた選抜制度の草案には、まだ大きな穴があった。読み書き、算術、実地の判断力、人望——どれも大事な物差しだが、実際に修羅場をくぐった経験そのものを測る項目が、どこにもなかった。


 文官として育てるつもりの人材であっても、一度は、この混乱を肌で知っておく必要がある。


 でなければ、いずれ机の上でしか物を考えられない人間ばかりが、この国の中枢を占めることになる。それは、俺が一番嫌う失敗の形だった。


 俺の頭の中に、ぼんやりとした構想が浮かび始めていた。


 最初は誰もが、同じところから出発する。読み書きを覚え、教理を学び、そして一兵卒として、あるいは若い士官として、実際の戦列に加わる。そこでどう振る舞ったか、どう考え、どう動いたかを、誰かがきちんと見ておく。


 その先で、道が分かれる。軍才のある者はさらに上の指揮を、実務と知略に長けた者は文官の道を——だが、どちらに進むにせよ、最初のこの経験だけは、全員が共有している。


 まだ、形にするには早すぎる考えだった。制度として組み上げるのは、南京を落としてからだ。だが、この永安脱出の混乱の中で見た光景は、間違いなくその設計の土台の一つになる。


 俺はその考えを、頭の帳面の隅に書き留めた。


 夜が明ける頃、太平軍はどうにか包囲を突破し、湖南への道を進み始めていた。馮雲山は、命こそ取り留めたものの、重傷だった。


 ——さあ、ここからが本番だ。


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