できん相談 笑えん冗談
【注意:BL要素の性描写が含まれます。苦手な方・15歳未満の方・義務教育中の方はご遠慮ください】
タツノが応接セットの革張りに身体をうずめて一服していると、事務所のドアが開いた。
パーテーションから顔を覗かせて入り口を見ると、部屋に入ってきたのはジャージ姿に便所サンダルの見るからに筋者の男と、その男の前に立つ怯えた表情の少年だった。
少年はタツノの顔を見つけると「あっ……」と声を漏らし、駆け寄って来た。
「ちいちゃんお帰り。どやった? 学校は。楽しかったか?」
優しく言ってから細い腰に手を回し、チヒロを膝の上に座らせる。
「う……うん」と戸惑いがちにチヒロは頷き、デスクに座る数人の男達の目を気にしながら、タツノの二の腕に手を回した。
その細い手首には二周り以上もサイズの大きいクロノグラフが巻き付いている。何かに強く擦り付けたようにシルバーのメッキが所々はげて、文字盤を覆うガラスに亀裂が這う。それでも秒針は軽快に円盤を刻み、フレームに彫られた天使の羽は鈍く柔らかな光を放っていた。
「ね、ねえ。タツノさん……」
タツノの耳元に口を寄せて、内緒話をするように少年は声を潜める。
「なんや?」
「ここって、あの……。本当に、普通の会社……?」
「せやで。ただの経営コンサルタントの会社」
「そ、そうだよね……。タツノさん、普通のサラリーマンだもんね。
……ごめんなさい。変なこと聞いて……」
チヒロは自分に納得させるように頷きながら、パーテーションの向こうをチラチラと気にする。
チヒロの頭に手をやってサラリとした子供のような感触の髪を撫で、前髪、耳と伝い、頬から小さなつくりの唇を親指の腹でなぞる。
柔らかい感触を楽しみ、幽霊では無いことを確認する。
チヒロを定時制高校から連れ出し、シビックに乗せて走りだした日からちょうど一週間。少年の記憶はまだ戻らない。
身を寄せていた祖父母の家に叔父から電話が入り、もう帰ってきても大丈夫だとだけ伝えられた。
もう見ることもないだろうと思って飛び出た町に、結局丸二日で舞い戻ることになったのだ。
身の周りの安全を確認するためにチヒロと二人でホテルに泊まり、タツノはそこから事務所へ通い、チヒロは定時制の高校通った。生活圏内に不審な人物の動きは見られず安全と判断したので、今日の午後にホテルをチェックアウトし、チヒロを事務所に連れてくるよう学校に迎いを送った。
「ちいちゃんは今晩は何食べたい? 寿司か? 焼肉か? ちいちゃんの食いたいもん何でも言い。何でも食わしたるから」
「何でも……いい。タツノさんと、一緒だったら……」
目を伏せ、口ごもりながら答える少年の返事があまりにも心に染みて、タツノは言葉を失った。
チヒロと二人で事務所を出て、馴染みの料亭で夕飯を食べてからタクシーでマンションへ向かう。
鍵を開けて一週間ぶりに部屋に上がった。
リビングへ入りソファーの隣に荷物を置くと、チヒロはドアの前で突っ立ち、ジッと何かを思い出そうとするように台所を見つめている。マンションのエントランスを入ってからチヒロの口数は少ない。目に入る全ての物に記憶の痕跡を探し、足を止める。
「部屋、案内したるわ。おいで」
白い手を取り、案内するには狭い室内を歩く。リビング、台所、ウォークインクローゼットと回り、洗面所に連れて行く。
「ここが洗面所でえ、ここが風呂。こっちがトイレや」
少年は初めて見るかのように、天井からぐるりとひと回り視線を走らせる。
最後に寝室に案内すると、チヒロは何も言わずに自らゆっくりと足を踏み入れた。ベッドに腰をかけて薄暗い部屋のなかを一望し、足元の薄い絨毯をジッと見下ろす。
しばらく動かないチヒロの様子を廊下から眺めていたタツノも、寝室へ入ってチヒロの隣に腰を下ろした。
「何か、思い出したか?」
言われてチヒロはキュッと眉を寄せる。それから寂しげな微笑をつくり首を横に振った。
「ごめんなさい……。思い出せそうなんだけど……なんか、うまく記憶が繋がらなくって。
早く思い出せるといいのに……」
申し訳無さそうに言う少年をギュッと抱き締め、ベッドに横たわった。
「ええねん。無理して思い出そうとせんでいい。ちいちゃんが思い出したい時に思い出したらええ。
記憶を失うたんも、身体の傷も全部俺のせいやねん。
チヒロが思い出して俺の事許してくれるまで、いつまででも俺待ってるから」
残念ながら、この場所にはチヒロに思い出して欲しいと思えるような思い出は何一つ無い。
それでもいつか、その事をチヒロが思い出す時がくれば、改めてちゃんと謝りたいとタツノは思っていた。その時に許してもらえるくらい今からチヒロを幸せにして、楽しい思い出を上書きしていこうと決めていた。
チヒロの身体には傷がある。小さいものは殆んど消えているが、一生消えないような縫い痕が右肩と左のふくらはぎに残っている。
自分が少年に与えたショックの大きさを物語っていた。もっと言えば、身体だけではなく、少年の内面にも消えない傷を付けてしまっている。忘れたほうが楽だと記憶を手放す程の大きな傷跡を。
それも全て自分のせいだとタツノは自覚する。その罪を償うチャンスを与えられたのは奇跡だった。
ほんまに俺はついてる。やっぱり神様おりよんなあ――。
寝転がったまま、きつく抱いていた少年の身体がもぞもぞと動き、背中に回っていた細い腕が二人の間の隙間に引っ込む。
タツノが覗き込むとチヒロは顔を上げ、おもむろにタツノの腕を取った。
チヒロは細い手首に回っていた腕時計を外し、ゆっくりとタツノ腕にそれを巻く。
パチリとバックルを止めると、傷だらけのクロノグラフがぴったりと空いていた隙間を埋めて、またタツノの時間を刻み始めた。
「あ……やっぱり。……ぴったりだ……」
チヒロが小さく独り言を呟く。
「記憶は無かったけど……僕、分かって、ました。……この腕時計を、くれた人が、絶対に、迎えに来てくれるって……素敵な、王子様みたいな人が、絶対、来てくれるって分かってた……。
やっぱり、タツノさんだったんだ……。う、嬉しい……、だって……夢で見てた、通りだったから……」
はにかみながら俯き、潤んだ大きな瞳が上目遣いにタツノを捉えると、その透き通った漆黒が恥じらいを隠すように揺れ動く。薄暗い中でもわかるくらいに頬と目尻、耳、首筋までもを朱に染めて、少年はギュッとタツノの胸元に顔をうずめた。
王子様という言葉が出たことにタツノは苦笑いし、チヒロの頭にそっと手を置く。
チヒロが言う王子様は、残念なことに前科ありの下っ端ヤクザで、白馬は人から無理矢理に奪ったタイプRのシビックだったが、タツノにとってチヒロがかけがえの無い唯一の愛嬢であることには間違い。ガラスの靴は二十五万のクロノグラフに翻訳されたが、二人の絆を辛うじて繋ぎとめていてくれた。
不意に顔を離したチヒロの表情を覗き込むと、震える小さな唇を僅かに突き出し、ギュッと目を閉じたまま真っ赤になって顔をこちらに向けている。
子供のようなキスの強請り方が、あまりにも愛らしい。
ゆっくりと触れるだけの口付けを柔らかい温もりに落とすと、硬直していた小さな身体からフッと力が抜けるのが分かった。
しばらく感触を楽しむようにやんわりと唇を押し付けて動かしていると、徐々に少年の身体が発熱していく。
タツノのを迎え入れるように、薄い唇が隙間を開けた。
狭い口腔内を触手で隅々まで堪能し、粘膜を絡み合わせる。止め処なく少年の口内に湧き出す液体をすくい取っていると、いつのまにか薄い高温の舌がタツノの口の中で波打っていた。
薄目で顔の前の表情を確認する。気持ち良さそうに目を閉じ、陶酔しきっている綺麗な顔。
タツノが身を引いてゆっくりと仰向けになると、移動する口に吸いつけられるようにチヒロはまた唇を重ねてくる。ミルクを求める子犬のように上半身をタツノの上に重ねて、またキスに没頭する。
おそらくこの体勢を十分以上は維持するのだ。
記憶の無いチヒロがこんなにも自分を受け入れてくれたのは、タツノにとっては驚きだった。
最初に定時制の高校でチヒロをつかまえて土下座で拝み倒して車に乗せた時は、思い余って激しく唇を重ねていた。チヒロはそれを拒まず、タツノが抱き締めたりして身体に触れる事も許してくれた。
チヒロを傷付けることはしたくなかったので、触れるだけのキスで我慢したが、そのうちチヒロの方から口付けを強請ってくるようになった。少しずつ深まるキスは、日を追うごとに時間を増した。
五分、十分、十五分。激しさの無い、ゆるゆるとした行為。
腹の下から湧き出してくる欲望を抑えようと焦るタツノとは裏腹に、チヒロは気持ち良さそうにそのままの体勢で寝てしまうことさえある。
今回もチヒロがこのまま寝そうだと判断したタツノは、小さな熱い頬を両手で包み、優しく顔から引き剥がした。
「あっ……」と少年の口から漏れる、名残惜しそうな声。
「なあ、ちいちゃん。俺とキスするん、そんなに好き?」
チヒロは少し驚いた顔をしたが、火照った顔で気恥ずかしそうに頷く。
「す、好き……タツノさんと、チューするの……すごく……」
「なんで?」
「なんでって……だって。だって、あの……すごく、つながって、いられるから……」
チヒロは落ち着かない様子で瞳を泳がせる。
「ちいちゃん、俺ともっと繋がりたいって思う?」
「もっ、と……?」
「うん。もっと」
意味が理解できない表情のままチヒロは少し考えて、コクリと頭を縦に振った。
タツノの上に乗っていたチヒロの上半身を包み込み、身体を回転させて少年を組み敷く。
少し怯える顔を安心させるために、また唇を重ねる。少しでも少年の欲望を掻き出そうと舌を大きく動かし、ガラス細工に触れるように服の上から薄い肌を優しく撫でた。
最初は強張っていた小さな身体が少しずつ溶け、熱を持ち始める。
熱を逃がす目的にかこつけて服を剥ぎ、暗い中で発光するほどに白い皮膚に手を這わす。
花に例えるならすずらん。
絵画なら水彩画。
季節なら冬と春の間。
どこか尊い少年の肌は、触れるだけで音がしそうな程、薄く透き通っている
「ッぁ! やっ……ダ、ダメぇ。タツノさん……? そんなとこ、触らないで……。汚い、から……」
そう言って自分の手の甲に重なる小さな掌を、顔の横に押さえつけた。
「チヒロ……大丈夫やから」
優しく耳元で囁いて安心させて、また続きを始める。
たじろぐチヒロをキスでなだめては、行為を進める。それを繰り返して、やっと少年の身体を開くことができた。
既に、制止を要求していた細い声が艶のある吐息に変わっている。きゃしゃな身体が熱に浮かされ、薄い胸板を上下させて放熱を繰り返す。
自分の背中が汗ばんできたのを感じ、幼い裸体に馬乗りになったままタツノもYシャツを脱いだ。
スラックスと下着をまとめて脱ぐと、明らかにチヒロが動揺し始める。
「タ、タツノさん……?」
「なに?」
「えっと……あ、あの……、その……もしかして、それ……入れ、る?」
チヒロはタツノの下から抜け出し、両膝を立てて枕元に身体を丸めた。
「大丈夫やって……絶対痛くしいへんから」
「でも……あの……たぶん、無理だと思うよ……」
それが無理でないことを、一度力ずくで実証した事がある。
それからまた、何度も何度もキスでなだめつつ、チヒロと身体を繋げていく。
「っんぅ……んんッ……ぁ、あ、やァッ……ぅん」
「痛いか?」
嬌声を抑えようと口の前にかざしたチヒロの手をつかみ、指を絡ませ枕元に押さえつける。
少年はグッと何かに耐えるように目を閉じ、首を横に振った。
「チヒロ。ほら……ちゃんと繋がってるやろ?」
細い足を大きく割り開いて腰を上げると、チヒロの視線が一点に釘付けになる。
「ッやあ……! ぁん……やめてぇ……恥ずかしい、から……ああ、あっ……」
それからは、我慢できずに漏れ出すチヒロの声で部屋中が甘い空気で膨れ上がった。
「あアァ、ん……っ……だ、だめえ……とめてぇ…………おか、しい……から、身体……」
「ああ……チヒロ……好きやで……! ……チヒロ」
「ぅんっ……た、タツノ、さ……っ、いっかい、とめ……下さ……ぁアァッ、んぅっ……何か、出っ……出ちゃっ……ッああ、あアァァッ……!」
布団の中で、熱の引いた柔らかな頬に触れていると、水気を含んだままの睫毛が動き、パチリと潤んだ漆黒が見開かれる。
タツノの意識を吸い込む大きな瞳が一二度瞬きをして、覚醒した。
「ごめん。起こしてしもたな……身体……大丈夫か?」
夢から現実に舞い戻った天使のような顔が頷く。
「ごめんなあ。俺、ちょっと余裕無くし過ぎた……」
そう言って小さな身体をギュッと抱きしめる。
「嬉しかった、です……タツノさんと、繋がれて……」
「俺もや。これからずっと一緒におろな。
毎日一緒に飯食うて、一緒に風呂入って、ここで一緒に寝るんやで」
チヒロはまた目尻を火照らせ、はにかんで頷く。
可愛い。なんでこんなに可愛いんや――。
力いっぱい抱き込み、小さな耳に直接吹き込む。
「チヒロ……好きやで……もう絶対――」離せへんと言ったところで、携帯が鳴り響いた。
なんやねん。こんな時に――。
しばらく放っておいたが鳴り止まず、チヒロが気にしだしたので仕方なく起き上がり、ベッド下に落とした服を拾い上げる。
携帯を探り出し表示を見ると、知らない番号からだ。
「もしもし?」
『お――、タツノか』
懐かしい叔父の声だった。
勢い良く起き上がる。
「叔父貴っ!? 今何処におんねん! 一週間も音沙汰無しで!」
『悪い悪い。ちょっとした小旅行やあ』
全く悪いとは思っていない機嫌の良さで笑う。
「小旅行て……。はよ帰って来てくれ! こっちは事務所しきる人間がおらんから大変やねん!」
「なんやねん、あれくらいの人数お前がまとめんかい」
「何勝手な事言うてんねん! アホと違うか」
「お前なんや、その口の利き方は……。誰のおかげで事務所に帰ってこれたと思とんじゃボケ。
まあええ。今日は機嫌がええから許したろ
それより、あんまり大きい声だすな。サリナが起きるやろ」
「誰やねん、サリナって。何でこの忙しい時に、女連れて旅行なんかしてるんや」
「まあそう言うな。さっきまでええ声で鳴いてたから疲れて隣で寝とんねん」
「いや知らんがな。もうとにかく何でもいいから、はよ帰ってきてくれ!」
「お前こういう時くらい根性出せよ。
帰ったら車の一台くらいは買うたるやないか。今日は持ち金が倍になったからなあ」
「はあ? 車よりも、俺は叔父貴に早く帰って来て欲しいんや。
明後日には頭が東京行くねんぞ? 叔父貴がおらなどないすんねん!」
「お前が代わりに付いて行け」
「アホぬかせ!
もうええから、明後日までには絶対帰って来てやあ」
「タツノ。それは、できん相談やなあ……
俺、今ラスベガスのべラージオに泊まってんねん。明後日には、モナコの上空や」
「……叔父貴……。
それは……、 笑えん冗談やわ……」
[完]
改めまして最後まで読んで下さった皆様ありがとうございましたm(_ _)m
思いの他、沢山の方に閲覧して頂きました♪
おかげさまで最後まで書ききる事ができました。読者様が思ってらっしゃる以上に、拍手や閲覧者数が作者にとっては励みになります。本当にこれのために頑張った言っても過言ではありません!!
明るい内容であったことや、使い慣れた関西弁を使用したこと、大したコンセプトを作らなかったこと、何よりも10月中の完結が前提だったので、とにかくあまりストーリーを練り過ぎないようにしたこと(私の場合ストーリー内容を練れば練るほど長引くので……)。以上の理由から、気軽に楽しく書けたストーリーでもありました。
面白かったという拍手コメントを沢山頂けたのは、自分が楽しく書いたからなのかな~と嬉しく思っている次第です。やっぱり書いている方の気分というのは読者様に伝わるのだと、改めて実感いたしました。
最終話が気に入らなかったのですが、自分の文章をもう一度読み直すの何より嫌なので、まあ次から頑張ろうと、既に前向きです(´-∀-`;) 一箇所文を追加すると言っていた所も、まだ修正できていませんのが、これもまあ、読み直す勇気が出ればって事で……ほんとダメダメな私……。
具体的な内容について言いますと、自分の性格が歪んでいるせいか、相変わらず登場する人物みんなが一癖二癖もあり、なかなか純粋な登場人物というのがいません……。人様のBL小説を読んでいても、一番憧れる所はそこです。ああ、ピュアっていいよねピュアラブ万歳と思って、いざ自分の小説で純粋少年を書いてみると薬物ジャンキーになってしまったりするわけです(´>∀<`)ゝ))エヘ
小説内の会話につきましては、関西人のつまらん日常というのはあんなアホみたいな会話の連続です(うちの周りだけかもしれませんが)。文章にしてそこだけ取り出してみると面白いかもしれませんが、毎日ああだと失笑しか出なくなります。テレビに向かってつっこみを入れてみたり、うちの旦那のように親父ギャクを交えた自作の歌を口ずさみ出したら、もう末期症状だと思ってお気をつけ下さい。
反省点は山ほどあるのですが、相変わらず書き貯め出来ないことや、読み直しが不十分なのはもちろんですが、一番今回「ああ~あかんなあ」と思ったのが視点について! 途中「あれ? これ何人称何視点?」ってなる時が多々あり、ちゃんと本読んで勉強せなあかんと思いました。| 柱 |ヽ(-´ω`-。)
だから読み苦しい点が多くあったと思います……気休めかもしれませんが、次回連載までには一度キチンと学習したいと考えています。
という訳で、長々と言い訳がましい事を書きましたが(スミマセン……)、
本当に、本当に、完結までお付き合い下さいましてありがとうございました!!
心から感謝致しますm(_ _)m
(今後の予定につきましては、活動報告欄にアップさせて頂きます)