第15話 別人のような妻、息子の小さな嘘
マリカとの電話が切れてから、俺の世界は完全に色を失っていた。
仕事と家の往復。
コンビニ弁当の空き容器が積み上がる部屋で、ただ時間を消費するだけの日々。
そんなある日、スマホが震えた。
マユからだ。
『カズキ、生きてる? ご飯ちゃんと食べてる? タロウが会いたがってるよ』
最初は無視していた。
合わせる顔がないし、今さら関わりたくないという意地もあった。
だが、マユのLINEは途切れなかった。
『今日、タロウが学校でパパの絵を描いたよ』
『カズキ、お金は足りてるの? 無理しないでね』
責める言葉は一つもない。ただひたすらに、俺とタロウを気遣う内容ばかり。
その優しさが、凍りついた俺の心を少しずつ溶かしていった。
数週間後、俺はついに返信ボタンを押した。
『……今度、3人で飯でも食うか?』
即座に既読がついた。
『うん! 行こう! タロウも大喜びしてる!』
約束の日。
待ち合わせのレストランに現れた女性を見て、俺は目を疑った。
「……マユ…か?」
そこにいたのは、俺が知っている「ふくよかなマユ」ではなかった。
驚くほどスリムになり、メイクもファッションも洗練されている。
出会った頃よりも、いや、今まで見た中で一番美しい女性が立っていた。
「久しぶり、カズキ。……びっくりした?」
マユが照れくさそうに微笑む。
その笑顔に、俺の胸がドクンと高鳴った。
「パパー!!」
その足元から、小さな影が飛び出してきた。
タロウだ。
「タロウ!」
俺がしゃがみ込むと、タロウは勢いよく俺の首に抱きついた。
その温もり、髪の匂い、小さな身体の重み。
涙が溢れそうになるのを必死で堪えて、俺は息子を力いっぱい抱きしめた。
「会いたかったよ、タロウ」
「僕も! パパ、ずっと会いたかった!」
食事中、俺は驚きの連続だった。
あんなに無口だったタロウが、学校のことや友達のことを楽しそうに話してくれる。
「タロウ、随分明るくなったな。前はパパと話してくれなかったのに」
俺が言うと、タロウは少し言いづらそうに口を開いた。
「……あのね、じいちゃんとばあちゃんの前でパパの話をすると、すごく怒られるんだ」
「え?」
「『あの男の話はするな』って。だから……怖くて言えなかったんだ」
箸を持つ手が震えた。
あのクソじじい……!
マリカを愛人にして弄び、俺たち家族を引き裂き、さらに孫にまで圧力をかけていたのか。
激しい怒りが湧き上がると同時に、タロウへの申し訳なさで胸が張り裂けそうになった。
「ごめんな、タロウ。辛かったな……」
「ううん! 今日はパパに会えたから嬉しい! パパ大好き!」
その無垢な笑顔に救われた。
俺は誓った。この子のためなら、俺は何だってできる。
それからというもの、月に一度の食事会が俺の生きがいになった。
会うたびに綺麗になっていくマユ。
父親としての喜びを思い出させてくれるタロウ。
3人で過ごす時間は、モノクロだった俺の人生に再び色を与えてくれた。
夜の帰り道。
マユとタロウを送っていく途中、夜空を見上げながらマユがポツリと呟いた。
「……ねえカズキ。また3人で、一緒に住めたらいいね」
「えっ?」
隣を歩くマユの横顔を見る。
街灯に照らされたその表情は、とても穏やかで、真剣だった。
「……そ、そうだな」
俺は震える声で答えるのが精一杯だった。
心臓が早鐘を打っている。
一度は捨てたはずの「家族」という場所に、もう一度戻れるかもしれない。
消えかけていた希望の灯火が、俺の中で再び力強く燃え上がろうとしていた。
続く




