第20話 妻の慟哭と赦し、「憎い人だけど……」
マリカを失ってから、俺は生きる屍だった。
親父の会社の秘書だったマリカとの関係がバレて、家を追い出されてからまだ日も浅い。
何もかもを捨てて選んだはずの彼女が、煙となって消えた。
狭くて冷たい部屋で、俺は毎日自分を呪っていた。
家庭を壊し、マリカも守れず、俺の手元には何が残ったんだ?
そんなある週末。
タロウとマユとの、月一回の面会日が来た。
俺は行きたくなかった。裏切りの傷も癒えないうちに、のうのうと彼らに会う資格なんてない。
だが、タロウとの約束だけは破れなかった。
「パパー!!」
ファミレスに入ると、タロウが無邪気に駆け寄ってくる。
その笑顔が、俺の胸をえぐる。
席に着くと、マユの視線が突き刺さった。
彼女は俺のやつれた顔を見て、すべてを悟ったような目をしていた。
まだ裏切られた怒りも冷めやらぬ時期だ。俺を睨みつけてもおかしくない。
食事が進み、タロウがドリンクバーへ立った、その一瞬の隙だった。
「……カズキ?」
「……あ、ああ。なんだ?」
「……聞いたわよ」
マユの声は低く、冷たかった。
「パパの会社の……あの秘書の人。マリカさん、亡くなったんでしょ?」
心臓が止まるかと思った。
まだ記憶に新しい、あの修羅場が蘇る。
マユにとって、マリカはついこの間、夫を奪っていった憎むべき女だ。
「……ああ」
俺は搾り出すように答えた。否定も弁解もできない。
「罰が当たったのよ」と言われても、返す言葉なんてない。
俺は俯き、罵倒を待った。
だが、マユから出た言葉は、俺の魂を揺さぶるものだった。
「……ひどい顔してる」
「……え?」
「……あんなことしてまで、一緒になりたかった人なんでしょ。……まだ、そんなに経ってないのにね」
マユの声が震えていた。
裏切りの傷はまだジュクジュクと痛むはずだ。
それでも、マユは唇を噛み締め、目の前のボロボロになった俺を見て、言葉を絞り出した。
「……マリカさん……大変だったね」
その一言に込められた、万感の想い。
つい最近つけられた傷の痛みを飲み込んで、憎い相手の死を悼み、俺を気遣う言葉。
「……マユ……」
「勘違いしないで。私は、あの人のことも、カズキのことも、許したわけじゃない。……でも、あんたが死にそうな顔してるのは、見ててわかるから」
マユは俺の手の甲に、そっと自分の手を重ねた。
「辛いなら、辛いって言っていいのよ。……あんたは、タロウの父親なんだから。しっかりしなさいよ」
その瞬間、俺の中で何かが崩壊した。
裏切って家を出て行ったばかりの俺に、なぜここまで優しくできるんだ。
「……うぅ……すまん……! すまん、マユ……!」
俺はファミレスのテーブルに突っ伏し、獣のように泣いた。
犯したばかりの罪の重さと、マリカを失った喪失感が、涙となって溢れ出した。
戻ってきたタロウが心配そうに俺を見る。
「パパ、どうしたの?」
「……ううん、パパね、ちょっと悲しいことがあったの。……タロウ、パパの手を握ってあげて」
小さな温かい手が、俺の震える手を包む。
俺が裏切り、傷つけたばかりの二人が、今の俺を支えている。
この日、俺は一生かけても償いきれない「愛」を知った。
まだ生々しい傷跡を抱えたまま、それでもこの温もりに縋って生きていく。
続く




