第18話 永安建制
金田村を出た太平軍は、清軍の追討をかわしながら、広西の山あいを転々と移動していた。
1851年9月、永安州を陥落させると、兄貴たちはここでようやく腰を落ち着けて、国家としての体裁を整え始めた。
王号の分封が行われたのは、この永安の地でだった。
楊秀清が東王。蕭朝貴が西王。馮雲山が南王。韋昌輝が北王。石達開が翼王。それぞれに王号が与えられ、序列が定められた。中でも楊秀清は「九千歳」を号し、他の諸王を統べる立場として、事実上の副君主の地位に就いた。
俺は、この序列を聞いたとき、内心で小さく息を呑んだ。
——やっぱり、こうなるか。
天父下凡という武器を持つ楊秀清が、他の王たちの上に立つのは、ある意味で必然だった。上帝の声を代弁できる者に、誰が異を唱えられる。馮雲山のような古参の同志でさえ、序列の上では東王の下に置かれることになった。
俺自身は、この王号のどこにも名前がなかった。当然だ。俺はまだ、表舞台に立つ立場じゃない。清書役、記録係——地味な裏方仕事を、この段階でもまだ黙々と続けているだけの人間だった。
だが、それでよかった。
王号という華々しい肩書きは、目立つ分だけ、いずれ誰かに狙われる的にもなる。楊秀清が今、九千歳として絶頂にあるということは、裏を返せば、これから先、彼が最も警戒される存在になっていくということでもある。俺はまだ、その射程の外にいる。
永安での日々は、束の間の落ち着きだった。清軍の包囲が徐々に狭まる中、太平軍は制度を整えることに時間を費やした。天暦(独自の暦)の制定、官制の整備、規律の徹底——国としての骨格が、急ごしらえながら形になっていった。
俺はこの時期を使って、自分の帳面をさらに厚くしていた。
字が書ける者、算術ができる者、実務の勘がいい者——記録係という立場を利用して、あちこちの部隊、あちこちの陣営から、そういう人材の情報を集めて回った。李秀成は、この頃にはもう俺の手ほどきで簡単な文書が書けるようになっていた。他にも何人か、目をつけている若者がいた。
王号という縦の序列とは別に、俺は自分だけの横のつながりを、静かに広げ続けていた。
ある夜、兄貴が俺を呼んで、こう言った。
「お前は、なぜ王号を望まない」
俺は少し考えてから、答えた。
「兄さんの傍で、記録を残す役目の方が、俺には向いています。誰が何を言ったか、誰が何を成したか——それを正しく書き残す者がいなければ、この国の歴史そのものが、歪んだ形で残ってしまいますから」
兄貴は、それを謙虚な言葉として受け取ったようだった。満足げに頷いて、それ以上は何も聞かなかった。
俺は、内心でだけ苦く笑った。
——歪めるのは、俺自身なんですけどね。
永安の陣中、王号を得た男たちが、それぞれの権勢を誇示し始める中で、俺は今日も、誰にも注目されない場所で、静かに筆を執っていた。




