第10話 四度目の落第
1843年の春、結果は例年通り、あっさりと届いた。
落第。四度目。
これまでの三回とは、何かが違っていた。一度目、二度目の頃は、まだ周りも「次があるから」と気楽に声をかけていた。三度目の後は、あの熱病と幻視があった分、村の空気も奇妙な同情に包まれていた。
今回は違う。誰も、あからさまに何かを言わない。だが、その静けさの方が、よほど重い。
叔父たちは、目を合わせようとしなかった。母は、いつもよりずっと丁寧に飯を出した。優しさというより、これ以上何を言えばいいのか分からない、という空気だった。宗族の期待は、ここまで積み重なると、もう本人を励ます言葉すら見つからなくなるらしい。
兄貴は、その日、一日中部屋にこもっていた。
夜になって、俺が様子を見に行くと、兄貴は明かりも点けずに、机の前で微動だにせず座っていた。手元には、何年も擦り切れるほど読み込んだ四書五経の注釈書が、開いたままになっている。
「兄さん」
声をかけても、しばらく返事がなかった。ようやく口を開いたとき、その声は今までに聞いたことのない、乾いた響きをしていた。
「もう、駄目なのかもしれない」
俺はそれを聞いて、内心で「そりゃそうだろう」と思った。四年、五年、それ以上——同じ物差しに縋り続けて、同じ結果しか出せていない。もっと早く見切りをつければよかったのに、と正直、今でも思う。だがその冷めた本音を、口にするつもりはなかった。
「兄さんは、これまで十分やってきました」
言葉としては、慰めの体を取っていた。だが俺の中では、まったく別の算盤が動いていた。
——ここだ。
兄貴の中で、科挙という物差しが、初めて本当に折れた。今までは「次こそ」でどうにか繋がっていた心の支えが、たぶん今夜、根元から切れている。ここで何もしなければ、兄貴はただ折れたまま、腑抜けのように何年か過ごすだけかもしれない。あるいは、もっと悪い方向に転ぶかもしれない。
だが、ここでもう一つの物差しを差し出せば——
俺は、書箱の奥にしまってある薄い冊子のことを思った。数年前から兄貴自身が見向きもしなかった、あの『勧世良言』。あの夢の中で兄貴が見た「天から使命を授かった」という記憶と、あの冊子の中身を、今この折れた心の状態で繋げてやれば、何が起きるか。
史実では、それをやったのは李敬芳という友人だったはずだ。
だが、ここは俺の世界だ。友人の役目を、待っている理由はない。
俺は、まだその夜は何も言わなかった。兄貴の心が、まだ崩れきっていない今夜のうちに動くのは、早すぎる。もう少し、この折れた状態を寝かせる。傷が一番深く、一番何かに縋りたくなっている瞬間を見極めてから、動く。
部屋を出るとき、俺は静かに拳を握った。
——待たせたな、兄さん。今度は俺の出番だ。




