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一九四四年(昭和一九年)一〇月二五日、午後三時四五分。
ブルネイを旅立って以来、敵艦上機の空襲、敵空母部隊との遭遇戦、敵水上艦隊との艦隊決戦と、海戦史に特筆されるであろう戦闘の大盤振る舞いを全て平らげてきた日本帝国海軍第一遊撃部隊は、遂に、レイテ湾に屯する無数の攻略船団をその目に焼き付けられるところまで到達した。
感極まって涙を浮かべる者、これまでの戦いで靖国へ逝った戦友の遺品を懐から取り出してこの光景を見せている者、男子一生の快事とばかりに喜びに打ち震えている者、本当に様々な、男たちの姿が全艦のそこかしこに現れている。
一番主砲塔がおかしな向きで外れている旗艦「愛宕」の戦闘艦橋に立つ栗田健男中将は、輪形陣を解いて隷下の第一夜戦隊をレイテ湾の東方向から、鈴木義男中将率いる第二夜戦隊をレイテ湾中央部、そして西村祥治中将の第三夜戦隊をレイテ湾奥地のタクロバンから南に約三〇km離れたドラッグへ向かわせ、三つの部隊がレイテ湾を完全に包囲する態勢を整えさせた。
一隻の輸送船、雑役船とて生かしては還さないという熱く冷酷な意志を感じ取ったのか、アメリカ海軍第七艦隊は最後の抵抗をしてみせる。たった一隻の巡洋艦と、通信アンテナを針鼠のように生やした大型輸送艦、水上戦闘に投入される事は全く考慮されていない火力支援艦艇たちが、絶望という言葉が鴻毛より軽く感じられるような突撃を仕掛けてきたのだ。
第一遊撃部隊将兵の誰もが、その光景に同じ軍人としての何かを感じるのも仕方のない事かも知れない。祖国と戦友に対する兵としての心に敵も味方もないのだ。もちろん、誰もが一切、手加減するつもりはない。
戦艦が咆哮し、重巡が吠え、軽巡や駆逐艦が主砲を振りかざして次々に撃ち沈め、僅かばかりの艦が煙幕を張って逃げ惑う他は、突撃からものの一〇分で巡洋艦、輸送艦、火力支援艦たちは一足先に没していった。
近づく敵艦の姿が完全になくなったのを見た栗田は、大きく深呼吸した後、自分を一様に見つめている参謀や艦橋要員たちに振り向き、静かに、しかし実によく通る声で命じた。
「各部署へ発信。『我、〈レイテ〉泊地ニ到達セリ。皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、天佑ヲ確信シ、全軍突撃セヨ』――以上だ!」
この瞬間。第一遊撃部隊の全艦は鎖を断ち切られた猛獣の如くレイテ湾奥地の船団へ突撃を開始した。
艦の右舷側が痘痕のような状態の「大和」と「武蔵」が、ほとんど水平まで砲身を下ろして三式弾、零式弾を斉射していく。「長門」の四〇サンチ砲弾が唸りを上げて大気を突っ切り、輸送船に直撃して火達磨になる。「金剛」「榛名」はレイテ湾中央部から一文字に奥地へ切り込んで、主砲、副砲、高角砲、果ては機銃まで動員して亀のような遅さで逃げ惑う輸送船、タンカー、種類さえよく分からないフネへ破壊と死を撒き散らす。
四戦隊の「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」が、二〇.三サンチ連装砲を左右に向け、目につくありとあらゆる船舶へ砲弾を叩き込んでいく。一発の砲弾で搭載していた燃料に引火して天を焦がさんばかりに大炎上を始めたタンカーから、オレンジ色の炎を身に纏った人間が海面へ次から次へと飛び降りていく。ただ一艦となっている五戦隊「羽黒」は、昨日の空襲で脱落した姉妹艦「妙高」の分までこの攻略船団を撃滅してみせるとばかりに全身から砲火を放って突っ込んでいる。
真珠湾攻撃からの復活戦艦を今度こそ海底へ叩き沈めた七戦隊の「鈴谷」「熊野」「利根」「筑摩」も、手当たり次第に二〇.三サンチ砲弾、高角砲、機銃を放ちつつ無抵抗の輸送船を穴だらけの鉄塊に変えていく。
駆逐艦の数が出撃時より半分にまで減ってしまった二水戦、生き残りの陽炎型駆逐艦のほぼ全艦を集めている一〇戦隊も、「能代」と「矢矧」が一五.二サンチ連装砲を目につく艦全てに向けて撃ち、駆逐艦たちが一二.七サンチ砲弾を無傷なフネ相手へ叩き付け、上陸すれば日本軍兵士を細切れの肉片にしたであろうM4シャーマン戦車や各種火砲を無意味な鉄屑に変え、これらを操るはずのアメリカ軍兵士と共にレイテ湾へ流し込んでいく。
合法的に行われている戦争行為において最大限の虐殺と言うべき破滅と殺戮は、南に下ったドラッグ沖でも繰り広げられている。
「扶桑」と「山城」が合計一二基二四門の三五.六サンチ砲から火を噴き出しつつ船団へ突撃し、零式弾の炸裂でボロ布のような惨状となった兵員輸送船が人間の一部と燃料を垂れ流しながら横転する。その血と油膜を裂いて、残存する三基六門の二〇.三サンチ砲をフネの形をしたもの全てに指向して間断なく撃つ「足柄」と、よろばうように動く小型船舶を回避するのも煩わしいとばかりに艦首で引き裂きながら主砲を放つ「最上」。
一水戦の「阿武隈」と三隻の駆逐艦は船団のど真ん中に踊り込んで、生きている主砲、高角砲、機銃を四方八方へ撃ちまくり、どのようなフネであれ敵ならば全てレイテ湾の冷たい底に送り込んでいった。
「戦闘」開始から一時間が経った頃には、湾内に存在した輸送船の大半が水漬く屍になるか、赤々と炎上してこれから湾内の新たな魚類の棲家になる運命を辿った。
巡洋艦や駆逐艦は残弾が乏しくなり、帰還時に戦闘が起こるかも知れない点を考慮すれば、これ以上の戦闘行動は取れなかった。
ここら辺が退き際だろうという空気が艦隊を包んでいた。実際、足の短い駆逐艦は燃料の方も少なくなり、日没までにブルネイへ向かわないと文字通り立ち往生する羽目になりかねない。
だが、「愛宕」艦上で敵攻略船団の崩壊をじっと見つめていた栗田の脳裏にはこの時、二年前のあの日の記憶が蘇っていた。彼は通信参謀を呼ぶと、電文の送信を命じた。
「一戦隊、二戦隊、三戦隊へ命令。『〈タクロバン〉並ビニ〈ドラッグ〉ノ敵上陸部隊ヲ砲撃セヨ』」
栗田の命令を聞いた参謀や士官たちは小さな衝撃を覚えた。彼らは、目の前にいる艦隊司令長官がかつて、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を火の海に変えた作戦の指揮官だった事を思い出したのだ。
鏖殺の饗宴に酔っていた他の者達には思い付かなかった事かも知れない。聯合艦隊の命令も、敵軍上陸地帯を艦砲射撃せよとは言っていなかったからである。
巡洋艦以下の艦艇と比べればまだまだ弾薬に余裕のある戦艦たちにとって、栗田のこの命令は本海戦の総仕上げと言うべき最後の一手となった。
「大和」と「武蔵」の四六サンチ砲一八門が、「長門」の四〇サンチ砲八門が、「金剛」と「榛名」の三五.六サンチ砲一六門がタクロバンの海岸の先へ向けられ、「扶桑」と「山城」の三五.六サンチ砲二四門がドラッグの陸地に指向し、準備の出来た艦から砲撃を開始した。
結果、海上の地獄は陸上にも伝搬した。第一遊撃部隊の七隻の戦艦が艦砲射撃を始めた時点で、アメリカ陸軍第六軍隷下の第一〇軍団と第二四軍団はタクロバン及びドラッグの海岸から一〇~一五kmの地帯に陸兵約一四万人と約一五万トンの各種車両、物資を運び込み、水際作戦を放棄した日本軍を追撃している状態だった。
そんなアメリカ陸軍将兵の頭上に、一斉射あたり最大で約六〇トンにも及ぶ大口径砲弾のシャワーが注ぎ込まれる事態となった。これがどのような惨状をもたらしたかは、艦砲射撃開始からたった一時間で約三五〇〇トンもの鉄量を贈られた事により、タクロバンとドラッグにいたアメリカ陸軍将兵のうち約六万人が戦死し、約五万人が重傷を負い、その内半数は明日の太陽を拝むことなく死者の列に加わったという背筋の凍るような数字が雄弁に物語っている。紛れも無く、通常兵器を用いた一回の攻撃としては今大戦最大の屠殺量だ。揚陸した様々な物資や兵器も、一二万トン近くが灰燼に帰すか、何の役にも立たないゴミとなった。
原始の時代に遡ったかのような炎と煙と荒れ果てた大地に作り変えられたタクロバンとドラッグ、そしてその沖合で送り火のように燃え盛る幾つもの残骸を残し、第一遊撃部隊は一七五五時に南下を開始。爾後、二三ノットでスリガオ海峡へ走り去っていった。
かくして日本帝国陸海軍の乾坤一擲の大博打、捷一号作戦は幕を閉じる。第一遊撃部隊はその後、スールー海に差し掛かった頃に二六日の夜明けを迎え、モロタイ島から飛来したB-24リベレーター爆撃機約三〇機の空襲を受け、スリガオ海峡突破戦で損傷を負い先に後退していた「那智」と、オルデンドルフ艦隊との交戦で速力が低下していた「阿武隈」が被弾して自沈処分するという損害を負ったものの、その他の艦は大事なく、溺射救助を行った後に遁走を続けた。
一〇月二七日午後三時一〇分、第一遊撃部隊各艦はブルネイへ帰還。続いて二九日夜半に機動部隊の残存艦が本土・呉に帰投。最も作戦行動期間の長かった小沢艦隊所属艦では、何と一〇日間に及んだ大海戦の結果を記すと左のようになる。
日本帝国陸海軍
・沈没(自沈処分したものを含む)
空母「瑞鶴」「瑞鳳」「千歳」「千代田」
重巡「那智」
軽巡「多摩」「阿武隈」「鬼怒」
駆逐艦「初月」「秋月」「岸波」「沖波」「浜波」「藤波」「山雲」「朝雲」「浦波」
・大破(各艦とも自力航行は可能)
重巡「愛宕」「妙高」「足柄」「最上」
駆逐艦「不知火」
・中小破
戦艦「大和」「武蔵」「長門」「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」「金剛」「榛名」
重巡「高雄」「摩耶」「鳥海」「羽黒」「鈴谷」「熊野」「利根」「筑摩」
軽巡「能代」「矢矧」
駆逐艦一三
航空機約五二〇機損失(空母機・陸上機)
戦死者・行方不明者約一万七千人(レイテ島の陸軍部隊を含む)
志摩清英中将負傷
アメリカ陸海軍(煩雑になるため艦名と損傷艦は割愛)
・沈没(自沈処分したものを含む)
戦艦六
空母八
重巡四
軽巡三
駆逐艦二二
魚雷艇二九
輸送船、揚陸艦など約四〇万トン
揚陸物資のうち八五%が焼失
航空機約三〇〇機損失
戦死者・行方不明者約一六万四千人(海軍艦艇の戦死者、輸送船内で待機していた陸兵を含む)
トーマス・C・キンケイド中将、クリフトン・スプレイグ少将戦死、ジェシー・B・オルデンドルフ少将負傷
なお、「I shall return.」の迷台詞を吐いた南西太平洋方面軍司令官ダグラス・マッカーサー大将は、部下たちに無理やり押し込まれたタクロバン橋頭堡の簡易壕近辺に砲弾が直撃し生き埋めとなり、一時は意識不明の重体となるものの、奇跡的に一命を取り留めている。彼が頑として動こうとしなかった指揮所の簡易兵舎はこの世から消え去っており、マッカーサーは九死に一生を得た格好であった。ちなみに、彼を簡易壕へ半ば強制的に連れ出した部下たちは全員が戦死しており、マッカーサー愛用のコーンパイプも粉々に打ち砕かれていた。
マッカーサーが人事不省となった事を知ったアメリカ統合参謀本部は、二七日正午を持ってレイテ侵攻を中止、全軍の撤退を決断した。
生き残った兵力と物資では確保している橋頭堡を奪われる事はないにせよ、これからレイテ島の奥地へ侵攻する余力は全く存在せず、ルソン島から兵力移動を行っている日本陸軍の精鋭部隊がレイテ島に集結すると、残存部隊だけでは全く戦えないのは明らかだった。
その上、頼みの綱の上陸支援艦隊は消滅してしまった。未だハルゼー大将の第三艦隊は八割程度の戦力を保持しているが、彼らを上陸支援に当てた場合、日本帝国海軍が再びレイテへ踏み込んだ時の事を考えたら、そんな賭けは出来ない相談だった。日本帝国陸海軍がかつて半年近くに渡りガダルカナル島に食らいついて来た過去を忘れてはならない。
何より、アメリカ本国の最高指導部は、このフィリピンを巡る戦いがいわばマッカーサーの、マッカーサーによる、マッカーサーのための戦争という一面がある点をよく理解していた。そのマッカーサーは今、物言えぬ状態で横たわっている。アメリカ陸軍内に隠然たる影響力を持つフィリピン・マフィアの意志を確認している時ではない。
レイテは、アメリカにとってこれ以上危険を犯すに足る場所ではなくなったのである。
そしてそれは、日本とアメリカの、終盤に差し掛かった太平洋戦争における戦争計画に大きな是正を迫っていく事を意味していた。
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