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いつか捨てられるその日まで〜愛されない妃のはずなのに夫の過保護が止まりません  作者: 北館由麻
第三章 愛のない結婚の終わり

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奈落の祭壇へ・1

 キルギードはウィンスレイド王国の西側に位置し、主にフォガムの樹海とその南側にあるフォガム山脈を境に隣接している。

 フォガム山脈を越えてキルギードへ向かう道はない。もちろん人の足で山を越えることはできるが、迂回するほうが危険も少なく早いのだ。

 大昔、フォガムの山が大噴火し、その付近一帯は溶岩と火山灰で地獄のような有様になった。その影響でウィンスレイド側は、王都が現在の国北地区へ遷(うつ)ることとなった。

 

 しかしキルギード側はそれほど被害を受けなかったとされている。

 もともと面積にしろ、人口にしろ、大国ではないキルギードの歴史には、派手なエピソードが見当たらない。むしろあまりにもひっそりとしていて、隣国といえども内情が伝わってこないため、どことなく不気味な印象すらある。

 

 ジェレルは王太子として何度か公式にキルギード城を訪れている。

 その記憶はあるのだが、思い出せるのはいつも暗い表情の国王と王妃、それとは対照的に無邪気に明るくふるまう幼い王子の姿くらいだった。

 

 レナーテの話からすると、現在のキルギード国王はジェレルが生まれた頃に亡くなった王女の弟であろう。

 ジェレルは他国への公式訪問の前に必ず外交の講義を受けているが、亡くなったキルギード王女の情報は初耳だった。

 それは仕方のないことである。自ら命を絶ったのだとしたら、王女の死の詳細は当然箝口令(かんこうれい)が敷かれたはずなのだ。


(王女が自ら命を絶つほどの何か……?)


 王家の血を引くものとして、ジェレルもその出自の特殊さに悩みながら生きてきた。

 生まれながらに特権階級の一員である王子や王女は羨望の眼差しを浴びる立場であるのは間違いない。

 

 しかし王家にふさわしくないとされる子が生まれることもある。容姿や気質を問題視される場合もあるし、非行を繰り返すなどの言動が問題視される場合も少なくはない。

 悲しいかな、体裁を気にしない王家はこの世に存在しない。それゆえ、ふさわしくないと烙印を押された子の末路は歴史から抹消されてしまうのが常である。


(キルギード王家にとって闇に葬りたい過去だというのか……。一人の人間の人生がそんなふうに扱われていいのだろうか)

 

 レナーテとともに夜のキルギード城下を歩きながら、ジェレルはとりとめのない考えごとをしていた。

 レナーテが懇意にしている魔法道具屋へ王宮から一瞬で移動してきたため、時間も体力も無駄に浪費せずに済んだ。それゆえ余計にキルギードの国と王家のことが気にかかったのかもしれない。

 

 ノクタリス男爵の館を訪ねるには、夜が更けていて非常識な時間だ。それでもレナーテは足を止めなかった。

 残された時間は少ない。レナーテも同じ思いでいるのだろう。


「先ほどから頻繁に馬車が通っているところをみると、例の集会は終わったようです」


 レナーテの言葉にジェレルは頷いた。

 しかし通り過ぎる馬車の様子がおかしい。なぜかどの馬車も逃げるように慌ただしく去っていく。

 ジェレルは険しい表情でそれらの馬車を見送った。


 夕刻にアレシアとウェイロンが歩いた道を、ジェレルとレナーテがフードもつけずに黙々と進んだ。

 暗い小道の奥に立派な館が見えてきた。

 辺りには人気(ひとけ)がなく、静まり返っていた。どうやら集会の参加者は一人残らず帰路についたらしい。


 レナーテは恐れることなく玄関前に進んだ。


「夜分遅くに失礼いたします」


 そう呼びかけたが、中から返事はなく、不気味なほどの静寂に包まれていた。

 レナーテは続けて「どなたかいらっしゃいませんか」と呼びかける。


「玄関に警備の者がいないようですね」

「もう就寝されたのでは?」

「夜に暗躍するタイプの魔導士がこの時間に眠っているとは考えにくいのです」


 レナーテは言い終わる前にドアノブをつかみ、思い切って引いた。

 ゆっくりとドアが開く。

 思ったよりも薄暗い玄関ホールだったが、人が倒れているのが見えた。


「大丈夫ですか」


 レナーテが声をかけながら慎重に近づいた。

 ジェレルもレナーテに続いて館の中へ足を踏み入れる。蝋燭の明かりが揺れ、二人の影が床に長く伸びた。

 倒れているのは若い女性のようだ。首元に噛みつかれた傷跡があった。


「まぁ、かわいそうに。血を吸われたのね。それに何か嫌な臭いがしませんか?」


 レナーテは鼻と口をローブの袖で覆った。

 これまで嗅いだことのない異臭に、ジェレルも思わずしかめ面になった。辺りを見回す。

 

「この家に仕える者のようですが、誰も気がついていないのも妙です」

「何かあったのでしょうか?」


 立ち上がったレナーテは倒れている女性から一歩下がる。よく見るとやせ細った女性はまだ少女と呼べる年頃のあどけない顔つきだった。しかし皮膚には血色がないため、年齢よりも老けて見えた。

 

「どうか安らかに……」


 祈りを捧げるレナーテとともにジェレルも首を垂れた。


(宮廷画家ガルフに続き、一足遅かったようだ。こんな少女に惨(むご)い仕打ちを……)

 

 嫌な予感がジェレルの脳裏をよぎる。

 いくつかの心当たりと可能性とがジェレルを責め立てるが、悔やんでいる暇はない。この先に進まねば後悔が増えるだけである。

 

 ジェレルが玄関を背にホールの中央へ進み出たそのときだった。

 突然正面のドアが開いて、この館の主人であるノクタリス男爵が姿を見せた。


「おや、こんな時間に王太子殿下と緑の魔女殿がご来訪とは、お急ぎのご用向きでしたか?」

 

 笑みを浮かべたノクタリス男爵は、二人を見るや否や早口でまくしたてた。

 レナーテが小さく息を呑む。

 ジェレルはノクタリス男爵の顔を凝視し、それから頬を緩めた。


「何か?」

「お気づきではないようだが、額から血が出ています」

「……えっ?」


 ノクタリス男爵は慌てて額に手を当てる。その手についた血を見て、ハッとし、一瞬気まずそうな表情を浮かべた。


「フッ……」


 ジェレルが笑い声を漏らすと、ノクタリス男爵はせわしなく瞬きをし、怪訝な顔をした。


「無様な姿をさらし、お恥ずかしい限り。ですが、なぜお笑いになるのか?」

「いや、失礼。痛々しい傷ですが、あまりにも見事に額の中央をとらえているので、なぜか不意に私の妃のことが頭に浮かんだのです」


 ジェレルの言葉を聞いて、ノクタリス男爵は警戒するように目を細めた。


「ほう。なぜでしょう?」

「私の妃はナイフ投げの名手なのです。剣の腕前も並の剣士に劣らない。これほど正確に額の中央を狙える者はなかなかいない」

「殿下がそこまでべた褒めするのなら相当な腕前なのでしょう!」


 声だけは大げさだったが、この短い時間でノクタリス男爵は気持ちを立て直したらしい。鎌をかけられたと悟ったのだろう。

 レナーテがここぞとばかりに口を開いた。


「その王太子妃殿下がトレヴァー卿とともに姿を消してしまわれたのです。行方をご存知ないかしら?」

「なんということ! そのお二人は元婚約者同志ではありませんか。まさか駆け落ち? いやいや、そんなはずはない。しかし、なぜ私にお尋ねですか?」

 

「あなたに聞きたいことはいろいろあるわ。その額の傷も気になるし、そこに倒れている女性のことも放っておくつもり?」


 ノクタリス男爵はジェレルとレナーテの間から倒れている人影を確認し、一瞬目を見開き、すぐに表情を曇らせた。


「ああ、なんということ! これはもう隠しておけないな。この館内に妖獣が出現して暴れているのです」

「妖獣?」

 

「レナーテ、君の力も貸してくれないか」

「その額の傷も、妖獣にやられたの?」

「これか。気がつかなかった」


 と、傷口に指で触れながら、ノクタリス男爵はニヤリと口角を上げる。


「君が私のことを気にしてくれるのは……嬉しいものだな」

 

 レナーテは小さくため息をついた。


「その妖獣はどこにいるの? 案内して」

「せっかく来ていただいたのにおもてなしもできず、本当に申し訳ない。レナーテが加勢してくれたらすぐに終わる。その後は当家でゆっくりしていってください」


 ノクタリス男爵は頬の筋肉を大げさに動かしてそう言った。

 彼の言葉には信用できる部分が一つもなかった。それでも彼が唯一の手掛かりである。

 もっと聞き出したいことはたくさんあったが、今は彼に従って館の内部へと歩を進めることにした。

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