Log:30
Log:30
気づいたら、見知らぬ天井があった。
薄暗い。
錆びた金属板が、壁に立てかけられていて、
配線が剥き出しのまま垂れ下がっている。
窓らしき穴は、布切れで塞がれていた。
――廃屋だ。
「起きたか、ナズっち」
(ナズっち?)
私は、ほんの少し首を傾げる。
ソルトが、ガラクタの山に腰かけ、
シュガーは壁に背を預け、腕を組んでいる。
わたしの体力と治癒能力は戻っていない
しかし――
雨風はしのげる。
すぐに死ぬ環境ではない。
「ここは君たちの隠れ家か?」
「そうだ。お前、あの後、意識を失ったんだ」
「ほんとに重症だったからな、
商品価値が下がる前に、対処した」
シュガーは私を警戒して、
突き放すように話す。
「そうか。では、わたしとの契約は考えてくれたのだろう?」
シュガーが鼻で笑った。
「はぁ?」
「それは知っている。だから、これは取引だ」
わたしは二人を見た。
「わたしは君たちに必要な知識を提供する」
「知識?」
「君たちがスラムで生き残るための知識だ」
ソルトとシュガーは顔を見合わせた。
「……本当に役に立つのか?」
「試してみればわかる」
沈黙が落ちた。
先に口を開いたのはソルトだった。
「……まあ、一週間くらいいいか」
シュガーが「バカ野郎」と呟いたが、止めなかった。
「俺、商売女じゃない女の子と話すのはじめて」
「ナズっちって呼んでもいい?」
ソルトが、床に寝ているわたしを見ながら話す。
「それは私の名前の略称か?」
「ナズナって言いづらいよね。
だから“ナズっち”だ」
「私のIQがマイナス10ポイント下がりそうだ。
しかし、君がそう呼びたいのであれば、好きにしたまえ」
シュガーがソルトに向かって悪態をつく。
「人質にあだ名をつけんな。後で酷い目にあうぞ」
「まあまあ、いいじゃん!」
ソルトはへらへらと笑いながら、興味深い目で
わたしを見ている。
そして、警戒心を隠さずにシュガーはナズナを指さした。
「あんたさぁ、少し恐怖に怯えたり、
俺たちに何かされると思わないの?」
「ああ、それは良い質問だ。理解している」
「シュガーとソルトは私をまだ殺さない。死体は価値が下がる。処理も面倒だ」
「ここは君たちのアジトだ」
「そういう場所で人を殺す場合、
まず私はもっと粗末な扱いをされるだろう」
「だから今は比較的安全だ。むしろ外にいるほうが危険だ」
「だから、とても感謝している」
シュガーとソルトは、口を開けて唖然とする。
「それで、知識を授けようと思うが。
交渉は成立でよろしいか?」
シュガーは、もはや諦めた。
「……本当に使える知識か確認してからだ」
「確認してから、か。
合理的な判断だ。感謝する」
「では、基本的な知識だ」
「人間観察を癖にしろ」
「行動心理学的に言えば――
人間は言語より先に、非言語で本音を表出する」
「視線の動き。腕を組む。
足の向き。声のトーン」
「これらを平時から観察し続けることで、
相手の次の行動が事前に予測できる」
ソルトが首をかしげた。
「む、むずかしくね?」
「慣れれば自動化される。
今、君が私の話を聞きながら頭を掻いたのは、
理解できていない証拠だ」
ソルトは思わず頭から手を離した。
「……今やってんじゃん」
「ああ。常にやっている」
「そして覚えておけ」
「嘘をつく人間は、普段の行動にも嘘が出る」
「だから観察すれば証拠が出る」
「さて、応用だ」
「少し賢そうな交渉相手を前にしたときだ」
「本当に重要な嘘をつくときは、
習慣づけた嘘の行動をしろ」
「どうでもいい嘘をつくときは、
あえて普段と違う行動をしろ」
「意味はわかるか?」
シュガーがゆっくり口を開く。
「……重要な嘘を隠して、
どうでもいい嘘がバレやすくするためだろ」
「正解だ」
わたしは初めて、二人を少し見直した。
「ナズっち天才じゃん!」
「ありがとう。私は知能には自信がある」
シュガーが溜息をついた。
ソルトがニヤニヤしながら言った。
「なんか、ナズっちと話してると損した気分になるんだけど」
「それは君が正しく理解している証拠だ」
それから私は、一言告げる。
「君たちは、これから金銭の交渉があるんだろ?
ならば、合理的に交渉した方がいい」
シュガーもソルトも言葉を詰まらせ、
視線を逸らした。
「……一週間だ。それ以上は交渉しない」
「わかった。君たちに無駄な交渉はしないと約束しよう」
「そして、君の合理的な決断を無駄にしないようにしよう」
わたしは口角をわずかに上げた。




