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第2話 一発逆転か、処刑か

 さっきからブツブツと言ってる男は兄だと思った。そう感じた。そして、兄の秀全という名前で分かった。


 なんjまとめサイトを読み耽ってたときに読んだことがある。


 太平天国の乱だ。


 これから兄貴は太平天国の乱を起こして失敗し、3000万人の死者を出す。


 そして——待てよ。阿玕(アー・カン)という愛称、族弟、洪仁玕(こうじんかん)。この名前も、確かどこかで見た覚えがある。記憶の底を漁ると、断片的な単語がいくつか浮かんできた。干王(かんおう)資政新篇(しせいしんぺん)。鉄道、銀行、議会。西洋かぶれの改革案を出したが誰にも相手にされなかった男。そして最後は、確か——


 処刑。


 ひゅっ、と喉の奥が鳴った。凌遅刑(りょうちけい)とかいうやつだったはずだ。生きたまま少しずつ切り刻まれる、あの。


 膝の力が抜けそうになる。冗談じゃない。せっかく生まれ変わったと思ったら、待っているのは内乱と大量死と、自分自身の凄惨な最期だという。


 ——と、一瞬本気で竦んだところで、頭の別の部分が妙に冷静な声を出した。


 いや待て。それのどこが、今までと違うんだ。


 三年は勤めろと言われた会社で、毎晩死にたいと思いながら電話をかけ続けていた。産業医にも相談できず、メンクリの予約すら取れず、スーツも脱がずに座椅子で気絶するように眠る。あの生活だって、ゆっくり殺されていたようなものじゃないか。


 どうせ詰んでいたなら、話は簡単だ。


 俺は、ここでは何も持っていない。金もコネも実績も、この体にはまだ何もない。だが——頭の中には、まだ誰も知らない未来がある。この兄貴が何をしでかし、何が失敗の引き金になるのか、その筋書きをまるごと知っている。


 考えようによっては、とんでもない話だった。


 日本にいた頃は、コネがないから内定が取れなかった。実家が太くないから、経験を積む機会すら与えられなかった。血縁も人脈も、指を咥えて見ているしかない他人のものだった。


 それが今、目の前にある。


 この隣の部屋でうわ言を呟いている男は、これから数千万人を動かし、清という帝国を揺るがし、そして最終的には数千万人を死なせる。その一族の、族弟という立場に、俺は生まれついているのだ。


 ——なんて恐ろしいコネを手に入れちまったんだろうな。


 うまく転がせば、国ひとつ作れる。あの豊臣秀吉も欲しがった中華皇帝の座も手に入る。ただし、転がし損ねれば、3000万人と一緒に俺も死ぬ。そのどちらに転ぶかは、たぶんこれから俺が何をするかにかかっている。


 悪くない。悪くないぞ、これは。


 少なくとも、あの夜の詰め会議よりはよっぽど、賭ける価値がある。


 俺は寝台の上で拳を握った。子供の、まだ骨の細い手だった。この手で何ができるかは分からない。だが少なくとも、もう電話帳を片手に頭を下げる人生には戻らない。


 隣室から、また兄の譫言が聞こえてくる。


「……上帝が……我が父が……」


 いいだろう、兄貴。その"お告げ"、俺が代わりに書いてやるよ。


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