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一般に、日本帝国海軍は最期まで海上交通の保護という点に無頓着だった、と言われている。
正しくもあり、間違ってもいる。確かに彼らは、自慢の戦艦や空母、航空機を動かす各種の燃料を日本本土へ運ぶためのタンカーや、新しい艦船などのあらゆる兵器を作り上げるための重要資源を運ぶ輸送船の護衛に不熱心だった。
海洋国家の海軍としてそれが妥当な振る舞いかどうかは、太平洋戦争勃発から三年目に突入した一九四四年(昭和一九年)暮れ時点の日本帝国が保有する民間船舶量が、この国が国家として活動していくにあたり絶対に確保しておかねばならない月間三〇〇万トンのラインを遥かに下回っている事実が答えになる。
日本帝国は、自身に巣食う無数の欠陥によって南方の島々で骨と化して逝っている兵士たちと同じように、国家として餓死する運命へひた走っていたのだ。
しかし、日本帝国海軍がこの現実を完全に無視していたかと言えば、それは誤りだった。なぜなら、彼らは干からびていく帝国を一日でも保たせるためにレイテ沖海戦を戦ったのである。
もし、捷一号作戦を発動せず、レイテ島に侵攻したアメリカ軍を放置したらどうなるのか?
この点を理解していた、つまり、海上交通の保護とは、資源を運ぶ商船団を直接護衛する事と、商船団の航路を圧迫する敵勢力を排除し、チョーク・ポイントを抑えるという二点が根幹なのであって、片方にだけ注力すれば良い、という性質の物ではないのだ。
ここにおいて日本帝国海軍は海上交通の保護について、理解していたとも言えるし、無理解のままだったとも言えるのである。聯合艦隊は確かに艦隊決戦にしか興味が無いような集団だったが、商船団の航路を寸断する敵勢力の撃滅のためには艦隊決戦は避けては通れないのも事実だった。陸上航空隊や空母機動部隊が喜び勇んで日本の商船を狩っていくのを防ぐには、フィリピンで勝たねばならず、そして彼らはそれを成し遂げた。
「――従いまして、レイテ島より米軍が撤退した今、彼らの戦力が回復するまでの間、我々は万難を排し南方資源航路を用いて資源還送を継続していかなければなりません。そのためには」
深まる秋により底冷えのする寄宿舎内の会議室で、椅子に腰掛けている五名ほどの男たちに向けて一人の高級士官が熱弁を振るっている。
耳を傾けている人物たちは、この大佐の襟章を付けた男の主張の正当性を理解しているが、賛同するのは別問題だ、という表情をしている者が大半である。
そういう空気を分かった上で、海上護衛総司令部参謀兼聯合艦隊参謀の大井篤大佐は言い切った。
「聯合艦隊稼働艦の総力を挙げて、商船団を護衛すべきです」
会議室内がしばし静寂に包まれた。
レイテ沖海戦の大勝から一週間が経った一一月一日。神奈川県横浜市の慶應義塾大学日吉台にある聯合艦隊司令部では、今後の作戦方針を策定するための最初の会議が執り行われていた。
集っているメンバーも、聯合艦隊参謀のうちの三分の一程度の人数だった。ここで最終的な結論を出すのではなく、結論を出すための叩き台の案を纏めるのが会議の目的だったからである。
霞ヶ関の旧衆議院議長官舎に間借りしている海上護衛総司令部で普段は勤務している大井がここに出席しているのも、彼が役職上聯合艦隊参謀を兼務しているためだ。
大井の発言内容は昨日今日言い始めたものではなく、彼が海上護衛総司令部参謀を拝命してからというもの、ずっとずっと主張し続けて来た事であった。
ややもすれば、我田引水の謗りを受けかねないような話ではあったけれども、聯合艦隊司令部としても、今現在の状況から考えれば、大井の言葉に正面から反対する訳にはいかない状態である。
なんといっても、レイテ沖で勝った。間違いなく大捷と断言すべき勝ち方だ。そして勝ってしまった以上、積極的に次なる一手を打たねばならない。だが、強大なアメリカ海軍空母機動部隊それ自体は健在だし、捷一号作戦に参加した艦艇で損傷を負っていない中・大型艦は皆無と言っていい現状で、こちら側から攻勢に出るなど夢にも思わない事だった。
そもそも、「商船団の航路を圧迫する敵勢力を排除し、チョーク・ポイントを抑える」という戦略目標を達成した以上、「資源を運ぶ商船団を直接護衛」する事から目を逸らしては、九仞の功を一簣に虧く行為としか言いようが無い。それでも聯合艦隊司令部の人間が渋面を作っているのは、船団護衛で主に駆逐艦の損害が増え、次なるアメリカ軍の侵攻を迎え撃つ段になって戦力が不足する事を恐れていたからに他ならない。この態度は聯合艦隊の海上護衛に関する無理解よりもむしろ、根本的に国力が不足しているというどうしようもない実態に由来していると言って良い。
「稼働艦全てと言っても、レイテで大半のフネが手荒く叩かれ、駆逐艦も無傷なものはそうはない。順次ドックへ入れ、乗組員も休養を取らせねばならん」
沈黙を破るように一人の参謀が口火を切ると、そこからは叩き台作成の会議らしく、各自思い思いの言葉を吐き出し始めた。
「一〇戦隊は比較的損傷も少なく、陽炎型ばかりで編成されている事ですし、まずはこの隊から出しては」
「損傷の激しいフネは日本へ還さないとダメなんだから、いっそ行きは商船団と一緒に還らせるとか」
「それなら、ドンガラのでかい戦艦にドラム缶か何かを詰めるだけ詰めて、いっぺんに持って帰って来るのも」
「いやいや、万が一空襲にでもあったら一発で火達磨だよ」
「現在小破以下の駆逐艦が――ええと一五隻か」
「損傷艦の修理順序も駆逐艦を優先すべきです。ああこれは、後で護衛総司令部の方から艦政本部へ申し入れしますが」
「米軍が次に行動を起こすのは何ヶ月後だろうか」
「最短で三ヶ月乃至四ヶ月、どんなにも延びても半年くらいかな」
――結局、この日の会議では、叩き台の案の作成には至らなかった。
しかし大井は、ここが踏ん張りどころだと気合いを入れ、翌日以降も精力的に会議に顔を出し、東京へ足を伸ばして軍令部の参謀たちともやり合い、自説をとくと言って聞かせた。
彼にとっては会う軍人会う軍人の尽くが、レイテの大勝によって自分たちが日露戦争の日本海海戦にも匹敵する栄光を手に入れた現実にどっぷりと浸っているのが甚だ不愉快で仕方なかったが、それで海上護衛のために少しでも戦力を回してくれる気になるのなら見て見ぬふりを決め込んでいた。
だが、軍令部も聯合艦隊司令部も大井の言葉には冷淡な態度を崩さなかった。
そもそも、八月九日に海上護衛司令長官が聯合艦隊司令長官の指揮下に入る命令が下された時点で、帝国海軍は海上護衛総司令部創設時の「海軍に二大戦略あり」という言葉を否定しているのだから、彼らが首を縦に振らないのも分かり切った話ではある。
(こうなったら、もうあの手しかない)
軍令部作戦課の参謀たちと二時間に渡って激論を戦わせた日の夜、他の職員たちが退勤して、当直以外は人影が少なくなった赤煉瓦の中の一室で、身体を椅子にどっかりと預けて思案に暮れる大井。
(あの時は東條内閣が倒れた直後で、先方との関係や何やらで二の足を踏んだが、もうそんな悠長な事を言っている時期じゃない。これで軍令部から睨まれたって――)
そこまで思い至って、大井は我にもなく笑ってしまった。
「今更じゃないか、うちが軍令部から睨まれるだなんて」
まるで、因習に満ちた田舎の農家で親父から次男か三男坊のように扱われている自分たちなのだ。長男のために全てを捧げなければならないと親父から言って聞かされる弟と、それを当然の如き事として振る舞う長男。そしてそれをどうする事も出来ないまま、無駄とは知りつつ口を出すだけのお袋。
(そんな暮らしはまっぴらごめんだ。こっちだってマキャヴェリの言うようにやってやる)
かの君主論の中で述べられたとされる一節を思い出しつつ、大井は一人決心した。
一一月一二日。大井の姿は市谷台の陸軍参謀本部庁舎にあった。彼はある男に会いに来たのだ。
「やあ、大井大佐。久しくだね」
案内された応接室で給仕の出してくれた茶を啜っていた大井の元へ、参謀本部作戦課高級課員の杉田一次大佐がやってきた。小柄な体躯ながら、その目は帝国陸軍内では数少ない冷静さと理知的な思考を湛えている。大井は立ち上がって、
「八月以来かな。忙しい中急の訪問でまことに申し訳ない」
と頭を下げる。杉田は大井に座り直すよう勧めながら、
「気にしなくていい。海軍がレイテで大いにやってくれたお陰で、こっちも今は落ち着いている」
心底有難そうにそう言った。
テーブルを挟んでソファに腰を預けると、杉田が尋ねた。
「だいたい予想は付くが、今日のご用件は」
「八月に君がうちに来て、私らが希望すれば、参謀本部の方から軍令部へ護衛強化申し入れの労を取ってくれる、という話をしてくれたのは覚えているかね」
「ああ」
「虫の良い話だと承知の上だが、今からそれを頼めないだろうか」
やはりそうか、と数度頷いた杉田。
海上護衛司令長官が聯合艦隊司令長官の指揮下に入る少し前、海軍の船団護衛に対する無頓着さに苛立ちを募らせていた参謀本部側(なにせ、前線の島々へ兵員弾薬糧食その他を運ぶ船舶の護衛は海軍が行っているのだ)から海上護衛総司令部に対し、大井の言ったような話が持ち掛けられた。
大井はその時は好意的に受け止めていたが、海上護衛総司令部内で他の参謀たちと協議したところ、参謀本部が軍令部へ突っつかせたかたちになるのは具合が悪いし、東條内閣倒閣直後で陸軍と海軍の関係が甚だデリケートであった時期も重なったので、結局沙汰止みとなっていた。
「君が私を訪ねて来たと聞いた時から、ピンと来ていた。もちろん我々としては何の異存もない。レイテから米軍が出て行ったお陰で多号作戦も中止になっているから、うちとしても海軍にはもっと護衛に本腰を入れてもらいたいと言う声が盛り上がっていたんだ」
「身内の恥を晒すようで気が引けるが、こっちはもう匙を投げてるよ。軍令部も聯合艦隊も、この期に及んで護衛戦力を出す事を認めようとしないんだ」
大井はそう言って、飲みかけの茶を一気に呷った。
その様子を杉田は同情を含んだ眼差しで見つめる。日独伊三国軍事同盟に共に反対した事が縁で親しくなった彼らは、それぞれの組織では異端者扱いされるため、相手がどういう状況に置かれているか、すぐに見当がつく。
「船舶護衛に大井あり、と参謀本部でも君は有名人だ。ともかく、この話は私が責任もって上に通して、軍令部へ申し入れさせて貰う」
「ありがたい」
帝国海軍軍人の嗜みとして、大井は帝国陸軍という組織を全然信用していない。日本帝国がこんな有様になっている原因の何割かは絶対に陸軍にあると思っている。しかし同じくらいの割合で帝国海軍にも責任はあると信じていた。そして大井は、個人としての帝国陸軍軍人杉田一次を信用している。
大井が杉田大佐を訪問してから五日後、参謀総長名で軍令部総長に対し正式に船団の護衛強化の申し入れが行われた。杉田は約束をきちんと守った。しかも、自身の属する部署の長である作戦部長名やその上の参謀次長名ではなく、最高責任者の参謀総長名で、である。
軍令部は、この件が誰の差し金で行われたかをすぐに把握した。しかし、それだけだった。軍令部総長の及川古志郎大将は、前職が海上護衛司令長官であり、大井と共に護衛総司令部で四苦八苦した記憶を忘れていなかった。
軍令部としても、対等な関係である参謀本部から正式な要望を受けた以上、無下にあしらう事は許されない。そして、大井や護衛総司令部以外の大多数の海軍軍人が筋違いだと怒りを露わにしたこの要請に対し、及川総長はかつて海軍大臣を務めていた頃のように振る舞った。
つまり、陸軍側の要請を(いくつかの条件を付けてだが)受け入れたのだ。
これには軍令部内の中堅参謀たちも、そして戦力を抽出させられる聯合艦隊司令部も大いに言葉を荒げたが、及川は海相時代、もう動かしがたい状態にまで事が進んでしまった後に、初めて部下へ追認を迫る悪癖を繰り返してきた前科がある。それを知る者たちはこぞって及川と大井を恨んだが、大井はそんな言い分、どこ吹く風だった。
もとより海軍部内での出世に興味のない大井は、資源還送をいかにして行っていくかにしか眼中にない。そのためには陸軍だろうと誰であろうと利用出来るものは利用するまでだった。
かつて、見掛け上は大井の内心と同じような大義名分を掲げ、国政を壟断した帝国陸軍をもダシにした大井の信ずる、現場の人間としての正当な行為だった。
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