第16話 金田への道
1847年から1850年にかけて、拝上帝会はさらに膨れ上がっていった。
弾圧が強まれば強まるほど、皮肉なことに信徒は増えた。土地の有力者や地方官との摩擦が表沙汰になるたびに、「上帝会に入れば、少なくとも仲間だけは裏切らない」という評判が、貧しい者たちの間で広まっていったからだ。
この時期、後に太平天国の中枢を担うことになる面々が、次々と合流してきた。
楊秀清。もとは炭売りの客家の青年。1848年、馮雲山が官憲に捕らわれて信徒の間に動揺が広がったとき、独断で「天父下凡」——上帝が自分に乗り移ったと宣言し、混乱を鎮めてみせた男だ。
俺はこの一件を聞いたとき、内心で強く警戒した。
——こいつは危険だ。
実務能力が高いのは間違いない。危機に際して人心を掌握する胆力もある。だが、それを「神懸かり」という誰にも検証できない手段でやってのけた。しかも一度成功すれば、次からも同じ手を使える。俺が兄貴の「清書役」という立場で教義の解釈権を握っているのと、構造としては同じことを、楊秀清は"声"でやっている。
この男を、今すぐどうこうする力は俺にはない。だが、いずれ正面からぶつかる相手になる。頭の片隅に、そう刻んでおいた。
蕭朝貴、韋昌輝、石達開——それぞれ出自も気質も違う男たちが、この数年でどんどん集まってきた。俺はその一人一人を、ただの歓迎ムードでは見ていなかった。
——誰が、実務で使える人材か。
俺が頭の中で温めていた選抜の仕組みを、この頃から小さく試し始めていた。大掛かりな制度にする余裕はまだない。だが、新しく入ってくる信徒の中から、字が読めるか、簡単な算術ができるか、地理や物事の道理をどれだけ理解しているか——それとなく聞き出して、頭の中の帳面につけていく。誰が将来、実務方に回せる人材か、目星をつけておくだけの、ごく地味な作業だった。
藤県で合流してきた若者たちの中に、李秀成という男がいた。山深い貧村の出で、人に雇われて生活していたという。話してみると、頭の回転が速く、物覚えもいい。だが読み書きはほとんどできなかった。
——これだ。
科挙なら、間違いなく門前払いされる男だった。字が書けなければ、答案の一文字も埋められない。だが、この男の中にある実務の勘は、机上の学問とは別の種類の価値だった。俺は李秀成に目をつけ、簡単な読み書きを教えてやることにした。見返りは求めなかった。ただ、後で使える駒を、今のうちに育てておくだけだった。
1850年、清朝の締め付けはついに限界を超えた。各地の信徒に集結の号令がかかり、金田村に人々が集まり始めた。
団営——男営、女営に分かれた軍事組織の結成。ガチョウの鳴き声に紛れさせて、鉄砲や大砲を密造する準備も進んでいた。
俺は、集まってくる人々の顔ぶれを眺めながら、頭の中の帳面をさらに分厚くしていった。まだ、この選抜の仕組みは、俺一人の頭の中にしかない。だが、この先この国の形になっていくとき、この帳面が、儒教に代わる新しい物差しの土台になる。
金田村の空気は、いよいよ張り詰めていた。清軍との衝突は、もう時間の問題だった。




